12. 八瀬
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それは今から十数年前のこと。
北見 藍人が茜凪を連れて戻って来た日のことです。
「綴、俺の頼みだと思って聞いて欲しい」
その日、藍人は純血の狐を連れて郷へと戻って来ました。
私はたまたま別の所用にて北見を訪れ、彼と顔を合わせていたのですが、彼は話の最後をこの願いで結びました。
「なんですか、改まって」
「今日、連れて帰って来た茜凪は環那の実妹であることは知ってるな」
―――嗚呼。やはり貴方は、私たちが蓋をした過去を抉じ開けに来るのですね。
切り出された時、思わずそう感じて目を細めてしまったことは忘れもしません。
「えぇ。恐らくそうであろうとは思っておりました」
春霞 環那。
絶界戦争の集結にて命を落とした、純血の白狐。
春霞家頭首であり、間違いなく日の本最強だった妖。
過去形になるのは、この時点で既に命を終えていたからでした。
「綴。お前がなにか俺に隠したいことがあるのは随分前から気付いてる。その伏せたものに、環那や烏丸 爛、そして旭が絡んでいることも」
「……」
「なにがあったのか、話してくれとは言わないさ」
「……」
「野暮だろう?本人の口から聞きたいのは本音だけれど」
「相変わらずですね。気付いている口ぶりではありませんか」
この男はなかなか厄介でした。
姉である旭も面倒な質ではあるが、笑顔であるだけ藍人の方が恐ろしかったのです。
「俺は、環那に生かされた身だ」
「それは……貴方だけに限りません」
「そうだとしても、俺は環那の掲げていたものを背負って、代わりに成し遂げたいんだ」
環那が掲げた夢は、当時の妖界では到底叶うものではありませんでした。
なぜならば、妖の根底を揺るがしかねない夢だったからです。
人も、鬼も、妖も。
すべての種族が平和に暮らす。
そんな夢を、環那は掲げていました。
環那が叶えたかったものは、さらに過去に起きたとある悲劇が由来であることを私は知っています。
そして、その悲劇こそが隠したいものでした。
「そのためには、茜凪の力が必要だ」
「そうですね。日の本最強の妖である白狐が再び立ち上がれば、後ろ盾となる者も現れるかもしれません」
「あぁ。だから茜凪にひとつ、術をかけた」
「え」
脈絡が些か見えない告白は、当時の私を驚かせました。
「術……ですか」
「茜凪に初めて触れた時に。かるい呪詛だ」
「まぁ。して、理由は?」
「茜凪に憎悪を覚えられては困る」
ふと、彼女の経歴を振り返った時。
確かになにかの拍子に、私たちの中にある一番強いといわれる感情……憎悪にて、茜凪が暴走することが懸念されました。
憎悪を覚えた純血の狐が、人を、妖を、鬼を殺し、殺戮の世をつくる未来。
それは、環那が掲げた夢、藍人が引き継ごうとしている大志とは真逆であることも理解できました。
「なるほど。たしかに童の狐が、朧や郷のことを思えば……ありえますね」
「話を戻す。ここからが俺の頼みだ」
藍人は藍色の瞳をこちらに向け、迷いを見せずに私を見ました。
そして一本の煙管を私に差し出します。
「時がきたら、茜凪からその呪詛を解いてほしい」
「私が……?」
「あぁ。俺は恐らく叶えられない」
それは、藍人も己の結末を予想していからでしょうか。
なぜ、私に託すのかと不思議でなりませんでした。
「この煙管と、願いをお前に託す。茜凪の力が必要になり、憎悪に負けない時がきたら……―――茜凪の記憶をもとに戻してくれ」
「つまり、彼女が朧と春霞の中で生きていた記憶を……」
―――嗚呼、藍人。貴方には何度悩まされたことでしょうか。
私と貴方も腐れ縁、姉との縁により関わりを持った異種の友人でしたが、私をここまで縛り付けるなんて。
悩みの種であるのは間違いありませんでしたが、どうにも貴方を捨てきれず。
何十年たった今でも、その願いを果たすために。
私は貴方の妹分である茜凪の側にいるのです。
「まぁ……退屈はしませんでしたね」
時を戻し、慶応四年 二月下旬。
こうして私、水無月 綴が藍人から託された最後の約束を果たす日が近いことも悟ります。
ただそれだけのために、折を見て茜凪と接触を繰り返して来た日々でしたが、正直退屈はしませんでした。
彼女は数奇な運命のもとに生まれており、茜色の瞳は翡翠色となり、妖力は影法師の呪いにより封じられ微力。
そして死から蘇った兄貴分を討ち、おまけに新選組という政に関わる男を好いている。
側で観察するには、これ以上に面白い主人公を題材にした物語はなかなか無いでしょう。
「そのまま幸せな結末が見れることを、心待ちにしていますよ。茜凪」
第十二華
八瀬
千姫と一度別れ、水無月に連れられてやってきたのは京の端にある小さな旅籠だった。
所々に争いの形跡は見られるが戦火からは逃れた一角のようで、今も通常どおりの営業をしている。
