27. 躊躇
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―――慶応四年 二月下旬
江戸市中 旗本屋敷にて。
鳥羽伏見の戦で敗戦し、賊軍として扱われた新選組。
大坂城まで撤退をした後、籠城することなく江戸へと海路にて北上した彼ら。
現在は江戸市中にある旗本屋敷にて身を寄せており、再戦の機会を伺っていた。
「近藤局長も土方副長もなかなかお姿を見かけないな……」
「新選組はこのままどうなってしまうんだろうか……」
下っ端の隊士たちが不安や不満を漏らすことが増えてきている。
このままだと士気が下がり、離隊に繋がりかねない。
それを見事抑えていたのは、面倒見のいい原田や永倉の機転であった。
「まぁまぁ、酒でも飲んで憂さを晴らそうぜ」
「話、聞いてやるからさ!」
こうした理由から、夜の外出が増えた原田と永倉。だが、行動の意図を理解していない隊士が別の意味で不満を募らせていく。
土方も屋敷に不在であり抑止力も働かず、不安を覚える隊士たちを連れ立って旗本屋敷から飲み屋へ出ていく二人は悪目立ちもしていたのだろう。
そんな原田と永倉とは別のやり方で新選組を支えた幹部がいた。
斎藤だ。
「斎藤さん、硯と筆こちらに置いておきますね」
「あぁ」
土方の外出中、斎藤は留守を任される幹部として仕事を全うしていた。
各所に送るべき書状の用意をし、怪我人の回復具合の確認のために松本先生のもとへの行き来、監察と協力した細かい情報集めなどが主だ。
雑務全般をこなしてくれる千鶴とも手分けして日々のことを取りまとめ、再戦の機会を待ち続けていた。
「あの……斎藤さん」
「なんだ」
「少し、休んでくださいませんか? この間もお話しましたが、顔色が悪いです」
千鶴から、この前の続きとも言わんばかりの言葉が飛び出る。
斎藤は受け取った硯と筆で新たに書き物をしながら、後ろ背で千鶴に答える。
「適宜休息はしている。心配無用だ」
「ですが……」
斎藤の頑なな姿勢に、千鶴も悩んでしまっているようだ。
いつもと変わらない斎藤の姿勢、表情。
態度に気ほども出さない思考や想い。
だが、時折目を擦る仕草は疲労を訴えていることが分かる。
千鶴はどれだけ汲み取れただろうか。
斎藤が、本当に眠りたくない理由を。
「今ここで俺が休めば、仕事が滞る。留守を預かる者として、やらねばならんことは多い」
千鶴はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
強い意志のもとで働きをみせる斎藤に、正しくかける言葉が見つけられない。
斎藤のもとを離れた千鶴は、夕暮れ時の空を見上げる。
どんどん新選組のあり方が変わっていくことを、肌で感じていた。
ほんの数月前までは、京で市中の警護をしていた新選組が今や賊軍として扱われる。
切なくて、目を細めてしまう。
そして千鶴にはもう一つ、気がかりなことがあった。
「父様……」
雪村 綱道の行方だった。
もともと千鶴が新選組に身を寄せていた理由は、父親を探していたこと。
結局、見つけることが敵わず京を離れて江戸まで戻ってきてしまったことになる。
不安な気持ちが拭えない。
どうなるのかわからない未来。
千鶴が今感じている不安は、少なからず新選組の皆が感じているものかもしれない。
「千鶴?」
ふと、親しんだ声に呼ばれた。
振り返れば、夜に目を覚ます習慣となった平助の姿が。
「平助くん……おはよう」
「おう。どうしたんだ?」
庭先に降りてきた平助が横に並ぶ。
千鶴が空をぼんやり見上げている姿が不思議だったようで、なにが見えるのかと同じ角度を覗き込まれた。
が、見えるのは美しい空だけで。
「ううん。なんでもないの」
「本当か? なんか悩んでるみたいだったけど」
長い髪を揺らして、今度は正面に立った平助に千鶴は笑う。
誤魔化してもよかったのだが、父親探しの件はどうにもできない。
だが、もう一つの件は何とかできるかもしれないと思い、相談してみることにした。
「あのね、平助くん……。斎藤さん、あまり休んでないみたいで、顔色がよくないの。休んでほしいって話しても、隊務に詰めていらっしゃって……」
「あー……」
思い当たる節があるようで、平助も視線を俯かせた。
彼が気落ちする理由はひとつ。
昼間起きていられず、隊務に協力できなくなった自身の存在だろう。
「確かに一君、江戸に戻ってきてから土方さんと同じくらい働いてるよな……」
恐らく、本人にその自覚はない。
『副長がもっと励んでいるならば、俺も勤めを果たすべきだ』と思っているだろう。
側から見たら、同等に働いていると言えるとしても、斎藤は認めないだろうが。
