21. 囚縛
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『探しに行こうぜ。その鬼を』
『一緒に探してやるからさ!』
爛が残した言葉が、赤楝の心で木霊する。
温かくて、忘れられないものになる。
あぁ、仲間とはいいものだ。
迷い、立ち止まり、つらくてすべてを投げ出そうとするとき、必ず赤楝を思い留めてくれた。
そんな仲間と肩を並べ、隣に立てる存在になりたい。
たとえ、妖のくせに妖力が微塵も感じられないのだとしても。
自信を持って生きていけるように。
願い、前へ進むために歩みだした一歩は、赤楝を間違いなく推進させいようとしていた。
―――天保二年 冬。
年明けから数月経過したこの頃までは。
「赤楝~」
爛と赤楝が語り合った夜から早一年の月日が流れていた。
さらに年を重ねた彼らだったが、喜重郎の道場で顔を合わせる間柄は変わらずだった。
絆はきちんと育まれ、大切に繋がっていた。
しかし大人になった彼ら、彼女たちの多忙さは極まるばかり。
旭は北見の里にて役目を負うようになり、道場へ来る機会は一年前よりもめっきり減っていた。
綴も同じくだ。
水無月の一族は八瀬の守護なので、京に近い者として役目も多いのかもしれない。
さらに変化したことはこの一月、環那の体調が優れないようで道場から里へと戻って養生することが増えていた。
白狐の体は特殊だと聞いていた彼らは、ついに環那に成長期が訪れるのではないかと感じる。
離れてしまう心細さは赤楝にも爛にもあったが、再会を楽しみにしていた。
「まだかよ~……」
「あと少しだから」
「俺もう腹減ったんだけど〜」
赤楝が自然と共に過ごすことが増えたのは、彼を気遣い道場へ来る頻度を高めた爛だった。
そして爛の長所の一つである男気は、赤楝との約束を果たしていた。
この一年、本当に千与を探すために、人里へと繰り出していたのだ。
爛の天狗の翼のおかげで、遠方にも出かけることができるようになった赤楝は、京はもちろん、若狭、山城、摂津、丹後、備後、近江、和泉、播磨などの地域を巡り、一気に聞き込みを行うようになっていた。
そろそろさらに範囲を広げてみてもいいと考えていた。
幼かった赤楝は、正直どの地域で千与と別れたのかも覚えていなかった。
痛めつけられ、意識を失い、目を覚ましたのは一月後のこと。
彼を哀れんだ僧侶のもとであった。
お礼をし、寺を出たときにいた場所も地名を聞くことなく出てきてしまったため、不明確だ。
赤楝からしてみれば、人に痛めつけられたので人である僧侶に世話になることに嫌悪感があった。誰にも弱さを見せたくなかったこと、最も慕っていた相手を失った悲しみに耐えようとした結果、急いてしまった。
爛は、赤楝が記憶を曖昧にしていて捜索が難航したとしても、文句のひとつも言わずに付き合ってくれた。
「とりあえず昼飯食おうぜ!?もう限界だってば~」
「はぁ……。旅籠はあと一件だけですから、もう少し我慢してください」
空腹には文句たらたらだったけれど。
第二十一華
囚縛
空腹への我慢が利かなくなった爛はうるさい。
昼餉を急ぐことになった赤楝は、旅籠の道すがらにある蕎麦屋に爛と二人で立ち寄った。
今は出雲国の国境。
天気もいい冬晴れの日のことだ。
注文した蕎麦を口にしながら、爛は嬉しそうに頬を溶けさせている。
赤楝は見守りつつ、一緒に来てくれた彼へひたすらに感謝をするのだった。
それでも、爛には千与の名前は最後まで告げることはなかった。
鬼という話をしただけで、彼女が希った約束をなんとか守ろうと努めていた。
爛は鈍感に見えて、繊細で聡い。察してくれたようで、赤楝に鬼の名前を聞こうともしなかった。
―――そして赤楝も最後まで知らなかった。
爛が千与の名前を知り得ていたことを。
幼き頃に手記を見てしまっていたことを。
「にしても、こんだけ探しても見つからないな。赤楝の鬼さん」
「えぇ……。七年も経っていますからね……」
爛が月見そばを豪快に啜りつつ、赤楝の赫灼の目を見つめる。
黒く艶のない前髪から覗く一重の瞳は、以前より強さを魅せていた。
