01. 妖
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まばゆい光が射す。
その斜光は、すべてに平穏を齎すように温かい。
優しく包み込み、私の目前に広がる景色を照らしてくれた。
嵐が去ったあとの、切なくも美しい空。
感動すら覚える場面に、私は膝を折り地に崩れてしまう。
「は……―――」
気管を通って伝わる声は、出なかった。擦れて、砕けて、形にならなかった。
背後にいる烏丸の気配も奥歯を噛み締め、悔しがっているのがわかる。
あぁ、叶わなかったんだ。と悟った。
私自身が眼で見て、現実を突きつけられているのに、烏丸の気配でこれが本当に起きていることだと知らしめられる。
「は……じめ、くん……」
こんな感情を、私は知らない。
心の痛みが痛覚を刺激すること。
こんなに息をすることが苦しくなるなんて知らなかった。
目尻に涙が溜まる感覚はなかった。
ぼたぼたと滝のように雫が滴り落ちて、涙が溜まることもない。
とめどなく溢れるそれを、止められる自信もない。
憧れが。
愛しさが。
恋しさが。
その存在そのものが。
失われてしまった。
「はじめくん……っ」
どこから道を間違えたか。
どこからやり直せば貴方を救えるか。
あの日の、貴方の願いを聞き入れなければよかったのか。
わがままに、私は私のことだけを考えて生きればよかったのか。
妖界を敵に回しても、貴方を生かすことだけを考えればよかったのか。
瞳の奥が熱くなる。
躰に纏う空気が黒く変化していくのを感じた。
もう、私は私を止められない。
どこかで蓮華の花が朽ちる音がした。
薄桜鬼 紫電録
後篇
後篇
紫 電 清 霜
第一華
妖
―――空を飛ぶ感覚とは、どのようなものか。
全く想像がつかないのは茜凪に翼がないからだ。
背中に発達した筋肉がある彼らは優雅に、そして力強く、風を割きながら羽を瞬かせる。
振動を音と捉え、鼓膜の中にまで響くこの伝達を、風だと感じた。
真っ黒な羽。立派な嘴。
空気抵抗を受けても物ともしない強靭な肉体。
獣化した天狗の一族は、巨体だ。
そんな彼らより、茜凪――白狐――の純血が強いなんて彼女は俄かに信じることができなかった。
妖(あやかし)。
それは古来から日本に存在する、人でもなく鬼でもない者。
その歴史は人と密接した関係にあり、表の歴史にも語られてきた。
多くは悪しき者として人間の間で伝承となっているが、実際は幸福をもたらす象徴や人を助け、力になる者もいる。
人と姿形は同じである者が多いが、人間にはない特異な力を持つ者ばかりだ。
ある種は水を操り、ある種は炎を操る。またある種は人をだますことに優れ、またある種は人から隠れる術に長けていた。
特異の力は種族ごとに分けられて付与され、その強さは血の濃さと言われている。
同じ種族同士が交わり生まれた子は、異なる種族同士の子とは力の強さが全く違う。
同じ血族の者同士……つまり純血の子が特異の力を濃く引き継いだ。
さらに時代の流れにより、妖と人が関わりを持ち、交じることもあった。
人と妖の血を流す者は公に名乗りをあげないだけで実は数多く存在する。
半妖と呼ばれる彼らは特異能力が顕現しないことも多く、自覚のありなしに関わらず人として生きていくことが大多数であった。
そうした人の世に紛れ、そして隠れ生きる妖たちの世界には暗黙の掟が存在する。
それは、人の政(まつりごと)には関わらないということだ。
遥か昔、時は関ヶ原の合戦。
彼ら妖の先祖は、妖界の聖地と呼べる関ヶ原を人の戦場とされ失うことになる。
以降、人との関わりを避けてきた妖たちは、己自身の存在を隠して人の世と妖界を生き抜いてきたのであった。
そして現在……慶応四年。
この激動の時代。