「というより、休みたくないのかなって思ったり」
「休みたくない?」
千鶴からしたら、それは意外な見方だった。
体が資本であることも、用心深いことも、無理をすれば本来の力を発揮できないことも斎藤ならば理解していると思っていた。
思っていたし、彼こそがそれを説きそうだ。
「なんていうか、一君って昔から自分の気持ちを口にしたりしないし、何より新選組の意向のために行動してて、今もそうなんだろうけど……」
歯切れが悪い平助の言葉。
彼はそのまま、夕暮れの空を見上げて輝く星を捉える。
茜色に紫や橙が混ざるそれは、ゆくゆく黒に支配されるだろう。気配を見せている色に、平助はどこか苦しくなった。
あの茜色は、彼の傍にいた娘を思わせる。
「落ち込んでるように見えたんだ」
「落ち込んでる……?」
「ここ最近はな。まぁ、鳥羽伏見の敗戦を一君も引きずってるんじゃないかな」
―――新選組はずっと勝ち続けてきただろ。初めての負け戦だったから。
そう口にした平助は、苦笑いを繰り返していた。
羅刹になった彼に見える世界と、鬼の千鶴に見える世界。
そして新選組、その中でも斎藤に見える世界。
同じ世界に存在しても、同じ物語を綴る者はいない。
自分の物語は、自分で描き切るしかない。
それでも、他の人が描く話も、どうか最後は幸せになってほしいと願うばかりだ。
「一君のことだから、きちんと理解してると思う」
「そうかな……」
「心配するなって、千鶴。本当に無理そうだったら俺も協力するからさ」
羅刹になった後も、平助はいつだって平助だった。
救われたと、千鶴は思う。
彼なりの苦悩も抱えていただろうが、彼らはやはりそれを見せなかった……。
「ありがとう。平助くん」
「おう」
星明かりが灯り始める。
江戸での一日が、また終わろうとしていた。
第二十七華
躊躇
明けた翌日。
斎藤は松本先生のもとへと経過観察に向かうために、屯所を空けることにした。
千鶴はその背を見送りながら、外出する彼が少しでも気分転換ができればいいと思っていた。
平助に話したことにより、そして平助からの言葉を受け、千鶴の中でも斎藤の見方が少しばかり変わる。
気落ちしているのであれば心に寄り添うことが必要で、余計な言葉は却って不要だったりする。
なるべく笑顔でいることを努め、『いってらっしゃいませ』と声をかけるのだった。
斎藤は、間違いなくその笑顔に救われていた。
特に千鶴に何も言わなかったが、彼女が笑っている間は京にいた頃と同じような感覚に戻ることができた……―――。
徒歩で向かう診療所代わりの屋敷までは、まだもう少し距離がある。
江戸の市中を抜けながら、平和な町を感じていた。
不本意ながらも賊軍として扱われた身だ。
おおっぴらに歩くことはできず、裏道を行きながらも商家や茶屋を見かければ穏やかそのものである。
小道を抜け、一度開けた場所から橋を渡ろうとした時だ。
「斎藤」
名前を呼ばれた。
長年連れ添った仲間の声だと振り返る前に気づいた。
視線を向ければ、一人でいるのが珍しい男が。
「左之か」
「よ。どこ行くんだ?」
特に最近は新八と一緒にいる姿を見かけていたので、一人で市中を彷徨いているのは意外だった。
「松本先生のところに詰めている隊士の様子を確認してくる。あんたこそ、こんなところでどうしたのだ」
「俺は野暮用の帰りさ」
風が吹く。
彼の赤い髪がゆらゆらと流されては落ち着いてを繰り返す。
斎藤の髪も、襟巻きも靡いていた。
辺りの柳も同じ方角に流れていく。
不思議なくらい、穏やかだ。
こんなに胸中がざわめいていることが不思議なくらいに。
「松本先生のとこっていえば、総司がいるな。久しぶりに俺も会いに行ってみるかな」
「……そうか」
松本先生のところには鳥羽伏見の戦いで負傷したものが手当を受けている。
それ以外だと、労咳で伏せている沖田だ。
鳥羽伏見の戦いに参加できなかった隊士も肩を負傷した近藤と沖田だった。
松本先生のもとへは定期的に訪れているが、鳥羽伏見の戦い以降、沖田と斎藤はまともに顔を合わせていない。
沖田が床に臥している時間が長かったからだ。
そして、近藤さんはつい先日復帰したが、沖田は希望が薄かった。
戦いたいのに戦えないという感覚は、どんな気持ちだろうか。さぞ辛いだろう。
特にあれだけ冴え渡る剣技を持つ者が、どうして病に伏せなければならないのか。
彼が病に侵されていなければ……。
好敵手だからこそ、斎藤も頭の片隅でそんなことを考えていた。
こうして原田と共に道を行くことになった斎藤は、彼の左側を歩きながら黙っていた。
原田とは付き合いも長く、沈黙も苦にはならない。
