生きるため。そう信じて、小さな希望をかき集めていく。(完)

 佑星くんとの邂逅から一ヶ月あまりが過ぎた。私は訪れるはずのなかった奇跡に出会えた幸せを噛みしめているとともに、なんとまあ自分は今浮かれているのだろうと呆れてもいる。

 自宅に持ち帰った仕事も終わったのでパソコンを閉じ、私はスマホを手に取る。黒いスリープ画面に反射した自分の上機嫌な顔を見て、思わず苦笑いした。

 私が泰星に為した行い、その罪に悔いや悲しみは消えない。きっと、何十年経っても。

 だけど、佑星くんと再会してからは嬉しさが勝るのだ。泰星のことを誰かに語れる喜びが。そして私は、泰星と過ごした穏やかで優しい日々を思い出していた。忘れかけていた記憶だった。

 佑星くんにはお互いの都合が合った放課後や昼休みに、泰星のことを少しずつ語っている。佑星くんにとっては知らないことが多かったみたいで、佑星くんは目を丸くしたり大きな体を揺らして笑ったり、時折切なそうに笑いながら私の話を聞いていた。

 私自身も、言葉にすることで泰星との思い出や想いを咀嚼している。その中で私は、今まで目を背け続けていたある一つのことに向き合う決意を固めた。でも、一人では不安だから助けを借りようと考えている。

 スマホの画面を起動して時刻を確認する。金曜日の二十二時。少々遅い時間だけど、相手も家でくつろいでいるころだろう。メッセージアプリを開き、テレビ電話をかける。

「どうしたん? みちるから電話かけてくるってめずらしい」

 画面にしおりの顔が映る。しおりは少し眠たそうな様子だった。朝早い仕事に転職したばかりでまだ慣れていないのかもしれない。

「お疲れのところ悪いね。一つ、お願いしたいことがあって」
「なおさらめずらしくない? なに? お願いって。高くつくよぉ」

 にやにやと笑うしおり。

「あのね」私は心臓がどきどきするのを感じながら、言う。「泰星くんがいるお寺に行きたいんだけど、一緒に来てくれないかな?」

 私が言うと、画面の向こうでしおりがぎょっとしたように声を呑んだのが分かった。

「……え、急な話だね?」
「ごめん、急で」
「なんか、決心ついた感じ?」

 しおりは静かに私に問いかける。

「うん。いい加減そろそろ、会いに行こうと思って」私は頷く。

 泰星の墓参りに行く決心がついたのだ。場所はずっと前から知っていたけど、行く勇気が持てないでいた。ようやく……本当にようやく、私は泰星の死にちゃんと向き合って、理解できつつある。

「そっか。長かったね」
「うん。そうだね。それで、しおりは予定空けるの難しい?」
「いや? 大丈夫よ。あたしは何回か行ったことあるから場所も分かるし、今月は土日休みが多いシフトだからみちるに合わせやすいし。行こう行こう。いつにする?」
「あ、ちょっと待って。確認する」

 私は仕事用のカバンからスケジュール手帳を取り出して五月と六月の予定を確認する。研修の予定がいくらか入っているけど、来週の土日はたまたま両日とも空いていた。

「そうだ。みちるさ、来週土曜なら旦那が休みだから車も出せるよ」

 右を向いて「いいよね? 来週土曜」としおりは夫と話し始める。いいよ、という返事がこちらにも漏れ聞こえてくる。

 しおりは二年前に結婚した。しおりが結婚するまで私たちは一緒に住んでいたから、しおりが出て行くときは少し寂しかったのを覚えている。戻ってくるなよ。なんて言いながら見送ったけど、今のところ戻ってくる気配は全くなくて私は一安心している。

「というわけで、みちる。来週土曜の十一時ぐらいでどう?」
「本当? ありがたいけどなんだか申し訳ない」
「泰星くんの入ってるお寺って、最寄り駅降りてからバスに乗らないといけないんだけどさ、バスの本数少なめだし、みちるは初めて行くから場所ちょっと分かりづらいかもだし。一緒に車で行ったほうが速いし楽だよ。川崎駅西口のロータリーで合流しよう?」
「なるほどね。なら、お言葉に甘えようかな」

 私は手帳に予定を書き込む。そしてふと思い立って、しおりに尋ねる。

「ちなみに、もう一人増えても乗れる?」
「車内に四人ってことだよね。大丈夫だけど、誰? もしかして佑星くん?」
「その通り。せっかくなら誘ってみてもいいかなって。しおりと佑星くんを引き合わせたいなぁとも思うし」

 しおりには佑星くんに再会したことを以前伝えている。しおりも偶然の再会にはすごく驚いていたと同時に、佑星くんに興味を持っていた。

「先生と生徒が学校外で会うとか、それって先生的には大丈夫なの?」
「元々、遠縁とはいえ身内だから大丈夫かなって。そこにしおりがいれば尚更」
「あーなるほどね。いいんじゃん? みちるにお任せする」

「なら佑星くんに部活の予定聞いて、大丈夫そうなら誘ってみるね。結果はまた連絡する」
「了解。じゃ、またね」

 こうして私たちの通話が終わる。

 私はスマホを閉じて、深く息を吐く。そうしてから、手帳の内側のポケットから栞を取り出して眺める。佑星くんから受け取った、泰星の栞。

 今にして思うに、私は泰星のことが好きだった。好きという気持ちが恋によるものだったかは分からない。恋慕もあるかもしれないけど、友愛とか敬愛とか、仄暗い執着心とかいろいろなものが混ざり合って出来たものに思える。けれど、この感情の正体は何だって良かった。泰星が好きで大切だという結果に価値があるから。

「好きだよ。泰星くん」

 私は呟く。一瞬泣きそうになったけど、それは本当に一瞬のことだった。

 栞を手帳にしまう。この花の栞はお守りだ。私を支えてくれるもの。

 泰星には何の花を渡そうか。キクやカーネーション、ユリ。チューリップがまだあるならそれも。けれど私は何よりも、バラを選びたいと思っている。

 赤やピンク、黄色といった色とりどりで鮮やかなバラ。そんな私の本心を花束にして、泰星に捧げよう。
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