人の世と同時期に、妖の世は再び波乱に巻き込まれようとしていた……―――。
「茜凪、あと四半刻ほど飛べば烏丸の里だ!」
巨体の天狗に獣化した烏丸は、腕に抱えた茜凪に告げた。
小さく、でも確かに頷きをひとつ返してやる。
そのまま真っ赤に染まる空を、漆黒の羽で飛ぶ烏丸。
彼に抱えられ腕の中で沈んだ夕陽を眺める茜凪。
まるで血が流れたかのような色をする太陽は、人の世を表しているようだった。
「(はじめくん……)」
慶応四年。
年を越したばかりの正月早々に別れは訪れた。
妖の羅刹を排除すべく、動き出した茜凪たちは、長らく関わりを持っていた新選組と別離を決めた。
妖の羅刹を率いる詩織の目的を知る為。妖の羅刹の情報、そして過去に起きた絶界戦争について知識を得るために、二人は烏丸の里を目指すことになる。
刻を同じくして、伏見奉行所に詰めている新選組たちも、薩長との戦が始まりそうな空気が生まれていた。
親しくしていた斎藤が、茜凪の知らぬところで命を落とすことなど……彼の剣技を考えればありはしない。
しかし、いざ長く過ごした京を離れ、彼との距離ができると不安になってしまう。
だが、茜凪には茜凪の役目がある。
詩織を止め、同じ妖の悪行を止めること。そのためには己も身を投じなければならないことを理解していた。
「不安か……?」
ふいに頭上から声をかけられ、茜凪は顔をあげる。
烏丸がか細く、茜凪よりも不安そうに尋ねてきたからだ。
不安かどうかと聞かれれば、不安なわけではない。
斎藤が心配という気持ちは拭えないし、一番は詩織について気になる。
そして……失ってしまった小鞠の存在は、考えるだけで胸をズキズキと痛めるものだった。
「確かに、烏丸……天狗と狐は仲が悪いと昔から言われてる。が、昔話なんて古臭いものに俺は囚われたくない」
「烏丸……?」
「百聞は一見に如かず!俺は茜凪といて、よくわかったからさ。里の奴らにもお前のこと知ってもらいたいんだ。だから……」
どうやら烏丸は、茜凪が黙りこんで空の色を眺めているのは、犬猿の仲だといわれる烏丸の里に連れて行かれる不安からだと思っているようだ。
まっすぐと前を見据えた烏丸の漆のような瞳を見ながら、茜凪は自身を奮い立たせた。
「これを機に、烏丸と春霞が交流を持てればいいなってさ」
「……そうだね」
烏丸に心配をかけてはいけない。
正直、烏丸の里に行くことに恐怖や不安はない。
それは茜凪自身も、烏丸と同じ考えで『旧き良きものは残し、語り継ぐが、新しい変化のために必要のないものは切り捨てたい』と思っていたからだ。
遥か昔の、お互いの一族の些細な小競り合いをいつまでも引き合いに出していたら何も変えられない。
そう思えば烏丸が次期頭首となり、烏丸の歴史も、そして春霞の歴史も変わるのではないかと感じた。
ともに協力していきたい、と。
そのためにも、詩織のことは片をつけなければならない事態だった。
「私も、烏丸の人たちと良好な仲になれるよう努める」
「ははっ、そう言ってもらえてよかったぜ!まぁ、素のお前なら好かれると思うよ」
少しだけ和やかな空気になりながら、まだまだ真っ直ぐ飛んでいく。
この優しい空気を作り上げているのは、烏丸の気遣いだった。
そう。彼は内心、冷や冷やしていた。
罪の意識ともいう。
いつ茜凪についた嘘がばれるのか、と。
「(ごめん、茜凪……)」
顔では笑顔を向けながら、信頼をおいてくれている狐の妖に内心で謝り続ける。
茜凪を烏丸の里に連れていく必要は―――本当のところ、必要なかったからだ。
ただ、それでも「お前の力が必要だ」と茜凪を欺き連れてきたことには、彼女が知らない願いを託されていたからだ。
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