理由はいらない。ただ愛されたい。

 これは悪い夢であり、次に目を覚ますと全てなかったことになる。そうだったらいいのにと眠る前に願っては、毎朝落胆してばかりいる。世界がほんの少しだけでも自分に優しさを向けてくれればいいのに。自分ばかりあがいて、転んで、苦しんで。馬鹿みたいだ。とはいえども、このやり方しか私は知らない。

 高校生のころ、進路や家庭の悩みが一気に重なってふた月ばかり保健室に通ったことがある。先生は初めこそ親身に話を聞いてくれたけど、終いには何処其処の誰々よりは恵まれているのよなんて言い出した。失望して、それからは少し開き直って自分のやりたいように頑張っているけれど、落ち着く場所が見つけられていないという事実は私の心を時折地の底に叩きつける。

 寂しい。もがくうちに一人でいるのがつらくなって、誰かに寄り添いたくて。適度に相手を見つけては、捨てられて。そんなことを繰り返している。いつか、いつかはと自分を奮い立たせてきたけど。

「しんどいなあ」

 校門まで続く坂を登り切ったところで、私は溜め息をついた。

 水曜日、昼休みが明けたこの時間帯は私のように三限目の授業がない学生は、図書館か、サークル棟か、カフェテリア棟のどこかに大抵居座ることになる。駅前の本屋に行く人もいるけれど、片道二十分かかる距離を歩くにはもう寒い季節になってしまったので、私が行くのはもっぱら図書館かカフェテリア棟のどちらかだ。どちらでもいいのだけど、トートバッグに入ったお昼ごはんの重さを不意に思い出したので、私はカフェテリア棟へと足を向けることにする。誰か一人くらいは知り合いがいるだろう、と。

 晴れているけれど上空の雲の流れは速く、ロングスカートの裾を揺らしながら北風が足下を通り抜けていく。構内を歩く人はまばらで、知っている顔とすれ違うこともない。虚無というか無表情というか、一人でいる人はそんな顔をしている人ばかりだ。きっと私も同じ顔をしているのだろう。

 校門をくぐってから五分ほど歩いて到着したカフェテリア棟の、エレベーターに乗り込み三階で降りる。白色と木目調を主としたこの階は私の入学直前にリニューアルしたものだそうで、学生に人気の場所だ。特に、女学生には。現にこの時間もテーブル席の六割ほどは埋まっていて、その利用者のほとんどは女子だ。机の上にレポートを並べつつ和気藹々と話を、おそらくは勉強以外の話に花を咲かせている。あちらこちらで笑い声が上がる。

 私がここに来るのは夏以来。同じ学科の子たちとよく一緒にご飯を食べたり課題をやったり雑談したり、私もここにいる子たちみんなと変わらないことをしていた。でも、今は遠い昔の出来事みたいに思えて仕方がない。

 あたりを見回すと、窓際の丸テーブルに座るグループの一人と目が合い、久しぶり、みちるちゃんも一緒にどう? と誘われたので、呼ばれるがままその一団に加わった。

 愛理あいりかおる由里ゆり。この女の子たちとは入学当初からの付き合いだ。初登校のとき、キャンパス内で迷いかけた私に声を掛けてきたのがきっかけで知り合った。なお三人は大学の付属高校からの友人同士だと聞いている。

 私はこの子たちと授業で近くの席に座ったり、課題を教えあったり、一年生の冬休みには一緒に京都旅行したりと、だいたい四ヶ月前まではよく一緒にいた。四ヶ月前というのは先週ふられた田崎と出会った夏である。別に四ヶ月間会話をしなかったとかそんなことはないけれど、授業開始ぎりぎりに教室に滑りこむだとか、二駅隣の大学に通う元カレと会う時間を作るために後期は極力三限目の授業を履修登録しなかったとかしているうちに、この子たちと会う時間が自然と減っていたわけで。

 机に目線を落とすと、無造作に置かれた教科書やノート類に囲まれるようにして一冊の雑誌が開かれている。大学生向けのファッション紙。

「今月のクリスマス特集読んだ?」と由里に尋ねられ、私は頷く。このコーデかわいよね、この限定コスメ集の中ならこれが気になるよね、とか暇つぶしに他愛のないやりとりが始まって、私は広げたお弁当を箸でつまむのに意識を傾けつつ適当に話に乗る。正直、今の私の心には受け止め切れない話題だ。

「ところでみんなさ、クリスマスにあげるプレゼントとか行く場所とかは決めた?」

『クリスマスデート必勝法!』とでかでかと載った記事のタイトルを愛理が指でなぞりながら言ったとき、私の心臓は一際大きく脈打った。愛理と香は前々から相手がいるから、今はひたすら浮き足立つ時期だというのは分かる。なら、彼氏がいない由里はどうだろう。

「わたしは、時計にするつもり……時計がいいって彼氏からもリクエストもらったし」

 嬉しそうに顔を上気させながら由里が話すのを聞いた途端目眩がした。ますます自分が居たたまれなくなる気持ちはお弁当を咀嚼することで紛らわしたい。だけど、卵焼きもウィンナーもきんぴらも、どれを取っても味を感じられなくて、せめてもの愛想笑いでその場をやり過ごそうとしている。

 そもそもこの弁当も田崎に会って渡すために作ったものだった。会って、私が悪かったから許してって、ともかく会う口実として作ったけれど向こうの大学を探し回っても会えなかったから、こうして自分の手元にある。今まで以上に彩りにも気を使ったここ最近一番の自信作だったのに、もはや自分で食べる他ない。

「みちるちゃんは決めてるの?」
「まだ決まりではないんだけど……プレゼントはお財布にしようかなって。あとは温泉に行きたいねーとか言ってるよ。これは年末になるかもしれないけど」

 私は別れる一ヶ月ほど前の会話を引っ張り出しながら答える。

「恋愛ってさ、自分がすっごく幸せに満たされるからいいよね。潤うっていうか」

 香の発言を受けて目の前の三人は和やかに頷きあう。私はまだ三分の一は残っているお弁当をしまって、立ち上がった。

「あっ、しまった、図書の返却期日忘れてた! 行ってくるから、またこのあとの授業で会おうね」

 またあとでね。と三人に見送られながら、私は足早にカフェテリアを出て行く。図書館に行く予定なんてないのに。

 泣きたかった。いや、心の中ではすでに涙が出ていて、傷ついた心臓に染みて、痛い。

 カフェテリアの一階まで降り、トイレの個室に駆け込んでうずくまる。目眩と腹痛を抑え込むように、深呼吸する。大丈夫だ、しっかりしろ、みちる。大丈夫、大丈夫じゃないけど、なんとかしなきゃ。

 愛が私を潤してくれたことなんてあっただろうか。好きな人がいる、心が通じ合っていると笑えた瞬間はいつだろうか。相手と過ごす時間は幸せだけど、愛していると伝えるたびに私の心はすり減り渇いていく。私がいくら愛せど同じだけの愛を返してくれる人はいない。いつもいつも、二人でいても独りぼっちだ。

 最近まで付き合っていた田崎も、その前に付き合った男二人も、癒やしを与え渇きを癒やしてくれることはなかった。泰星は子どもだから論外。

 愛が私を癒やすことなんて一度もなかったと、目を背け続けていた事実に直面してしまった。

 どうして私は愛されないのだろう。どうしてみんなと同じように生きられないのだろう。

 トートバッグから弁当を取り出し、トイレの中にぶちまける。

「誰も。私を愛してくれやしない」

 ひとりでに小さく零れた言葉も、本当は誰かに向けて訴えたいのに。渦を巻いて、消えていった。
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