18. 愛護
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縹家の者による、赤楝誘拐事件が起きてからはや数日。
当事者である赤楝が寝静まり、月夜が美しい葉月の終わり頃。
ひとり、月見で晩酌をしていた喜重郎に環那は音もなく近付き、声をかけた。
「師範」
「ん? どうした環那」
眠れないのか?なんて付け足されれば、環那は喜重郎の親心のようなものを感じてしまう。
縹 喜重郎は強く、気高く、優しさに満ち溢れた戦士だ。
里にいる立場の者ならば、間違いなく長や隠密の頭に選ばれるべき人材。
喜重郎の弟子であることは、もはや環那の誇りだった。
「すみません、夜分に」
「いや、構わねえさ。俺も眠れなくてな。手酌で一杯、月を見ながら楽しんでたところさ」
だからこそ、見過ごせないことが環那の中でひとつあった。
どうしてもこのまま黙っていられると、納得できないことが。
「……で、どうしたんだ」
「……」
「赤楝が寝た後、わざわざ一人で訪ねて来たんだ。なにか聞きたいことがあったんだろ?」
もはや誤魔化せないことは喜重郎も承知していた。
しかし、できるならば触れないでほしい。そう願っていたからこそ、ひとつの嘘をついていた。
「師範なら用件はお気づきかと思います。話していただけませんか?」
―――赤楝が攫われた事件。
喜重郎と同じく縹家の者の襲撃だったにも関わらず、赤楝や爛に対して喜重郎はろくな説明をしなかったのだ。
ただ『同じ一族として申し訳ない』と謝罪をし、里宛に報告書を出したのみで対処した。
どうして赤楝を襲って来たのかも、巷で起きている人攫いについての理由も『俺も知らないんだ』で終わらせてしまったのだ。
環那が仕入れた噂によれば、近頃の縹家はごたついているという。
妖界の中にも人への復讐心が消せない者がいる。
その多くは縹や、多々良、狛神などにいると聞いていた。
人を襲う妖が増え、それを止める妖が生まれた。人の歴史に形跡を残してはいけないという……暗黙の了解を守るために。
人を殺したい、復讐したいと暴走する一族の者が、縹家には多いのだろう。
お家柄のことは、いくら異種を受け入れているという道場だとしても隠しておきたいのはわかる。
まして子供に話したくはないのだろう。
環那もそうは予測できた。
しかし、なんの説明がないのはやはり納得はできない。
赤楝が危険な目に遭ったのだ。
いくら師範が相手でも、筋を通して欲しい。慕っている相手だからこそ、願っていた。
「……そうか。そうだよな」
まるで環那を待っていたかのように、喜重郎は酒を口にする。
胸の内の罪悪感を吐き出したかった。吐け口が酒という結果になった。
そう見えて仕方ない。
「すまないな。危険なことに巻き込んで」
「……師範、知り得ていれば、僕たちでも力になれることがあると思います」
環那は決して引かなかった。
静かだった世界に、人攫いが来たことで生まれた、波紋。影響。
ここで理解し、対処しなければならないと……環那は未来を予知している。
―――弟子の茜色から逃げられないと本気で思ったのだろう。
小さく呼吸をしたあとに、喜重郎はぽつりと語り出した。
「環那、おまえはいくつになった」
唐突な問い。
眉間に皺を刹那寄せた後……必ず答えてくれると信じ、環那は答えた。
「十二です」
「そうか。元服まで案外すぐだな」
「まだまだ未熟ですけどね」
喜重郎を見ていると、環那はいつも春霞の里にいる両親を思い出す。
親心とは、喜重郎が自分に向けてくれる心と、きっと同じなんだろう、と。
それが実の親でないからこそ、よく見えると感じていた。
「それなら十二の環那に問う」
「はい」
「誰かを心から愛したことはあるか」
それは、予想外の問いかけだった。
来るであろう、どんなものよりも深く、重く、未知なるものについての問い。
「……、」
剣について。妖界について。
人について。鬼について。
