26. 兄
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―――静まり返っていた広間に、ぱちり。と火鉢が事切れる音が響く。
その音源が、語りの終わりを告げた。
「これが、私が知り得ている絶界戦争と、春霞の滅んだ理由です」
長き語りが終わり、伏せていた瞼をあげた水無月。
紡ぐ言葉を止め、正面に座っていた娘に視線をぶつける。
絶界戦争にまつわる過去を聞いた茜凪は、視線を畳に静かに向けたまま言葉を発しなかった。
その隣にいた狛神も黙っており、さらに隣にいた烏丸も視線は俯きがちだ。
一番驚いているのは烏丸かもしれない。
まさか自身の兄である爛が、絶界戦争で白狐の環那と共に戦っていたことも。環那と親友だったことも。
里を出て行ってしまった経緯に、切なすぎる絆があったことも、初耳だったからだ。
「兄貴が人を嫌うのは……」
「……環那と赤楝を失い、そして春霞が滅んだことが原因です」
それでも爛は爛の中で決着をつけようと努めているのは感じ取った。
でなければ、弟や環那の妹である茜凪が人に関わることに対してもっと反対しただろう。
爛の制止は強制さを感じさせるものではない。
関わるのは好きにしろ、ただ、立場を忘れるなという意図にとれた。
過去を聞いてから思い返せば、爛と旭、二人とも旧き絆に縛られ迷っているように思えた。
「詩織は、朧家の鬼・千与の側付きとして里に身を置いていたと聞きます。赤楝が千与を殺めた際に詩織はその場に居合わせ、憎悪の感情から赤楝を殺め……―――環那が詩織を逃し、生かしたのでしょう」
詩織の素性が少しだけ露わになる。
垣間見えた戦うべき敵の姿。
本当に白狐が相手なのだと……思い知る。
「詩織が赤楝を殺したのですか」
ここまで黙っていた茜凪が、水無月の顔を見ずに尋ねた。
視線は未だに畳を見つめており、感情は読めないが落ち着いている。
断定に思える聞き方だったが、茜凪の空気は疑問を抱いているように。
「環那が、そう言ったのですか」
改めて語尾を強めて、水無月に尋ねる。
烏丸も狛神も、ここまでの話から『千与を殺したのは赤楝であり、赤楝を殺したのは詩織』だと思っていた。
が、茜凪は違うらしい。
「環那が、水無月や爛に『赤楝を殺したのは詩織だ』と言い切ったのですか」
「茜凪……?」
「はっきりとそう言い、その上で詩織を逃したのですか」
ついに視線が上がる。
翡翠色の瞳が、水無月の瞳と絡み合った。
納得できない、と言いたげな物言い。
水無月は眉をひそめ、茜凪の言葉の続きを聞き入れた。
「いえ……。はっきりと尋ね聞いたわけではありません」
「……」
「詩織が生きていたことは、私も知りませんでした。縹 小鞠を殺した者の名が春霞 詩織であると知り、赤楝の事件の際に環那が同族ゆえに逃がしていたのかと……」
水無月が素直な感想を述べる。
それは今まで誰もが感覚では理解できなかった話かもしれない。
河童と白狐、天狗と白狐、化猫と白狐、式神師と白狐。
だが、茜凪は環那に対し、白狐と白狐。
血筋もあり、兄を本能的に理解していた。
「もし、詩織が千与の仇討ちとして赤楝を殺めたのだとしたら」
憎悪に負けて赤楝を討ったのだとしても。
仮に意識をしっかり保った上での仇討ちだったとしても。
「環那はきっと詩織を許さないと思います」
「茜凪……」
「環那と赤楝……あなたたちの絆は、水無月や爛が心に留めているくらい強いものなんでしょう?」
「……―――」
「いくら環那が平和な世界を夢見ていたとしても、環那は友の命を奪った同族を逃してまで生かさないと思います。赤楝が、守護すべき朧の鬼を殺していたとしても」
盲点だった。と水無月は思う。
環那の個性、纏う空気やその場の重たい雰囲気に負けてしまい、それ以上は誰もが追求しなかったこと。
誰もが苦しくて目を逸らしてしまったこと。
蓋をしてしまい、開けられることのなかった真実。
赤楝が千与を殺したという謎。
そしてその赤楝が死んだという事実。
赤楝は心中なのか、と旭が聞いた時、環那はただ答えた。
その場には、詩織がいた。と。
「仇討ちをし、“千与の仇として赤楝を討った詩織”。でも、環那の目にはきっとそうは映らない」
