24. 継承
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第二十四華
継承
「美しい紅葉だね」
ひらひらと舞う、紅い葉を見上げて環那は呟いた。
隣にいる、旭も同じく空を見上げている。
「北見の里はいつ来ても美しい」
「こんな戦の最中だってのに、前線から離れてるからな」
天保十五年 秋。
赤楝が死んでから、十数回の秋がきた。
あれから、過激化していく絶界戦争は人の世にも影響を及ぼし続けていた。
奇怪な死に方を遂げる人間の数は年々増加し、自然災害に見立てたやり口で人を襲う妖も出てきた。
人には気付かれぬように留意しながらも妖界の中は全面戦争の真っ只中。
その指揮をとり、妖界を守ろうとしていた代表が環那だった。
環那は今まで表舞台で目立ったことはしてこなかった。容姿は美しく、物腰も柔らかいが、好んで人前に出たい質ではなかったからだ。
そんな環那が指揮をとるために素性を明かし白狐の長の倅だと聞けば、誰もが力を貸してくれた。
赤楝が死んだ年に幕を開けた絶界戦争も、こんなに長く続くとは誰も思わなかったようだ。
白狐の数がもっと多ければ、結果は違ったかもしれない。
敵の猛攻を止めるための決定打が毎度打てず、戦を終結させることができないでいた。
そんな中、ついに敵方が動き出す。
妖界もろとも終わらせ、そして再生させる、という意味で常井が禁忌の御技を繰り出す準備を始めたらしい。
常井に伝わる禁忌の御技は、神の化身を呼び起こすと言われており、対抗するのは骨が折れそうだ。
もちろん術は考えていたけれど、発動されたら前線付近の人里にも影響が出るだろう。
今日北見の里へ訪れていたのは、北見の大老に禁忌の御技へ対抗策をより緻密に、共に考えて欲しいという依頼のためだった。
だが、会議は難航を極める。
北見の大老は、妖界の中でも歴史が古いが野心が目立つ者たちばかりだった。地位こそほしいが、戦の行方には興味がないとでもいうような態度。
収穫が得られないことに、環那はため息をついた。
気落ちしないために紅葉を眺めて気分転換に努める。
「やる気のないジジイどもはさっさと引っ込んで、指揮権だけこっちに渡してくれればいいんだ」
「まぁまぁ旭。誰も命を懸けて本気で人間のために戦おうとは思わないんだよ」
それが普通なのだ。
赤楝が死んでからの世も、人間と妖の溝は埋まることはなかった。
それは鬼と人でも同じこと。
なかなか上手くいかないのは覚悟していたが、成果が上がらず、夢が遠いことに環那は笑うしかなかった。
「人の世に、妖による遺恨が残らなければ、人間はいくら死んでもいいと思ってる奴が大半さ」
「……」
「僕たちだって、赤楝の存在がなければ同じだったかもしれないよ」
「……お前は優しすぎる」
「優しいわけじゃないさ」
―――まだ、弱いんだよ。
そう告げたいが、告げられなかった。
弱さと優しさは紙一重だと、環那はここまでの軌跡で痛いほど理解していた。
「そういえば、弟さんは元気?」
暗い話題から切り替えようと、環那は視線を旭に移した。
ひらひらと紅葉が舞う中、旭は環那に視線は寄越さない。
「まぁな。生意気だよ」
「そうだね、そうだった」
―――この頃まで時を重ねると、藍人は既に生まれており、将来は有望な式神師だと周りの大人に言われていた。
何をしても簡単にこなし、誰もが期待を寄せている。
まだまだ幼いせいか、絶界戦争が起きていることは理解しつつも、どこか自分には関係ないと思っている節はあったけれど。
環那がへらへらしながら、先日藍人と言葉をかわしたことを思い出す。
あれはなかなかに生意気だろう。
「旭にそっくり」
「なんだって?」
「それはそうと、柿が食べたい時期だねぇ」
脈絡がない環那の性格は、半世紀以上共にいれば旭もわかっている。
特に言い返すことなく、懐から干し柿を取り出せば、環那は目を輝かせて喜んでいた。
「ほら」
「すごいね旭。僕が食べたいものをいつでも持ってるんだね」
「た、たまたまよ。たまたま」
好意ゆえの優しさだったことに、環那は気付いていただろうか。
きっと……未来を見据えていた彼は、旭のことも考えて、見て見ぬふりをしていたのかもしれない。
旭もどこかでわかっていたからこそ、彼に思いを告げなかったのかもしれない。
