15. 赤楝
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「ねぇ、烏丸くん」
「ついてくるな!」
「今日とても暑いでしょ。僕、このあとの昼餉は素麺にしようと思うんだけど、一緒に師範の勝手場を借りて作らない?」
「作らねえ!」
「素麺だったら夏バテ気味の烏丸くんも、きっと美味しく食べれると思うんだ」
「バテてねえし、食べねえよ!」
「ちなみに薬味はなにがいい?僕は油揚げはもちろんだけど、山葵が好きでね。山葵は素麺にも合うからおすすめだよ」
「はぁ!?素麺の薬味っつったら胡麻だろ!わかってねーな!」
「そういえばこの間の妖術だけど、疾風の術を使うならもう少し低空飛行した方がいいと思うんだ。助言として聞き入れてくれたら嬉しいなぁ」
「俺の話聞けよ!好きな薬味は胡麻だって答えたんだから!むしろ返事に対してもう少し深掘りしろよ!?」
「ところで、爛くんって呼んでもいい?」
「術の助言も藪から棒だな!?お前の助言なんてなくてももうすぐ出来るようにならぁ!」
「爛くん、まんじゅう食べる?僕のおすすめなんだけど、半分こしない?」
「〜〜〜〜っ、お前脈絡ねぇな!?話してて頭おかしくなだろうがーッッ!!」
第十五華
赤楝
―――環那が喜重郎の道場に弟子入りしてから、おおよそ二月が経過した。
季節は春から夏になろうとしている。
日差しが強くなり始めた丹波国は、決して過ごしやすいといえる気候ではなくなっていた。
初日以来、環那と爛の関係は進歩することなく、冒頭のような会話が進行するのみ。
決して仲がいいとは言えない間柄だった。
そんな環那と爛を見守りつつ、道場主である喜重郎は本日も弟子である四人に稽古をつけていた。
「爛、環那。そこまでだ。綴、旭もそろそろ再開するぞ」
「はい、師範!」
「ったく、狐野郎が来てから精神的に疲れるぜ……」
「そうかなぁ?僕は爛くんと日々仲良くなれてて嬉しいけど」
「仲良くねえ!気安く爛って呼ぶな!」
「もし。二人とも落ち着いたらどうですか」
「そうよ!爛も環那のこと受け入れたらいいでしょ」
爛はまさに精神的な孤立状態であり、天狗と狐の事情を汲んでくれる者は道場には誰もいない状態だった。
ブーブー文句は言いながらも、喜重郎の稽古は楽しみなので休むことはしなかった。
それは環那も同じようで、稽古のたびに爛が道場にやってくるのを楽しみにしていたそうだ。
環那の里は、相模国・箱根山の一角にある。
丹波国に日々通うには距離がありすぎる。
俊足で走れるといっても、険しい山道を往復するのは不便であり、喜重郎の道場に住み込みで弟子入りしていた。
喜重郎から一人前だと認められれば、郷里へ帰ると決めていたそうで今は流浪の身だそうだ。
綴も旭も爛も里から通っていたので、ある意味で環那の立場は羨ましかった。
特に爛は羨望が妬みになり、余計に彼への態度にも繋がっていた。
環那が住み込みで道場にいるおかげか、綴と旭は彼とそれなりに仲が良くなりつつあった。
稽古の後は人里にて甘味を食べたり、手鞠歌で遊んだり、書物を一緒に読む時間を過ごすほどになっていた。
喜重郎としては爛の気持ちもわからなくない。だが、それを乗り越え、妖界の未来を担って欲しいと願っていた。
特に口出しをせずに見守ろうと決めていた。
今日は妖術の稽古ではなく、武術の稽古。
用意された竹刀や苦無、脇差や暗器を扱うこと、体術を磨くことに専念していた。
各々が体を動かしつつ、頬や額に伝う汗を拭いながら稽古に取り組む。
妖術は頭を使うのが主だが、体術は体を動かすことが主だ。
再開された稽古が続く。