「……」
「環那が喜重郎さんと一緒に生きてきた時間で、喜重郎さんの夢をきちんと受け継いだのならば、詩織が赤楝の命を奪うことは、“鬼も人も妖も平和に暮らす”という掲げた夢に反します。詩織を捕らえて、何か別の道を示したはずです」
水無月は目を凝らすことしかできなかった。
環那はいつだってへらへらしており、脈絡がなくて、おどけた男だった。
だが、誰よりも強く美しく、恐ろしかった。
理解に及ばず、誰の手にも届かないのが当たり前だと思っていた。
でも。
「赤楝が人であり、千与が鬼であり、詩織が妖ならば、三つ巴で怨みあっている」
でも。
環那を本当の意味で理解できる者がいたら。
その者から見る物語は、まだ。
「憎悪は争いしか生まない。だからこそ、環那は考えたはずです。憎悪の連鎖を断ち切るために新しい道を」
「(まだ……結末は―――)」
「環那が詩織を生かすのならば、理由があったはず。手元に置き道を示すのではなく、里から逃し、春霞滅亡からも救った経緯が」
茜凪は瞼をゆっくりと閉じ、そのまま立ち上がる。
狛神は視線でそれを追いかけ、背中に尋ねた。
「茜凪」
どこ行くんだよ。という意味で尋ねた。
狛神にも水無月にも茜凪は振り返ることはなく、廊下へ続く障子を開け放つ。
「水無月、話してくださってありがとうございます」
「茜凪……」
「少し、外の空気を吸ってきます」
ようやく半面だけ向けられた表情は、やはり落ち着いていた。
悲しそうな、寂しそうなそれに、水無月は環那の面影を重ねる。
年を重ねるにつれ、面影が似てきていることはわかっていた。
兄と妹なので似ても似つかぬ部分はあれど、ふとした時に見せる顔や空気はそっくりだ。
そのまま歩いて出て行ってしまった茜凪。
対して、相棒は未だに畳を睨みつけている。
烏丸の中にある思いは、詩織に対してのものでもあるだろう。
だが、一番強い気持ちは―――兄である爛に対してのもののはずだ。
「爛……」
弟は未だに納得できないという顔をしていた。
兄弟にしかわからないことがある。それは兄妹でも同じだ。
血を分けた者がいない水無月は、茜凪と凛を思い、環那と爛を思うのだった。
第二十六華
兄
八瀬の里は、歴史ある旧い里だ。
山奥にあることで人から鬼を守っていたこともあり、朝方はとても冷え込んだ。
東の空は既に太陽を示しており、陽光が射していた。
冬の葉をつけていない木々を見上げながら、光を浴びていた茜凪は空気中に含まれる水分がきらきらと光を放ち輝いているのを、目で追いかけていた。
「環那……」
春霞 環那。
茜凪の兄であり、同じく純血の白狐。
茜凪が生まれる前に亡くなっていたことは聞き及んでいたし、今まで彼のことを知っているのは藍人と水無月だけだった。
どんな人かは気になっていたけれど、なんだか藍人や水無月に尋ねてはいけない気がずっとしていた。
無意識に感じ取った直感能力で、彼らに深い傷を残しているとわかっていたからかもしれない。
実際、環那の幼馴染であると判明した爛や旭も、環那の死を未だに受け入れられていない。
それはその実、水無月もだ。
今回の話で、詩織についてのことが聞けたことはよかった。
彼女の出自が少しばかり判明したし、環那とも関わりがあったことも知れた。
もし環那が本当に詩織を生かしていたのだとしたら、環那にとって詩織は『生かしておかなければならない理由』があったはずだ。
でなければ、説明がつかない。
「(私なら、詩織が烏丸を殺したなら、きっと迷いなくその場で詩織を殺めてしまう)」
心当たりがある。
小鞠が殺された日の夜。
詩織を許せず、憎悪に負けて力を奮ったこと。
環那が出来た妖で、茜凪が未熟だとしても―――喜重郎の夢を本気で担おうと思った者ならば、詩織を全く憎まずにいられるのだろうか。
「環那が本当に詩織を生かしたのなら、詩織を生かしておかなければならない理由があったはずです……。その理由がわかれば、詩織について理解し、動機や目的に繋がるかもしれない」
詩織について思うことはただそれだけだ。
春霞が滅んだことも、覆しようのない事実なので聞き入れるしかない。
