13. 絶界戦争
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―――八瀬の里にて、茜凪たちが千姫からの語らいを聞いている頃。
早朝の京、裏路地にて戦火に見舞われた町を見つめる少年がいた。
「茜凪ねぇちゃん……」
柳が揺れる河原には、春が近付くにつれて蕾が膨らむ花々がみえる。
戦があっても、足元に力強く花を咲かせる準備を進める蕾。
切なくそれを見つめた少年……―――重丸は、とある少女の名前を零した。
「ねぇちゃん……今、どこにおるん……」
この少年。
彼には隠した素性があった。
どこにでもいる町民の男児であるが、その実、人ではないのだ。
彼の母は人間であり、その母と婚姻を結んだ父も人間である。
しかし、家族の中で重丸は唯一、人とは言えない。
なぜならば、彼の本当の父親が妖の猫であるからだ。
母親の再婚により、重丸は人の子として母以外に素性を知られることもなく育てられている。
彼の本当の姓は縹。
小鞠と同じ、化け猫の一族のもの。
そして、小鞠と同じ妖として……なんの因果か、数月前まで重丸の側には茜凪がいた。
妖界最強の狐が。
斎藤の願いにより、四国へと急遽旅立った茜凪は、残念ながら重丸に挨拶することができなかった。
鳥羽伏見の戦いが勃発し、父母に守られた重丸はなんとか戦をやり過ごしたのだった。
だが、落ち着いてみれば慕っていた姉のような存在は姿を消していた。
茜凪と一緒にいた烏丸も、狛神も。
残されたのは菖蒲と水無月だったが、小料理屋が破壊されてしまったせいで彼らの行き先がわからず、重丸は菖蒲たちに再会することができずにいた。
いつぞやに不逞浪士に絡まれた橋が見える。
重丸を守るために、茜凪は十人近くの浪士と戦った。
そして、そんな茜凪を守るために、あとから来た斎藤も戦った。
「はじめ兄ちゃん……」
結局、重丸は斎藤に詫びもできずにいた。
小鞠が死んだ日、斎藤に酷い言葉を投げ捨てた。
その後、旭が攻め込んできたときに顔を合わせたが、ゆっくり話す機会は巡ってこなかった。
そして新選組も新政府軍に敗れ、江戸へと北上したと聞く。
この京に、重丸を守ってくれる存在はいなくなってしまっていたのだ。
途端に不安になる。茜凪も斎藤も、死んでしまったのではないかと。
小鞠のように。他の縹の者のように。
目を閉じると、死期迫る者たちの切ない顔が浮かんでしまう。
「……っ」
じわりと浮かんだ涙。だが、それで終わりにはしない。
ごしごしと袖口で拭って、自身が人ではないと理解した重丸は顔をあげるのだ。
「おらは……父上の息子やもん!」
もっと強く。
今度は守られるだけじゃなくて、誰かを守り、助けられるように。
茜凪のように。
斎藤のように。
不安に押し潰されそうになり、その度に言い聞かせる彼の姿もまた茜凪と同様だった。
―――そんな彼を、また争いに巻き込もうとする者が近付く。
「素晴らしい決意です」
「え……」
「それでこそ縹家の部隊頭目・喜重郎の倅ですね」
音もなく背後に寄り、耳元で囁く。
その声は鈴のようであり、でも憎悪を孕んだ娘のような悪意ある鋭さだ。
息を呑み、反面振り返った重丸は最後に目に映した。
茜色の瞳。
茜凪が見せてくれた色。
ただ、それよりずっと濁った茜色だった。
「共に来てもらいますよ」
第十三華
絶界戦争
長い廊下を誰かが歩き、床が軋む音。
差し込む光が朝を伝え、目を覚ました鳥が囀る声。
冬の終わりの空気が、ひんやりと肌にぶつかる心地よさ。
閉じた瞼、感じられる情報。
八瀬の里は自然に囲まれていて、人里にない心地よさがある。
そんな鬼の里で得られた何よりもの情報は、絶界戦争についてだった。
「すべては、関ヶ原の遺恨から始まったの」
ついに語られる、求めた起点。
長き長き語りが始まる。
茜凪、烏丸、狛神は姿勢を正し、千姫の声に耳を澄ました……―――。