「でも藍人は“人柱”だからな」
「……」
「我が弟ながら、距離を置いておこうと思ってる」
“人柱”。
旭から不吉な言葉が出てきてしまう。
文字通りの意味であり、常井の御技を止めるために必要だと仮定されていた。
春霞に伝わる名刀がある。
その太刀は、妖力を糧としてどんなものでも切り捨てると言い伝えられていた。
過去、関ヶ原よりも以前に妖同士の戦が起きた際にもこの太刀が用いられたと聞いている。
御技を止める一つとして上がった案が、この太刀で御技が発動したら即座に技ごと切り捨てるというもの。
神の化身と呼ばれるほどの技なので、一筋縄ではいかないだろう。
よって、妖界の大老たちは妖力がより優れ、そして秘めたる妖力が多い者を人柱とし、春霞の太刀に斬らせようとした。
人柱を糧に御技を止め、絶界戦争を終わらせようと考えたのだ。
だが、考えるだけでどの一族も人柱を出したがらなかった。
そこで白羽の矢が立ってしまったのが、旭の弟・北見 藍人だったのだ。
彼は妖力も強く、若さの割には大老たちをも凌ぐ量を秘めていた。
天才だと呼ばれ、持て囃されていた。
彼を面白く思わない者も同族、異族にまあまあおり……子供ながらに藍人が人柱になるように会議にて仕向けられてしまったことは記憶に新しい。
「藍人に情が湧けば、あいつを人柱にするのが辛くなる」
旭が納得しようと言い聞かせているのが環那にはわかった。
随分と年の離れた弟だったこともあり、多忙ゆえに関わりが元々少なかったと前に聞いたことがある。
思い出が少ないのをいいことに、弟が人柱になることを考えないようにしているのだろう。
「藍人が旭の弟であることに変わりはない。代わりもいない」
「……」
「なにか方法を考え続けよう」
そして、旭が顔色ひとつ変えずにそれを認めていることが悲しい。
環那はまだ見ぬ妹のことを思いながら、瞼を閉じるのだ。
「僕は妹に会えることが楽しみなんだ」
先日、旭と共に買った―――妹の出生祝いの鏡。
懐に大事に仕舞いこんだそれを、環那は楽しみに待っていた。
「旭も、藍人を諦めないで欲しい」
「……考えておくよ」
激化していく絶界戦争。
環那が旭に託す願いのひとつだった。
―――それからまた日をおかずに北見の里を訪れていた環那。
今度は水無月の里が襲撃にあったことが報告に上がり、綴の安否を確認していた頃だった。
北見の里の大門に、爛と綴がやってきたのは。
「綴、爛」
「おう」
「久しいですね。変わりなさそうで何よりです」
大門に出迎えに来たのが旭と環那だったことで、幼馴染が集結する。
顔を見合わせ、傷だらけの綴に環那は心を痛めていた。
「綴、怪我は……」
「なんてことありません。襲撃はされましたが、里も半壊程度で済んでいます。敵を撤退に追い込めたのは、環那が指揮してくれた白狐と狢磨の部隊がいたからです」
感謝しますよ。と続けた綴に、環那は顔を逸らすばかり。
爛も旭も話を聞きながら、そろそろ本当に常井の御技が発動されてもおかしくないんじゃないかと思ってしまう。
「ここ最近、他方への襲撃を間を置かずに繰り出しているのを見ると、本当に最終局面かもしれないな」
「えぇ。敵も疲弊しているのは見て取れます」
「とすると、常井がそろそろ出張るかもな」
「……」
「人柱、旭の弟なんだって……?」
爛が気にしつつも確認するように尋ねる。
爛と藍人は面識がまだなかったが、噂は聞き及んでいた。
旭の辛そうな表情を見ると、つい綴も顔を逸らしてしまう。
「……―――」
ふと、環那は久しぶりに集まった幼なじみの顔をよくよく見つめた。
男前なのは昔からだが、逞しい体つきと顔つきになった爛。
線が細く美しいという言葉が似合う、頭脳を兼ね揃えた綴。
女ながらに戦場に飛び込めば、その強さで他者を魅了する旭。
大人びたのは時代の流れが原因だが、長い時間を共に歩んできたことを実感した。
本当ならばここに、赤楝もいたはずなのだ。
彼ならば、どんな大人になっていただろうか。
齢二十程度で命を終えた彼は、どんな顔つきでここに並んだだろうか。
そして、ここから先……―――爛や綴、旭はどんな風に歳を重ねるのだろう。
見てみたいと思うし、守りたいと思う。
それは、藍人に対しても同じ気持ちが湧くばかり。