力について。歴史について。
心について。在り方について。
いろいろなものを学び、これからも磨いていくつもりだが、そのどれにも属さないもの。
愛。
しばし考え、思い返し……―――環那は額に汗を浮かばせながら視線を下げた。
「恐らく……恋慕という意味では、誰かを愛したことはないと思います」
「……」
「父上や母上、里のものたち、爛くんや赤楝、旭や綴のことは大切です。ですが……愛と言われると、一般的に囁くあの愛とは、異なる気がします……」
喜重郎が問いかけている『愛』は、恐らく恋慕や異性に向ける純真なものを言っている。
察することはできていたが、経験したことはなかった。
「そうか。存外、お前は一番疎そうだな。環那」
「う……」
「意外と赤楝や爛の方が早く嫁さんをもらうかもしれん。綴が一番早そうだけどな」
がはは、と笑いながらまた銚子を傾けていく。
お酌を買って出れば、喜重郎は嬉しそうに微笑んだ。
それからまた一拍置いて。
喜重郎が隠し続けたことを話してくれた。
「―――俺はな、人の子を愛しているんだ」
「え……―――?」
それは、環那の中にある人生の分岐点のひとつになる、青天の霹靂だった……。
第十八華
愛護
喜重郎から明かされた想いに、環那はすぐに反応ができなかった。
この頃の環那は、多種多様なものを受け入れる心を持ち合わせる意識をしていたが、人間相手には特別な感情を持ったことはなかった。
妖の常識として、人間は憎悪の対象になっている。
環那個人は、個体の人に対して憎悪を感じたことはないけれど、近付こうと思ったことは一度もなかった。
そんな人間相手に、自身が慕う強者たる喜重郎が、まさか関わりを許されない人間に恋をしているなんて。
「妖は人とは生きる速度が違うだろ?人間より妖は長寿だ。人を愛するのは辛いってわかっちゃいるんだがな……」
「……」
「おまけに、縹家は人を怨んでいる者が多い。そういう風習を持った一族だからな。だが俺は昔から、人に対して別段怨みを感じることがなくてよ」
喜重郎も、環那と同意見だったようだ。
環那は人を愛してはいないけれど。
「昔から、友人が人間に対しての恨みつらみを言うたびに、疑問を感じていたほどだ。俺は里の中では変わってんだな、と自覚して生きてきた」
そんなある日。
喜重郎にある奇跡が訪れる。
「今から数年前だ。若狭国の国境で、俺は拾いものをした」
「拾いもの?」
思い出すかのような、懐かしい目で月を見た喜重郎。
環那も思わず目を細める。
「あぁ。春先の温かい日でよ、でもまだ夜は寒くてな。街道沿いの獣道を歩いてたら、地蔵さんがいくつも並んでてよ……。その端っこに、まぁるく包まれたお包みが置いてあったんだ」
「……、もしかして―――」
「そうさ。食べもんだったらいいなって目的で近づいたんだがよ。それは人間の……―――捨て子だった」
口減らしにあったのだろう。
生まれて間もない、人の女の子だったそうだ。
「まだ目だってろくに開けられやしねぇ、ちっこい娘でな。俺はその時初めて人間の赤ん坊を見たよ」
なんてことない、妖の子供と同じだった。
ただ、妖力があるのかないのか。
ただそれだけの違いだと思った。
「それで……その子供、どうしたんですか」
「さすがに俺が里に持ち込んだら、すぐさま殺されるのは読めてたさ。だから人里に降りて、僧侶に頼んだんだ。引き取ってくれって」
「……」
「僧侶は受け入れてくれた。捨て子は日常茶飯事だったのかもしれないな。俺とその娘の縁は、それきりだと思ってた」
もしや、と環那は雲行きが怪しくなる師範の顔を見て嫌な予感を感じていた。
彼の言葉を聞く前に、早急に結論を求めてしまった。
「もしかして師範が恋している方って、その赤子じゃないですよね……?」
「い、今はもう赤子じゃないさ!お前らと同じか、少し幼いか……それくらいまで成長したんだ!」
「うわぁ。信じられません」
「お、おい!罪人を見るような目をするな!」