寂しいとは思うが、里にいたときの記憶は曖昧であり、茜凪の心に鮮明に蘇ってこない。
相模国・箱根連峰に里を構えていたことも初めて知った。
春霞が滅ぼされた理由が人からの復讐だと聞いても―――慣れてしまったからかもしれないが―――いまいちピンとこないのだ。
そして遡れば、春霞が滅んだ経緯に絡むのは絶界戦争がある。
その戦争で兄が人柱になり、神の化身を喰らって妖界を守った。
名誉ある死だと誰もが思っている。
だが、本当に茜凪の心に響いたのは語られた事柄や事実ではない。
もっと大切なことがあの物語には含まれていたことに茜凪は気付いている。
「環那は、人も、鬼も、妖も、平和に暮らすことができる世界を夢見てた」
喜重郎の夢。
重丸の父が描いた夢。
愛を知り得ず、探し続けた兄は、その夢の中に愛を見つけたのだろうか。
わからない。
ただ、わかるのは―――
「環那は赤楝を大切に思ってたはず……」
赤楝は人だったという。
物語の中ではそう語られた。
はぐれ者として、鬼の千与に拾われて、寂しさに耐えきることなく蛇に付け込まれた。
彼と生きた時間を、彼の死を、妖である兄はどう思っていたのだろうか。
「“人も鬼も妖も平和に暮らせる世界”……」
藍人はそれを継承した。
三頭の筆頭として、まずは妖界を平和にしてみせた。
次に菖蒲と婚姻を結び、人との繋がりを主張しようとした。
その最中……―――
「すべて、繋がっていたんだ……」
それは言葉だけの意味なら理解していた。
だが、水無月の語りを聞いたことにより、繋いできた想いがわかった。
藍人の夢も、彼が助け続けてくれた訳も。
菖蒲と水無月も。
爛の態度も、旭の態度も。
だから、斎藤に対して旭が述べたことも……―――。
多くの登場人物の想いを知ることができたと思う。
問題は次だ。
人と鬼と妖が共に生きて行く世界を目指すとしても、羅刹という妖の兵器を用いて詩織は人間の世にまた関与しようとしている。
人を虐殺する気でいるのだろうか。
妖界を滅ぼそうとしているのだろうか。
鬼に影響を及ぼしたいのだろうか。
どちらにしろ、詩織を止めるために、次の一手を考えたい。
「(そのためには……)」
―――春霞の里に、行くべきだと思った。
今まで帰ろうという気持ちは一切湧かなかった。
不思議なくらい、春霞が滅んだということを受け入れて生きてきた。
京や北見の屋敷、風間に世話になりながら、春霞と朧の里があることを幻のように考えていた。
帰郷するとして、茜凪は覚悟を決めなければならないと思う。
多くの者を救った環那の死、春霞の滅亡と、真っ向から向き合う覚悟だ。
その先に、例え今以上に誰かへ憎悪を覚えることになったとしても、乗り越えていかなければならない。
乗り越えられる覚悟があるのか、茜凪は茜凪を試さなければいけない。
「茜凪」
立ち尽くし、輝く朝陽を浴びながら茜凪は考え込んでいた。
そんな彼女に声をかけた者がいる。
髪を靡かせ振り返り、背後に現れた男を捉えた。
「水無月……」
似合わない質素な着物を身にまとい、それでも優雅な出で立ちで水無月は立っていた。
彼の手には、不自然に愛用している煙管が握られている。
「すみませんでした」
唐突な謝罪。
なんのことかと思いつつ、茜凪は歩み寄ってくる彼を待っていた。
「先程のこと、長らくお話できずに」
「……」
「本来ならば、年末に爛が別宅に来た時点で話しておかなければならなかったと思ってます」
―――なにも言えなかった。
今聞けたからそれでいいとも思っていたし、爛とて絶界戦争や詩織、春霞が滅んだことについて多少なりとも知っていたが、茜凪に話すことはなかったのだから。水無月だけが悪いとも思えない。
本当に彼らの胸中で、話したくないことだったのだろう。
それより過ぎったのは、弟である凛が兄に何を思ったのかという点。
「茜凪、貴女はこれからどうするのですか」
水無月は問いかけながら、煙管に火をつける。
不自然な場面での点火に、茜凪は目を細めつつも彼に答えた。
「春霞の里に……行ってみようと思います」
「……」
「里の跡地へ戻れば……詩織について何かわかるかもしれません。環那と詩織の関係も。もし残っているのならば、千与がいたという庵にも赴きたいと考えています」