掌編

「宝石って、生きていないのにね。死んでいるのにね。それでも、綺麗だってみんなにほめられて。宝石はいいな」
 しーちゃんと二人で博物館に行ったとき、鉱物が展示された一室でのこと。しーちゃんはずっと覗き込んでいたガラスケースからやっと離れたかと思うと、私にそう話しかけたのだった。その大きくて青い瞳はきらきらと輝いていた。
「一等大きいあの琥珀なんて、中に蜘蛛がいる。でも、人はそれを死骸とは呼ばない。宝石だと言う。宝石の価値を高める存在だという。素晴らしいね」
 素晴らしい、羨ましい。しーちゃんはそんな言葉をしきりに繰り返す。
「しーちゃん。宝石は生き物じゃないんだよ。死んでいるとか、そもそもそういう概念はないんだよ」
「うん。そうだね。でも、そんな捉え方をしてみたっていいじゃない。駄目?」
「……ううん」
 時々、否、しーちゃんはよく奇怪な話をする。私は平凡だから、こんなときいつも面白い返しとか深みのある説得とかなにも出来なくて、上機嫌なしーちゃんの話をただただ最後まで聞くのみだった。
 柔和な笑みを浮かべるしーちゃん。またガラスケースに近寄っていく。私もしーちゃんの横に並んで、再び宝石と向き合った。
 ルビー、琥珀、ターコイズなど、採掘されたままの姿を半分留めた宝石たちがガラスケースの中で輝く。宝石店に並んでいるもののように磨かれて形も整っているわけではないのに、とても美しくて、思わずため息が出る。その中でも特に私の目を引いたのは、サファイアだ。
 サファイアはしーちゃんの色。でも、ガラスケースの中のサファイアよりしーちゃんのほうがずっと綺麗だ。しーちゃんの輝きは、世界中を探したって勝る宝物はない。子どものときに出会ったその瞬間からずっと、私にとってしーちゃんは唯一無二の存在だ。私の心を奪って、放してくれない。
「なりたかった。宝石になりたかった」
 弱々しい言葉。頭二つ分ほど上から降ってきたそれに、私はしーちゃんの横顔を仰ぎ見る。
「死んだら宝石になれるかな。何も語らず、何にも心を乱されず、ただそこにあるだけで存在を認めてもらえる。そんな宝石になれるかな」
 陰る表情。私の好きな青い光が、揺れて、小さくなる。
 私はしーちゃんの袖を掴んだ。ガラスケースの中に吸い込まれて、消えてしまいそうだったから。
「しーちゃんは、宝石だよ。死んでても生きてても。だけど選べるならもちろん、生きてるほうがいいな」
 ひくりとしーちゃんは肩を震わせ、それから「そっか」と呟くように答えた。
 しーちゃんにとって、ガラスケースの外のこの世界は苦しみばかりだ。周囲からあらゆる難を、会ったこともない異邦の父から受け継いだ青い目のせいだと、出自のせいだとし押し付けられ、しーちゃんは息が詰まるような日々の中を生きている。解放感を一瞬の気分だけでも味わうため、と二人でこうして外出していても、しーちゃんの心はがんじがらめの鎖に捕らわれたままだ。『楽になりたい』しーちゃんはよく、力なく笑う。
 出会ったころは私も子どもで、しーちゃんの瞳が曇る理由が分からなくて、理由を知ってからはその曇りを晴らしたくて。しーちゃんと思いを通わせ合って、私はしーちゃんの横に立っている。立ちたいと思っている。
「死んじゃ駄目だよ。月並みな言葉だけど。人間だから、早かれ遅かれ死ぬけど。でも今じゃないよ、生きて、宝石になるの」
「……君の宝石になれる?」
「しーちゃんしかなれないの」
 袖を握る力が思わず強くなる。喉が震える。室内が薄暗い照明で、近くに他の観光客がいなくてよかった。
「しーちゃん。結婚しよう」
 私がそう言うと、しーちゃんと目を合わせた。青い瞳が一瞬見開かれて、やがて優しげに細められた。押しとどめられない感情を、そのまま私は続けて言葉にする。
「私、早く大人になるから。ちゃんと高校を卒業して、しーちゃんを支えられるような大人になって、そしたらこの美術館よりもずっとずっと遠くに行こう。だから、私のために生きて。一時でもいいよ、私を選んで。大人になるまででもいいから。大人になって、私が必要なければそれでいいから。生きていて、しーちゃん」
 しーちゃんの心の奥底に響くまで何度でも伝えよう。月並みな行動かもしれない。それでも私は伝える。しーちゃんを世界から失いたくないから。
 潤んで霞んでいく視界。その端に他の観光客が映ってふと我に返り、目頭を拭った。
「……本心だけど、重いよね。しーちゃんごめんね」
「余るんだ。君の言葉は身に余るんだよ」
「……ごめんね」
「ううん。違うんだ、嬉しいんだよ。僕も早く大人になるから。弱音も吐くだろうけど、君にいてほしい。わがまま言っているのは分かっているから。それでも、大人になるのを一緒に待っていて」
 ありがとう。そう優しく言葉をかけてくれたその瞳には、確かに希望の光があった。
 しーちゃんの手が私の頭を撫でる。触れたところからは確かに、体温が伝わってきた。
 この体温がなくなるまで、私の思い全てがちゃんと伝わるまで、私はしーちゃんの傍にいる。
 しーちゃんという宝物の存在証明に、私の人生を捧げさせてほしい。