茜凪は一室に通され、中で待機していた娘と無事に再会した。
「菖蒲……っ!」
「茜凪ッ!」
水無月は二人が寄り添い合うのを確認した後、烏丸と狛神を迎えに店を出ていく。
集合場所が本来、小料理屋の跡地だった。そちらで茜凪を待っている可能性が高い。
友人同士の再会に水を差す必要もない、と静かに戸を閉めた水無月の気配を感じながら、茜凪は菖蒲の肩に触れる。
「怪我は……」
「大丈夫よ。あんたは?」
「私も、……平気です」
先程、妖の羅刹を二体屠った。
僅かな返り血を服につけていたので、誤魔化すように背中に隠す。
菖蒲はそれも見抜いていたが、こんな世だ。以前より深く追及はしてこなかった。
「お店は……」
思わず突いて出た言葉が、小料理屋についてだった。
菖蒲は既に受け入れているようで、諦めたように笑う。
首を左右に振った後、茜凪をゆるく抱きしめた。
「店はまたやり直すわ。それより、あんたが無事でよかった」
「便りも出さず、申し訳ありませんでした」
「いいの……。いいの、生きているなら」
ゆるかった力が、だんだんと強くなる。
余程心配させていたのだろう。いつもならば考えられないくらい、素直に好意を示す菖蒲に茜凪は詫びを入れることしかできなくなっていた。
「茜凪、あんたこれからどうするの……?やっぱり、斎藤さんを追いかけるの?」
「……」
菖蒲からしてみれば、茜凪が斎藤と別行動だったことも意外だったらしい。
この反応は先程から何度も見てきている。
皆が茜凪が新選組、強いては斎藤といないことに驚いていた。
果たして、驚いた者の中に斎藤の願いを理解している人はどれくらいいただろうか。
「いえ、私は今から知り合いの方の郷里へ行って来ます」
「そう、なの……?」
「はい。あまり詳しく話せませんが、妖の中でも一悶着起きていて、それを片付けるために」
「また……戦場へ向かうの?」
「……そうなりますね」
「ここにいることはできないの……?あんたが命をかけなくてもいいじゃない……」
諦めに似た嘆願の声。
茜凪は菖蒲のこの顔をよく知っていた。
藍人のことを想う時、最後にする表情だった。
部屋の篝火が揺れる。
茜凪の心を映し出すように揺らめいていた。
ここにいたい。
いや、本当なら戦っている場合ではない。もっと他に確かめたいことがある。
だが、この戦いを投げ出すことは妖としての矜持が許さない。本能がそう言っていた。
だからこそここに立っている。
今往く場所は、斎藤の隣ではない。詩織との決戦の場だ。
「すみません」
たった一言。
断言した謝罪にて、菖蒲は落胆のため息をついた。
だが人と妖。
少なからず関わる機会が多かった彼女はそれ以上何も言うことはなかった。
―――程なくして、烏丸と狛神が無事に旅籠へとやってくる。
二人とも新政府軍から逃げることに一苦労したのは間違いないようで、全身砂埃やら汗まみれだった。
それでなくとも西国から休み休み、野宿も挟んで京まで辿り着いたのだ。
全員、疲労度は高かっただろう。
「少し休んでいかれますか?」
水無月の一言に、茜凪は烏丸と狛神を見やる。
茜凪は先を急ぎたいが、二人の判断に任せようと。
煙管を弄びながら返事を待つ水無月に、烏丸も狛神も意外にも否定の意を示した。
「いや、俺は大丈夫だ」
「さっきここに来るまでに旦那に聞いたぜ。八瀬の里で情報が手に入るかもしれないって」
水無月が千姫とのことを説明してくれたようだ。
急かしてしまうかもしれないと気遣った茜凪だが、二人も先を急ぐらしい。
「解りました。では、向かうとしましょう」
「頼む、水無月の旦那」
「えぇ。菖蒲、しばし留守にします。先に寝ていてください」
「菖蒲、無事でなによりだ。また顔出すからな!」
「……わかった。気をつけてね」
烏丸も狛神も、言葉通り顔を出しただけという滞在時間。
茜凪も半刻ほどで出立を決めた状況。
菖蒲の胸中には、切なさがとめどなく溢れていたが……彼らを止めることはできないのだと悟っている。
「茜凪」
ただ、菖蒲にも譲れないものがあった。
それは過去に、茜凪と約束を既にしている。
名を呼ばれたので、振り返る。
菖蒲は睨むような鋭い視線を送りながら、悔しそうに告げて来た。
「死ぬんじゃないわよ」
「……っ」
「別れの言葉なんて聞いてないから」
菖蒲と茜凪。
人と妖である縁は、この二人にも強く結ばれている。
藍人が手紙一枚で菖蒲の元を去った。菖蒲はそれが納得できなかった。
だからこそ、茜凪との別れの時は、顔をみて別れを告げろと菖蒲は彼女に約束させた。
今は聞かない。聞いていない。
聞くもんか、という強い意志を示す瞳。
茜凪は翡翠色でそれを受け止め、同じくらい真剣に返した。
「また会いに来ます。菖蒲」
「……待ってるわ」
死ねない。
果たさなければならないことがいくつもある。
茜凪は自身に言い聞かせるためにも、敢えて再会を約束する。
そうして一同は鞍馬寺へ向かうことにしたのだった……―――。