―――………
―――……
――……
関ヶ原の戦い。
天下分け目の大戦であり、東軍である徳川 家康の勝利で幕を閉じた。
これにより家康は力を得て、江戸幕府を創立。
人にとっては平和な時代が築き上げられることとなったわ。
しかし、平和に身を置けたのは人の世だけ。
あなたたち妖は、正直……関ヶ原の戦いで一番の迷惑を被った種族かもしれない。
何故ならば、当時の関ヶ原は妖にとって『聖地』だったからよ。
「聖地?」
そう。聖地。
あなた達の気力の源でもある妖力。その妖力が湧き溢れ、どの種族にも富をもたらしていた土地……それが関ヶ原だったの。
鬼の間でも有名だったそうよ。
妖が集まり、種族を問わずに誰もが聖地の力を分けながら生きていた土地だ、と。
「妖が種族問わずに、一緒に生きていただと……?」
「今じゃ……考えられないな」
そうよね。
あなた達、妖は種族ごとに里をつくり、その中で同族として生きていくのが基本だものね。
茜凪さんや烏丸さん、狛神さんのように異種の繋がりがある人は滅多に見かけないわ。
「そう……ですね」
関ヶ原には妖がいる。
鬼も決して手を出してはいけない。と。
その場で争いが起きれば、路頭に迷う妖の数は計り知れず、報復を受ける鬼もタダでは済まないでしょう。と語り継がれてきたわ。
でも、妖のことも鬼のことも知り得ない人の世が、たまたま戦場にしてしまったのよ。
そのせいで、妖にとっての聖地は傷つき、妖力の源も失われた。
富も仲間も行き場も失い、戦に巻き込まれた妖の数も数えきれず……多くの妖が命を絶つ選択をした。
気力や生命力を求めて関ヶ原を訪れていた妖達は、失われた聖地を見て嘆き悲しんだ。
そして、多くの者が同調して同じ感情を抱くことになる。
「もしかして……」
「“憎悪”……」
そう。
聖地をぼろぼろに汚し、同胞を奪い、富を葬り去った人間に対して……妖達は憎悪を募らせていったわ。
憎悪を覚えた妖たちは、種族問わず瞳の色が血に染まり、今まで以上の力を覚醒させていった。
体の奥から意志の力が湧き上がる。
ただただ命を奪い、報復したいという感情。やられたのだからやり返せという思い。
意志による力の覚醒は、聖地で命や仲間、富を大切に平和に暮らしていた妖にとって戸惑いでしかなかった。
それでも募らせた思いはやり場がなくなり、ついに人里へと向かう妖も現れた。
同じ思いを持つ者がいれば、感情が伝播する。
瞬く間に憎悪は広がり、やがてそれらは聖地と呼ばれた関ヶ原を……―――妖にとっての怨念の塊にしてしまったの。
「俺たちの力は……先祖の憎悪によって覚醒したものだったんだ」
「血と同じ色の瞳……か」
この頃の鬼と妖は特に手を結んではおらず、ただ存在としては互いに認め合っていたわ。
だけど、関ヶ原の戦いから聖地を奪われた妖が狂っていくのを目の当たりにした鬼は、その憎悪をなんとか人の世から逸らしたかったの。
鬼と人は関わりを持つことは禁じられていた。
政に関わるなんて以ての外。それは今も受け継がれているわ。
だけど、同じ人外である妖が人の世の歴史に残り、干渉してしまうのも見過ごせなかった。
人ではない鬼だからこそ、妖を止められると信じていたのね。
そうして鬼が動き出そうとする間に、今度は妖同士で命の奪い合いが始まってしまったの。
「……っ」
「え……?」
僅かに残された力の源を、異種同士で奪い合ったのがきっかけみたいね。
力も覚醒していた者も多くて、今度こそ関ヶ原は妖の血祭りだったと聞いた……。
人の世の歴史に存在を残すのも勿論止めたかったけれど、妖同士が殺し合うなんて……当時の鬼は見てられなかった。
鬼は平和を願う生き物だったし、妖の本来の姿も知っていたからでしょうね。
だから、役目を与えたの。
「それが……―――」
―――そう。
あなた達が今も守護する、“鬼を守る”という役目よ。