* * * * *

「おばーちゃーん! おまんじゅうたべてもいーいー?」
 ぱたぱたと足音をたてて、お皿を持った子どもたちがキッチンに入ってきた。
「おじいちゃんにちゃんと挨拶した?」
「した! でもいちおー、もっかい言ってくる!」
 年長さんの兄を筆頭に弟、妹がくるりと踵を返す。まるでひな鳥みたいなその様子が何とも滑稽で、なおのこと笑えてしまう。
 キッチンを出た子どもたちが向かったのは、リビング。そこにある、お仏壇。子どもたち――つまるところ私の孫たちは、おまんじゅうが乗ったお皿をお仏壇に戻して、座って、おじいちゃんの遺影に向かって手を合わせた。キッチンのカウンター越しにその様子を眺め、心の中で一緒に私も手を合わせる。
「全くもう、本当に、せわしないんだから」
「賑やかすぎるくらいが父さんも喜ぶと思うけど」
「家族が集まる場ではずっとにこにこしてて、本当に朗らかなおじいちゃんでしたもんね」
 溜め息をついた娘に対し、息子とそのお嫁さんは笑った。四人で入ると少々狭く感じるこのキッチン。用意したお盆の上には冷茶が入ったコップが三つと、チョコレートを盛った籠。それと、もう一つのお盆にはまだ何も入っていない湯呑が四つ。しかし、そろそろ頃合いだろう。急須から日本茶を湯呑に注いでいく。玉露の甘い香りが心地よい。旦那さんも、このお茶が大好きだった。
 旦那さん……しーちゃんが天国に行ってから三年目になる、この春。寂しさには慣れた、なんてことは全くないのだけど、車で三十分ほどの距離に住む娘家族や息子家族がよく遊びに来てくれるので、とてもありがたく嬉しく思っている。
 しかし私の命もそう長くはない。だからだろうか。しーちゃんが亡くなる前から私は考えてしまうことがある。
 しーちゃんは、私と生きて幸せになれたのだろうか。私はしーちゃんを輝かせることは出来たのだろうか。
 しーちゃんはよく、幸せだと笑ってくれた。意識が無くなる数日前にも幸せだったと言って、病室のベッドで手を伸ばして抱きしめてくれた。でも、そんなとっても優しかったしーちゃんに私は余計な苦労を掛けさせていやしなかったか。若いころは二人で生きるのに必死で、こんな心配が頭を過ぎることはほとんどなかったのだけど。歳のせいだろうか。
「おばーちゃん、おまんじゅうたべよ! みんなテーブルにいるよ」
 孫の声にはっと我に返る。年中さんの孫が私の手を握って見上げていた。その瞳は、青い。
「おいしいおまんじゅう、おじいちゃんもだいすきだったね。おばあちゃんもたべよ」
「そうねぇ。おばあちゃんもいただくわ」
 手を引かれテーブルにつく。いただきます、とみんなで手を合わせたあとは各々好きなものに手を伸ばした。
 私は家族の顔を改めて見回す。長女とその娘。長男夫婦とその息子二人。私と長男夫婦以外の瞳は、サファイアの色だ。瞳の色でどうこうこだわることはもちろんないのだけれど、こうしてしーちゃんが持つ宝石が次に受け継がれたと思うと、嬉しいなと思うのだ。
 私は、自信を持ってこう言える。
 しーちゃんと一緒になれてよかった。
 しーちゃんの家族になれて、宝物を次の世代にも繋ぐことが出来て、とっても幸せ。
 ともにあった日々のすべてが私の宝石に他ならないのだ。と。
 私は、壁にかけられた写真に目を向ける。十年ほど前旅行に行った際の一枚。満面の笑みを浮かべる私の横に映るしーちゃんは、今も家族みんなに微笑みかけてくれている。
 私の愛しい愛しい旦那さん。私も近いうちそちらに駆け付けるので、またたくさん家族のお話をしましょう。
 その時は、幸せだったと一緒に笑ってくれると嬉しいな。
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