が、爛はそれでも赤楝が憎悪に飲み込まれないか不安を拭い去れなかった。
明確な理由はわからない。
ただ、赤楝から目を離すことができず、そわそわと恐怖感に駆られてしてしまう。
「私にもう少し、意気地があれば、爛に話をして早く来れたかもしれないのに」
ぽつりと零される悔い。
爛は陰る赫を見たまま、彼がさらに気落ちしないように……わざと笑顔を見せた。
「どっちにしても連れてくるのは俺ってわけだな?」
「あ」
そんなつもりで言ったわけではないが、結果そうだな。という顔をした赤楝。
顔を見合わせてぷっと吹き出せば、一時恐怖感は拭われる。
「だって、環那はまだ子供で爛のように獣化できないじゃないか。俊足で本人は走れても、私はついていけません……」
「確かにな!環那に背負ってもらうのも格好悪いしな」
「その点、爛は獣化できますよね。感謝してます」
「まーな!」
そのあとボソリと、「獣化しても子供姿の環那に勝てないことがおかしい」なんて吐き捨てていたけれど。
そうして穏やかに、昼飯時は過ぎていく。
「んじゃ、次は伯耆国か?」
「まだですよ、最後の旅籠に聞き込みに行きますから」
「あ〜へいへい」
さっさと食事を終えた爛は、口に楊枝を咥えながら赤楝が食べ終わるのを待っていた。
そのうち、甘味が欲しくなったようでふらふらと店内から出て行ってしまう。
こんな爛もいつものことだったので、赤楝は特に気にも留めていなかった。
環那と爛の距離が縮まったあとから―――赤楝誘拐事件以降―――もともと赤楝と爛も仲は良かったが一年の歳月で、以前より心の距離を詰めていたのは間違いなかった。
箸で持ち上げた蕎麦を啜り、温かいつゆが絡まるそれを楽しむ。
山芋をかけた月見蕎麦は程よい味で心にしみた。
うんうん、と頷きながら爛を待たせないように急いで食していたが、喉につまりそうになる。
「あまり急ぎすぎも、蕎麦に失礼ですね」
よく噛み、よく味わい、よく感謝しよう。
根が真面目な赤楝は、自身にそう言い聞かせ、湯飲みを傾ける。
さっぱりとしたほうじ茶を口にしたあと、再び箸で蕎麦をつついた時だ。
「もし。そこの御仁」
耳元。至近距離で、声がする。
正面を向いていた赤楝は、半面を動かして声をかけてきた相手を見つめようとした。
が、動けなかった。
ぴったりとくっ付いたといってもいい距離に、その者がいたからだ。
「な、んですか、貴方は……」
そう返すので精一杯だ。
声の低さからして男であるのはわかる。
ねっとりとした、既視感を覚えた。
「先程の御仁と貴方は、ご友人ですか?」
振り向けない。
殺気に似た感情が向けられているのがわかる。
首元に縄を回されたような、命を握られている感覚がした。
「……っ、見ず知らずの方に答えるつもりはありません」
ようやく気合で返事を返し、背後に付き纏う相手に反撃しようと腕を構えた。
背後にいるのであれば、差した脇差で打って出ようかと考える。
が、相手は余裕があるようだ。
赤楝の返事を聞いてぬるりと笑う気配がした。
「そんなに警戒しないでください。私は貴方と同じ志を持つ同胞ですよ」
「え……」
同胞。
そう聞き、思わず動きが止まる。
感じられる鋭い気配。殺気に感じられるそれは、妖たちの間では妖力と呼ばれる気だ。
刺すように肌にちくちくと存在感を与える気配に、赤楝は相手が妖だと察する。
「七日前にも近くにいらしてましたね? 備後の国境から出雲にやってくるときに、すれ違いました」
「……っ」
「その時の貴方を見て思ったのです。貴方も私と同じものを抱えていらっしゃる、と」
未だ相手の顔が見えない。
ぴったりと背後につけられ、首筋から背筋までを嫌な汗が伝っていくのがわかる。
「あぁ今、私は臆している」と赤楝は自覚した。
背後の相手の言葉に、気配に、存在に睨まれ、殺されそうになっている、と。
「心の奥底に、拭いきれない憎悪」
「―――」
「それは、鬼も人も妖も、等しく育てることのできる感情」
「(育てる……?)」
「今こうして息をしている間も、貴方は目の前を行きかう人間を殺したくて仕方がない」
「っ……」
「己に苦々しい記憶を植え付け、消えない痛みを残した人間を屠りたくて仕方ない。最愛の鬼を奪った人間を許しはしない」