「どうせ僧侶に預けてからも気になって、ずっと見守って来たんでしょう?そうしているうちに情が湧いて、いつしか親愛になってしまったと」
呆れた。と本音では思ってしまう。
だが、それを聞いた上で喜重郎を拒絶できないのは、彼の為人を知っているからだ。
喜重郎は、お人好しで誰にでも優しくて……頼れる父のような、そんな男である。
「お、お前の言う通りだ、環那……。情けないことにな」
「まぁ、預けたとは言っても、長い年月を見守り続けてしまったのならば、情は湧くでしょうね。で、その事実が里にばれて縹家を追い出されたってところですか」
「ばれたんじゃない、こちらから明かしたんだ」
「は?」
思わず環那は喜重郎を二度見する。
縹家の血をひき、博識な彼ならば、里で『人間を愛しています』なんて言おうものなら命がいくつあっても足りないことを理解していたはずなのに。
「ど、どうしてそんなこと……」
「若狭国で、大量の人間を虐殺するって計画を聞いちまってな。あの娘に危険が及ぶのは許せなくてよ」
「……」
「当時、俺は戦闘員の部隊組頭でよ。次期頭首への推薦もきてたんだが……つい感情的になって、本音を話ちまってさ。頭首になれていたのなら、もっとうまく今の妖界を収められていたかもしれない」
「師範……」
「後悔してもし切れないぜ。たった一言で取り返しがつかなくなった。里からも追放され、行く宛も役目もなくなった俺は……俺にできることをするために、ここで道場を開いたんだ」
―――環那は一瞬にして理解する。
どうしてこんな辺鄙な地で、喜重郎が道場を開いているのかも。
なぜ、異種族での交流ができる変わった趣で武術を広めているのかも。
「(その人の娘を縹から守り……今の妖界の在り方を返る為)」
環那は、もう喜重郎を責めることができなかった。
喜重郎は、身を賭し、その娘を想っている。環那にはない、大きな気持ちだ。
そんな気持ちも、覚悟も持っていない環那が……愛した相手が人の娘だからという理由で、喜重郎を責めることなんて出来なかった。
「ここまで話せば、俺の事情はわかるだろう。縹家が赤楝を狙ったり、この近辺の者を攫い巷を騒がせているのは、俺への当て付けなのさ」
「……」
「縹は人を許さない。猫は気まぐれに見えて、嫉妬深くて執念深いんだ。関ヶ原の遺恨は消せるものじゃないだろう」
それでも。と喜重郎は続けた。
「諦め切れないのさ。あの娘を想うことも、今の妖界をそのまま捨て置くことも、俺にはできん」
「……」
「妖界を内側から変えていくには、いま起きている争いを止めなきゃならん。だとすると、関ヶ原の合戦以前のような……異種族の交流をし、互いの協力がなければ成し得ない」
途方もない計画だ。
何十年かかるか分からない。
だが、喜重郎は妖も、妖界も、そして人すら守ろうとしている。
その一端を担っていることを知った環那は、愛という原動力は凄いものなんだと思った。
まだ経験したこのない、強い想い。
いつか、それを知った時……環那は自身ももっと強くなれるだろうか?と月を見上げて思う。
そんな日が来ればいい。
喜重郎が出会ったような、己の運命すらも変えていくほどの強い想いを向ける相手に出会いたいと思った。
「恐らく、これからも縹の者は定期的に現れるだろう。なるべく俺が対処していくつもりだ。だが、お前たちも自分の身は自分で守れるよう、修行に励め」
「心得ております」
首を下げ、己が師に忠義を誓う。
喜重郎は父のような微笑みを絶やさずに、最後に環那へ告げた。
「環那、お前にもいつかわかる日がくる。故に、どうしようもない壁にぶつかり、八方塞がりになった時……思い出してくれ」
「……」
「四面楚歌、背水の陣である時こそ、己が力で第三の道を切り拓くのだ」
―――そして、そのためにお前の武士道を貫いて……力をつけていってほしい。守るべきものを護れるように。
月夜に照らされた時間。
喜重郎と環那の語り合いだった……―――。