呼吸を乱しながら、一旦息を整えるために膝に手を起きついた爛はふと視線が奪われることに気づいた。
「―――……」
隣の間合いで、環那が剣技を磨いていたからだ。
それは、出会った初日のように変わらず美しい。
青い炎が刀身を包み、舞うたびに揺らめく炎の欠片が落ちていく。
一挙手一投足が精錬で、目を奪われたら最後。逸らすことができない。
これが―――この二月、関わってきて分かったが―――普段へらへらしているあの環那なのか、と思うほど強く、美しく、そして恐ろしい。
「……」
これが、自身が好敵手と定めた狐か。と思うと少し心に翳りが生まれた。
爛の自信に響く存在。
敵わないかもしれん、とどこかで理解している。
だからこそ、認めたくない。そんなことを思う自分も、環那も。
「相変わらず美しいですね……」
目を奪われていた爛に続き、綴も感嘆な溜息とともに漏らした。
綴が恍惚な視線で見つめる先。それが男でなければなぁ、と何度も爛は思ってしまう。
相手が女ならば、もう少しうまくやれたな。とも感じていた。
そんな稽古の合間のこと。
「御免ください」
空間が静まっていた刹那に響いた、誰かが訪ねてきた合図。
「誰だ……?入門者希望者?」
「師範のお客様?」
「いや、今日は来客の予定はなかったけれど……」
道場から表に出るように足を急がせた喜重郎に、旭と爛、綴は顔を見合わせる。
剣舞を止めた環那も、どうしたの?なんてのんびりした声を出してきた。
訪ねてきた声の主は、年端もいかない……それこそ爛たちと同じくらいに聞こえた。
四人は好奇心から、玄関先まで行ってみることにする。
爛はまた狐の入門者が来たら止めてやると思い。
綴と旭は単に喜重郎が襲われたら盾にくらいなれるという心配から。
環那は楽しいことが起きればいいなと呑気な気持ちからの行動だった。
喜重郎と環那の住まいになっている小さな玄関先に顔を覗かせた四人は、喜重郎が誰かと話しているのを確認した。
旭と綴が心配していた不逞の輩ではなかったようで、穏便に事は進みそうだ。
不思議に思ったのは、がたいの良い喜重郎の背中に隠れて訪ねてきた者が全く見えないこと。
綴と爛は年齢の割には長身ともいえる成長度合いだった。将来も有望だろう。
対して環那は小柄で線の細い男児であり、女の旭と対して体格が変わらなかった。
環那と並ぶくらい華奢な来客なのかもしれない。
「やはり、素性がわからない者は弟子にしていただけないでしょうか……」
四人が戸に体をくっつけて団子のように覗き見していると、落ち込む声が聞こえてきた。
どうやら入門希望者であることは間違いないらしい。
「はぐれ者の私でも、異種族の交流が許された道場ならば、強くなれるのではないかと……最後の希望だと思っておりました」
「はぐれ者……」
許しを乞うような声で聞こえた単語。
“はぐれ者”。
数百年前の関ヶ原の戦いにて、失われた聖地。
鬼の里に身を寄せることができずに、流浪となった身の者をそう呼んでいると聞いたことがある。
実際に四人の―――温室育ちとも言える―――弟子達が出会ったことはなかったが、存在は聞き齧っていた。
「まずは話を聞こうじゃないか。上がっていきなさい」
「良いのですか……?」
「君の言う通り、ここは血筋や種族を問う道場ではない。君が掲げる信念を聞かせて欲しい」
喜重郎の温かみのある笑顔が、相手に見せられたのだろう。
弾むような声で返事が返ってきたのを聞くと、喜重郎は背後にいる弟子達に向けた。
「爛、綴、旭、環那。こそこそせずに出てきなさい」
「うっ」
「えっと……」
「げ……ばれてたか」
「はーい」
呑気に声をあげて、恐れずに前に進み出た環那に他の三人が置いてきぼりを喰らう。