「あのさ」
―――琴線が弾かれる音が脳内で響く。
環那の中でまた、未来を予測する力が働いた。
この力を備えたことを、どれくらい悔いたか。
知り得たとて、助けられてきた命は少ない。
そうなるとわかっているのに、運命を変えることができず、見送るだけの役目が辛かった。
「僕の妹が生まれる予知の話、したじゃない?」
「環那?」
「なんですか、急に」
だからといって、この力からも役目からも逃げたいと思ったことは一度もなかった。
「茜色の瞳をした、色素の薄い茶髪の愛らしい妹が生まれてくる予定なんだけどさ」
突如、また脈絡なく話始める環那に、爛や綴が目を丸くする。
旭は藍人とのことがあるからこそ、環那が言いたいことを汲み取ろうと真剣に見上げてきていた。
「もし。もしね、僕の妹が困ってたら、」
―――願いを、託したい。
夢を実現させるところまでいけないと悟った日、残すものはなんだろうと考えた。
この夢を背負わせるには重たすぎて、道半ばで重圧に仲間が倒れるかもしれない。
人も鬼も妖も、平和に暮らす。
言葉にしても、難しい夢だった。
「助けてやってほしいんだ」
ならばせめて、環那のちっぽけな願いを託したい。
きっと、全力で誰もが叶えてくれる。
「きっと天真爛漫の御転婆で、頑固で、こうと決めたら曲げないし、狐のくせに猪みたいな子だと思うんだけど」
脳裏に過ぎる未来。
間近に迫る未来が見える。
真っ赤な炎に抱かれながら、身が朽ちていくのがわかる。
「僕の自慢の妹になる予定だから」
あぁ、人柱は藍人じゃない。
能力が伝える未来は、藍人を生かし、自身を糧に化身を斬る環那だった。
そうか。
やはり、そんな未来になる。
選んだ道は間違いじゃない、と環那は笑ってしまった。
「(そうだよ……藍人が人柱になるには、若すぎる。これから未来ある少年を犠牲にすることなんて……できない)」
右腰に佩いた太刀に触れた。
この太刀で斬るのは、妖力の糧になる子供であっていいわけがない。
藍人を斬るために、幼少期からこの幼なじみと修行をしてきたわけではないのだ。
「(僕は甘いな……。巷でいう武士にはなれない)」
だが、甘いといわれようが仲間を誰より思う心を掲げて、戦ってきた。
「(でも藍人を斬り、僕が生かされる未来は……僕の武士道に反する)」
それが環那にとっての武士道だった。
己の信念は、仲間を守り悲しみのない世を築くこと。そのために戦ったのだ。
「当たり前だろ、そんなの」
環那が独白に没頭していた最中、気の抜けた、それでいて鋭い一言が届いた。
顔をあげれば、爛が相変わらず男前な表情で環那をみている。
彼はいつだって誠実だ。真っ直ぐで、頼りになる。
「環那の妹なら、俺の妹のようなもんだからな。改めて言われるまでもねぇし」
「爛……」
「あんまりにも美しかったら、俺の嫁さんにしちまおうかな〜?」
爛がこの場を和ませるために発した一言が、何十年もの時を経て未だに口癖になっていると誰が予想しただろうか。
綴と旭が思わずくすりと笑い、
「それならば、爛が環那の義弟というわけですか」
「ははっ、すげー家系図」
「義兄様!ってか?」
なんて続けるものだから、戦争の最中の一場面だなんて思えないほどに笑ってしまった。
そして続けるのだ。
「えー、爛が弟はいやだなぁ」
「おい、俺に失礼だろ!確かに俺も凛がいるから自分は兄貴って感じしかしねぇけど!」
ちょうどこの時期の爛は兄になっていた。
まだ生まれたばかりの凛を守るためにも、爛は負けられない戦いがあると自負している。
兄弟がいないのは綴だけであり、だからこそ旭の弟が人柱だという点は自分のことのように爛も辛かった。
「ま、とにかく生まれてくる未来予知ができてる妹のことは任せろよ。困ってたら面倒みてやるって」
「でも、今あなたがそんなこと言うと縁起でもないですよ。環那」
「いつもの悪い冗談だろ」
爛、綴、旭と続けて環那の言葉に返事をする。
口は悪態をつきつつも、綴も旭も満更ではなさそうだ。
環那は、安心する。
未来に環那が、兄がいなくても。
生まれくる新しい命が、茜凪が路頭に迷うことはないだろう。
必ず誰かが助けてくれる。
願わくば、その世はどうか穏やかで、平和な世になっていることを。
そのために、命を賭して戦うから。
「 ありがとう 」