全てが覚めない夢だったら、よかったのに。

「みちる。そろそろごはんにしようよ」

 通夜から帰ってくるなり服も着替えずベッドに寝そべっていた私に、しおりが声をかける。

 親族のみ参加するとのことで、通夜振る舞いには参加しなかった。私としおりはただの遠縁に過ぎない。その上私たちの参列は、母の代理だったから。

 私と泰星の関係を知る人がいたなら参加していたのだろうか、と一瞬考えかけて、やめる。家庭教師と生徒ではない、歪な私たちの関係を知られていては、もしかしたら参列どころではなかったかもしれない。……そういえば、私たちが熱海に行ったことについて泰星の母親から何も言及がなかったな。責められることも覚悟していたのだけど。

「ねえ、ごはんにしよ」

 しおりがこちらを案じるような声色で言う。

「……あんまり食べれないと思う」

 天井を見上げて私は返事をする。白い天井がぐるぐる回って見える。

「残していいから、ちょっとは食べて。一昨日からろくに食べれてないじゃん」
「心配してくれてるの?」
「当たり前だし」
「そっか。ありがとね」

 私は重だるい体をのそのそと起こし、テーブルにつく。時計を見たら二十三時を回っていた。しおりはとっくにメイクも落とし、部屋着に着替え終えていた。しおりはチキンライスとポトフを二人分置いて、私の向かいに座る。

 しおりが食べ始めても、私は頭がぼんやりとしたままで、指の一本動かすのも億劫だ。

「食べるの無理そうなら、寝とく? とりあえず着替えてからさ」

 黙々と、食べるのに集中しながらしおりが言う。

「寝てはいたと思うけど」
「それ、寝ころんでただけじゃん? 睡眠って意味ならそれこそ寝てないでしょうよ、一昨日から」
「うん、そうだね……」

 私は返事をする。立ち上がろうと思うけど、今度は足が動かない。食事をするでもなく、寝るでもなく。何かをするための体力の一つも残っていない。

「あの。あのね、言ってなかったんだけどさ」しおりは顔を上げ、静かに話を切り出した。

「あたし、みちると泰星くんが熱海に行ってる朝にさ、泰星くんから連絡もらってたんだよね」
「そうだったの……?」

 泰星、のキーワードを聞いた私の頭が思考を始める。しおりは言葉を続ける。

「家族でもない未成年と旅行って、みちるやばいなーってと思って、私がそっち行くから泰星くん帰っておいでよって。そんな風にメッセージ送ったらあの子、『みちるさんがしんどそうだから、ほっとけない』って、そう言ってきてさ」

 しおりはスマホを私の前に置く。画面をのぞき込むと、しおりが話したものと変わらないメッセージのやりとりが表示されていた。メッセージの横に表示された時間を見ると、私があの日しおりに連絡した時間よりも早い。なるほど、私が連絡するより前に泰星がしおりに連絡していたから、しおりがすんなりOKの返事を私に送ってきたのか、と合点がいく。

「『上手く言えないけど、俺にしか出来ない気がします。だから、少し時間をください』とも言ってるし。ほら」

 しおりは私にスマホを握らせながら言った。

「お人好しだよね、本当に」
「色男だー、とも感じたけど」
「それは確かにそうかも」

 同級生だという女の子が弔問客として結構な数来ていたし、その子たちの悲嘆にくれる様子を思い出して、私は頷く。

 メッセージのやりとりは長々と続いていた。私の知らないところで二人が連絡をとっており、かつそれが私についてのこととあってむず痒い気持ちになりながら、私は画面スクロールを続ける。

「多分、泰星くんは好きだったと思うよ。みちるのこと」

 しおりがそう言ったのと、私が泰星のメッセージを見て指を止めたのは同時だった。

『きっかけはともあれ、好きな人と旅行できて嬉しいです。俺の気持ちは叶わないとは分かっています。俺は子どもで大した力もない。だけど、助けたいとか一緒にいたいって気持ちは否定されたくないし、諦めたくないです』

 ……好きな人。誰が。泰星が、誰を? 何を諦めたくない?

 泰星の言葉が脳裏に蘇る。

『みちるさん。また来ましょうね。絶対。約束ですよ』

 熱海のあの日。海沿いのテラス。泰星は笑っていた。私にはそれが心底嬉しそうな顔に見えたことを思い出す。

「嘘だ。嘘でしょ。こんなのって」

 体が震える。スマホが手から滑り落ちて、かつんと音を立てた。

 しおりは椅子から立ち上がって、私の横に来る。

「あたしは泰星くんとみちるの間に何があったかまでは知らない。でもあの旅行でみちるを救ったのは絶対泰星くんだ。泰星くんのメッセージを見て、あたしもしっかりしなきゃなーって思えるくらいには、心に響くことを言われたよ。泰星くんにはさ」

 私の肩に手を置いてしおりは言った。

「きっと、泰星くんはみちるの力になりたい一心で、旅行に着いてきたんだなーって。片思いだったとしても、好きな相手のためになりたいって、思っていたんでしょ」

「……嘘だ。嘘だ、そうだって、言ってよ……」

 喉が渇く。声を出そうにも上手く言葉にならなくて、息が漏れるばかりだ。

 泰星を軽んじて、こちらの都合で振り回して。

 なのに泰星は、私のことが好きだった? どうして? 何故好きになったのが私だったの?

 理由を訊きたくても、もう、泰星はいない。あの穏やかな笑みを向ける少年はどこにもいない。手を握ることも、抱きしめることも、キスをすることも出来ない。

 ようやく直視できた現実は重く、私を容赦なく押し潰す。

「私は、何も、してあげれてない……」

 純粋に泰星のためを思ってしたことなんて、私にはなかった。家庭教師をしているときも、出かけたときも、私のことしか考えていなかったのだ。

 泰星は私にいろいろなものを気づかせ、与えてくれたのに、私は泰星に何もしてあげられていない。

 だけど泰星は優しいから、『そんなことはない』なんて言って笑うのだろう。そんな泰星に私は甘え続けていたんだ。

 私は……私は、なんて、酷いことをしてしまったのだろう。

「ごめん、ごめん……。泰星……」

 涙が溢れる。謝っても、もうどうにもならないことで。歯がゆくて、情けなくて。

 私はしおりに横から抱きしめられる。しおりは、子どもをあやすように私の頭や背中をゆっくりと撫でる。

 泣き疲れた私が眠りにつく明け方まで、しおりはこうしてずっと側にいてくれた。
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