彼は聡いので、斎藤が何も言わなくても理解してくれることが多かった。もちろん、それは斎藤が原田に対してもである。
だから、意外だった。
こうして言葉にして聞かれたのは。
「茜凪は元気にしてるのか?」
僅かに、刹那、一瞬だけ。
左手の指先が反応し、目を見開いてしまった。
悟られたくなどない。
己の中に抱えた想いなど。
この感情は、新選組の剣として生きる上で必要はないもの。
そして茜凪は妖。想いがあったとしても報われることがないとわかっている。
巻き込まないために、斎藤は斎藤の武士の道を行くために―――別離を選んだのだ。
声に感情が乗らないように、それでいて不自然な間ができないように注意しながら答えた。
「何故俺に聞くのだ」
いつも通り。
間者務めをこなした矜持もある。
顔色ひとつ変えずに返答すれば、今度は原田が驚く番だった。
「どうしてって、お前ら親しくしてただろ」
「鳥羽伏見の戦が起き、茜凪や烏丸たちを気にしている余裕はなかった。それに―――」
原田が斎藤を見守るような視線で見下ろす。
彼が斎藤を流石だと思ったのは、やはり顔色ひとつ変えず、いつも通り淡々と告げるのだ。
「茜凪たちは妖だ。深く関わっても互いに利益はなかろう」
迷いなんて見せず、真っ直ぐに歩いていく斎藤。
原田は流石に足を止めて、そんな斎藤の背を見つめてしまう。
いつか、茜凪が憧れたと言った―――右差しの背。
他の者から見た斎藤は、本当に“いつも通り”だったのだろう。
だが平助から見た斎藤が敗戦で落ち込んでいるように見えたように。
原田から見た斎藤は、痛々しく見えた。
「斎藤……」
相手が平助や新八だったら、原田も何か示たかもしれない。
だが、原田は斎藤が武士として新選組の剣でありつづけることを望んでいると知っていた。
うまいことが、言えない。
斎藤も原田も互いに―――種類が多少異なるが―――口下手なので、原田も悩んでしまうのだった。
―――そうこうしているうちに、松本先生が詰めている屋敷に到着する。
茜凪の話題の後は、斎藤も原田も特に何も発することはなかった。
ただ静かに江戸の町を来ただけだ。
松本先生から負傷した隊士の様子を聞き、経過が良好な者、芳しくない者が半々だったことも理解する。
引き続き面倒を見てほしい旨を伝え、土方から預かった手紙を渡す。
快諾してくれる松本先生に頭が上がらないと思いつつ、斎藤は任務を終えるのだった。
「総司」
そして最後に沖田の部屋を確認して帰ろうと、彼の部屋の戸を開けた時だ。
原田が声をかけたのを見て、斎藤は思わず顔をあげる。
寝ているのだろうと思っていたので、意外だったのだ。
「あれ、左之さん。それに一君まで」
「久しぶりだな。起きてていいのか?」
原田が遠慮なく部屋に入り込み、畳に座り込んだ。
背も高く、体格に恵まれている原田が座ったことで背後にいた斎藤にも沖田の姿が見えるようになる。
夜着のまま布団の上で体を起こしていた彼は、刀の手入れをしていたようだ。
その姿は以前よりも明らかに筋肉量が落ち、痩せ細っていた。
それでも闘志は捨てられず、新選組の剣として生きようとしている彼に斎藤は口を噤む。
「少しは起きないと体が鈍っちゃうからね。それより珍しいじゃない、二人が揃って来るなんて」
「まぁな」
「一君は何度か来てたって松本先生に聞いたけど」
「あぁ」
胡座をかいて豪快に座る原田の横に、正座をした斎藤。
久しぶりの戦友との語らいに、心が安らぐのを感じる。
同じくらい、切なくもあったけれど。
「近藤さん、元気?」
挨拶程度の会話をしたところで、沖田の口から飛び出たのは近藤のことだった。
全くぶれない姿勢に原田も穏やかに微笑み、短く告げる。
「どうかな。会ってねぇんだ」
「そうなの?」
「今は副長と一緒に、幕臣の方と再戦のための会合に詰めていると聞いている。ここを出てから屯所にはいらしておらん」
「そっか……」
近藤は沖田より先に復帰した。
またもや置いてきぼりを喰らった沖田の心は図り知れない。
「まぁ、土方さんも付いてるんだ。なんとかなるさ」
「……そうだね」
沖田が視線を布団と刀へ落とす。
反射して映る己の姿が、沖田にはどう見えたのだろうか。
斎藤も原田も何も言わなかったし、言わなくても痛みを伴うことはわかっていた。
「土方さんって俳句へただし、根性ひん曲がってるし、小言ばかりでうるさいけれど」
斎藤の前でそれを言うな。反論を喰らうぞ。と思った原田だったが、沖田はそのまま続ける。
斎藤も、沖田の言葉を最後まで聞いていた。
「土方さんが一緒なら、大丈夫だよね」
諦めではない。
だが願望に似た何か。
沖田がここから近藤の元へ帰ることができなくても、土方にその何かを託したい。
そう言っているような一言だった。