対抗心からすぐさま飛び出した爛に、綴と旭も続けば、すぐにお茶の用意をするように促された。
喜重郎が正面から退いたことにより、ようやく訪ねてきた者の姿が爛や環那の目に映る。
これもまた、運命の始まりに過ぎなかった。
―――黒い髪に赫灼の瞳。端正な顔立ちの少年だった。
一重瞼にキリッとした、冷たさのような鋭さを持つ瞳。それでいてどこか気の弱そうな物腰は矛盾しているように思えて仕方ない。
相手の顔を見た刹那、環那は時を止めたように身を固めた。
その反応は、相手が爛や旭、綴との出会いにはなかったもの。
「……?」
なにかを警戒するような、真偽を確かめるような茜色の瞳で相手を見つめる環那。
「……、おい」
爛が不審に思い、動きを止めた環那をどつく。
はっ、と現世に戻ってきたかのように急いで笑顔を取り付けた彼は爛と視線を合わせた。
むしろ、来客者から顔を逸らしたように見えた。
「なにぼーっとしてんだよ。客間に案内しようぜ」
「う、……うん」
環那から歯切れの悪い答えが返ってきたのは初めてだったとも言えた。
やってきた客より、環那の反応が気になった爛だが首を傾げるだけで、深く追求はしなかった。
「よう!俺は烏丸 爛だ。天狗の一族だぜ!お前は?白狐じゃねーよな!?」
元気に客に声をかけた爛に、環那は内心救われた。
お茶を用意に行った綴と旭がここにいなくてよかったとも思っていた。
自己紹介の二の次に出てきた確認が白狐かどうかは笑ってしまうが、爛らしい。
「私は……えっと……」
「ん? どうしたんだよ」
爛の返事に迷う相手。
環那はまた見定めるような視線を送りそうになり、自身を叱咤した。
同時に困り果てている新参者に、助け舟を出すことにする。
「まさかお前も白狐なのか!?」
「爛くん、彼は白狐ではありませんから安心してください」
「お、そうか……よかった……」
「一応、白狐も珍しい種族なんですよ?そんなに多く里の外では出会えないんですから邪険にしないでほしいな」
「う、うるせー!お前は特別邪険にしてんだよ!」
「なんか不思議な感じだけど、嬉しい気もするなぁ。僕のこと特別なんだね」
「そこだけに着目するな!」
爛と環那の二人の世界でやりとりされ、中に入れない相手は視線を両者に向けたまま黙っている。
爛は相変わらず話し続けていたけれど、環那が独特の脈絡で打ち切った。
「はじめまして。僕は春霞 環那です」
「はじめ、まして……」
「客間まで案内します。どうぞお上がりください」
「おい無視すんな!」
「爛くん、どいてください。邪魔ですよ」
「この狐野郎……ッ」
悔しそうに爛は環那に道を譲りながら、来客を客間へ通すことにした。
程なくして茶菓子とお茶が運ばれて来て、喜重郎を中心に話の場が設けられる。
居心地が悪そうにしている来客者の少年は、もじもじと畳に視線を落としていた。
「まずは、こんな深き山中まで訪ねて来てくれたことに感謝する。俺はここの道場主・縹 喜重郎だ」
どっしりと逞しく構えた喜重郎が、少年に微笑んだ。
多少緊張が解れたのか、会釈で返してくる。
「まずは、名前を教えてくれぬか?」
「はい……。私の名は―――」
そこで一拍。
迷うような、これが正しいのかとでもいうように、視線を揺らがせた後。
少年は答えた。
「赤楝と申します」
赤楝(かがち)。
彼はそう名乗った。
「赤楝、か。良い名だ」
「姓はなによ?」
思わず突っ込んでしまったのは旭。
だが、喜重郎の苦笑いの一瞥に急いで口元を抑える。
赤楝も旭から出た質問は予想できていたようで、本題とでも言うように続けた。
「すみません。姓は……わからないんです」