掌編

 昨日まで黄金色に輝いていた野原が、今日は曇天の下に広がっている。さりとて憂いは何もない。

 鈍色の空から零れる雨粒。貧相な佇まいのバス停で、俺は煙草に火をつける。淀んだ空気の中に煙がじわりと昇っていく。

 十数年ぶりの郷里は不自然なほどに優しいものだった。あらゆる思い出が美談として語られる様子はさながら走馬灯のよう。酔えぬ酒で割れた唇を潤し、俺は人形としてそこに在ってただ微笑み続けた――あいつが隣に座るまでは。

「あなたをずっと愛しています」

 酒を注ぐあいつの眼は清流のごとく澄んでいた。少女時代と変わらず、見つめられたものが、自らの浅ましさと罪深さを突き付けられ発狂しそうなほど、とても綺麗な瞳だった。

 俺はといえば末期に日々近付くだけのつまらぬ男である。帰郷も気まぐれを起こしただけで、あいつのことなどとうに忘れた、そう思っていた。

 煙草の灰が落ちる。最後の紫煙が燻る向こう。不意にあいつの影が見えた。若き俺と手を繋ぎ露の中へと駆けていった。

 ああ、そうか――解るよ。時として愛は呪縛だ。

 煙草の味が酷く身体に回り、咳き込んだ。死の味も案外こんなつまらないものかもしれない。そうであって欲しいと、久しく祈った。
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