「やめろ……」
「そしてその力が貴方にはある。勇気が貴方にはある」
「やめろ……っ」
「貴方にないのは妖力のみ」
「やめてくれッッ!!」
ガシャン!!と音を立てて、丼がひっくり返る。
食べかけの蕎麦がこぼれ、床にシミを広げていく。
思わず立ち上がり、ついに勇んで振り返った赤楝は背後にいた男に刃を突き立てた。
しかし、ぬるりと影が伸びただけ。
そこには誰もいなかった。
「な……」
「貴方はご自身の出自を知りたくはないか」
「!」
「朧 千与の居場所を知りたくはないか」
「お前、千与様を……!?」
誰もいないのに声だけが鮮明に耳に残る。
ぞわりと逆立つ肌と、行方知れずの鬼の名に腹部に熱が籠るほどの怒りを感じた。
臆しているのか、憤怒しているのか、赤楝は自身で説明がつかなくなる。
「縹 喜重郎に話を聞くといい」
「なんだと……?」
「君に隠し事をしている者の正体がわかるさ」
「世迷言を……ッ」
「瓦解し、その真実を知った時、赤楝。お前はどんな答えを出すか教えてくれ。答えが出る頃……また会おう」
線香が消えるように、すぅ……と朽ちた気配。
残されたのは、店内で一人で暴れた赤楝を見る好奇な視線を向ける人間たち。
ひっくり返った丼を見つめながら、赤楝は眉をぴくぴくと動かし、目を細めた。
床に広がるシミから逸らせずにいる。
「お、お客はん……」
「く……っ」
店主が恐る恐る赤楝に声をかければ、彼は走り出すしかなかった。
暖簾を潜り、行くはずだった旅籠とは逆方向に進みながら赤楝はすれ違う人間を鋭く睨んでしまう。
「(私は……、私は……!)」
千与を奪われた苦しみ。
侍に心身ともに痛めつけられた過去。
見つからない自分の正体、出自。
己が誰なのかは、千与が与えてくれた。
赤楝。
赫い瞳と艶のない黒い髪を千与は綺麗だと言ってくれた。
容姿になぞった名前。千与が与えてくれたそれを、赤楝は誇りに思っていた。
だが、千与を奪われたことでまた「私は誰か」という疑念が強くなる。
自責の心は弱まることを知らず、責めて責めて責めていた。
「(私は、人間を怨んでいる……でも、殺したいのだろうか)」
擦れ違う人々が好奇な目を向ける。
全力で走り、険しい顔をした戦装束の男はそれは好奇に映るだろう。
だが、赤楝はただの好奇とは受け取らなかった。
己が普通ではないから、そんな目を向けられるのだと感じていた。
軒並みの角。
出会い頭であたりをよく見ずに曲がった赤楝は、町娘の人間と肩がぶつかってしまう。
「きゃ……っ」
相手は衝撃によろけ、そのまま尻餅をついてしまった。
見上げた先に、鋭く瞳孔を開いた赤楝がいれば町娘は声を潜めて怯えてしまう。
赤楝は、町娘から向けられるその視線すら気に喰わなかった。
「そんな目で私を見るな……」
また心が脆くなる。
独りぼっちの寂しさ。
妖の中にいても、自分はどんな妖なのかもわからない爪弾きにされた実感。
どんな輪にも入れない。
同じ気持ちになってくれる者が、どこにもいない。
世界でたった独りの自分。
見ず知らずの者に、心の中に隠していた感情をたった一度の邂逅で言い当てられた。
爛や環那が出会った頃から気にかけてくれていた事実を、簡単に。
それほど赤楝は他人から見ても人を怨んでいるように見えるのか。
ならば、その憎悪すら己の糧にできない無力な自分は何なのか。
「ひぃ……ごめん、な……さ……」
「私を……」
「ごめんなさ……―――」
「見るなァァァァ!!!」
心の中に赤い蛇が現れる光景が見えた。
爪先を、踝を、両脚を、両腕を、胴を、首を、細くて長い鱗が捉える。
うねうねと動き、廻りながら確実に赤楝を捕えていく。
『 ヨ ウ コ ソ カ ガ チ 』
赤い蛇が囁く。
しゅるると音を高鳴らせて舌を出している姿は笑っているようだ。
囚われた身である赤楝は、他人事のように蛇と向き合い虚ろに考えていた。
黒く赤い空間に飛ばされた今、不思議な高揚感がある。心地よく、気持ちがいい。
迎え入れられた。
初めて認められたような感覚。
爪弾きにされ疎外感を感じていた頃の自身から生まれ変わったとすら思った。
そして……―――。