掌編
ぶおおー、と古いドライヤーが唸る。そのドライヤーを操りながら、わたしの髪を手で優しくときながら乾かしてくれるのは大好きなあなた。
「今日も綺麗だね」
「うふふ。ありがとう」
頭がやっと軽くなってきたから、仕上げにとお気に入りのヘアオイルが入ったボトルを手渡した。髪が揺れるたび、ふわわと香るバラ。心がときめく。気分はまるでそう、お姫さま。
「今日はねー、久しぶりにデパート行ってみたんだ」
「え?」
「デパート行ったの」
ぴたり。あなたはブラシを動かしていた手を止める。振り向けばあなたは探るような目をしていた。
「外気で髪が傷むだろうに。よくもまあ」
「大丈夫だったから。それに、一時間。たった一時間でお買い物終わらしたよ? ダメかな?」
あなたの刺すようなまなざしをのらりくらりはぐからす……ことが出来たかはわからない。いいじゃないの、ちょっとくらい。おうちは好きだけど、わたしだって時々はあなたみたいに外に出たくなるよ。あこがれのパンケーキ。楽しげなショーウインドー。ほかにもいろいろ、おうちじゃ出来ないことだってたくさんやってみたい。そんなお年頃。
「あのねあのね、可愛いピンクのニット買っちゃった。明日見せてあげるね」
「君には青がよく合うのに」
「そうなの?」
「そうだよ。次は俺が買ってくるから。勝手に出ないようにね。何があっても知らないよ。何度も言うようだけど、外は危険がたくさんで怖いところだ。君が想像するよりもずっと甘くない。今回はたまたま何もなかっただけだろう。君の黒髪の美しさが傷つけられてからでは遅いんだ」
「はーい……」
「……ごめん、言い過ぎた。とにかく無事でよかったよ。そろそろ寝ようか」
あなたはいつもみたいに、ほっとするような和やかな顔に戻ってわたしに大きくてあったかい手を差しのべる。わたしはその手を取って立ちあがる、はずのところでバランス崩して、どてっとカーペットにスライディング。
「いったたた……」
盛大に自分の髪を踏んづけてしまったみたい。頭とすりむいた鼻がじんじんする。
「大丈夫? 髪は」
「だいじょーぶ。心配かけてごめんね。よかったら、持ってよ。また踏ん付けちゃったら大変」
「仰せのままに」
わたしが鼻をこする間にあなたは髪をお気に入りのシュシュで結わえて、それを大事そうに抱えて一緒にベッドまで歩き出した。
わたしはお姫さま――お姫さまでも、わたしはラプンツェル。塔を登ってきた王子さまと恋に落ちたお姫さま。だけどね、あなたのことは好き。初めて目があったときからずっと、もうずっと。くるぶしのあたりまですっかり伸びた髪のせいでじろじろ見られてなかなか外に出られないわたしでも、あなたはなでて、微笑んで、ぎゅっと抱きしめてくれる。けれど、あなたはわたしと同じような『好き』を思ってくれているのか、なんていつからか分からなくなってしまったし確かめるのも怖くなってしまったな。あなたが好きなのはきっと、わたしの長くてつやめく黒髪だけだから。
「ああ、素敵だ。おやすみ、可愛いお姫様」
「うん、おやすみなさい。大好きな王子さま」
一緒にふかふかのベッドに入って電気を落とせば、あなたはわたしの髪をほどいてそこに顔をうずめた。あなたが準備してくれるベッドはいつもふわふわで気持ちいい。ちょっとだけ、ちくちくした心が丸くなる。
わたしは外の世界にあこがれるお姫さま。魔法なんかなくても愛の力で目覚めさせてくれるみたいな、そんな素敵なわたしだけの王子さまを自分で探しに行きたいお年頃。でも、あなたは許してくれない。おうちにいてね出ないでねって、あなたは世界をのぞくことすらわたしに許してはくれないのだ。わたしはあなたを王子さまだってずっと信じていた。けど、もしかしたら、王子さまはあなたじゃなくてあなたは行く手をじゃまする魔法使いだったのかな。
考えたの。あのね、わたしの髪をあなたの首にぎゅっとあなたがずっと眠ってしまうまで巻きつけて、そしたら髪を切ってあなたにあげる。生まれてからずっと一緒だった髪を切るのは寂しいけど、これならわたしも、あなたもきっと喜んでくれるよね。
向かい合ってすうすうと寝息をたてるあなたの肩にひと房かける。深呼吸してさらに近付いて、あなたの胸に顔をうずめる。わたしと同じ石けんのにおい。あったかくて包みこんでくれるような心臓の音。あなたのおでこにキスをすれば涙がぽろぽろ、不意にこぼれだして止まらない。わたしは髪から手を放す。そして、そっとあなたを抱きしめてすべてをあずけた。
本当の王子さまじゃなかったとしてもいい。やっぱり、わたしの王子さまはあなたしかいない。
「今日も綺麗だね」
「うふふ。ありがとう」
頭がやっと軽くなってきたから、仕上げにとお気に入りのヘアオイルが入ったボトルを手渡した。髪が揺れるたび、ふわわと香るバラ。心がときめく。気分はまるでそう、お姫さま。
「今日はねー、久しぶりにデパート行ってみたんだ」
「え?」
「デパート行ったの」
ぴたり。あなたはブラシを動かしていた手を止める。振り向けばあなたは探るような目をしていた。
「外気で髪が傷むだろうに。よくもまあ」
「大丈夫だったから。それに、一時間。たった一時間でお買い物終わらしたよ? ダメかな?」
あなたの刺すようなまなざしをのらりくらりはぐからす……ことが出来たかはわからない。いいじゃないの、ちょっとくらい。おうちは好きだけど、わたしだって時々はあなたみたいに外に出たくなるよ。あこがれのパンケーキ。楽しげなショーウインドー。ほかにもいろいろ、おうちじゃ出来ないことだってたくさんやってみたい。そんなお年頃。
「あのねあのね、可愛いピンクのニット買っちゃった。明日見せてあげるね」
「君には青がよく合うのに」
「そうなの?」
「そうだよ。次は俺が買ってくるから。勝手に出ないようにね。何があっても知らないよ。何度も言うようだけど、外は危険がたくさんで怖いところだ。君が想像するよりもずっと甘くない。今回はたまたま何もなかっただけだろう。君の黒髪の美しさが傷つけられてからでは遅いんだ」
「はーい……」
「……ごめん、言い過ぎた。とにかく無事でよかったよ。そろそろ寝ようか」
あなたはいつもみたいに、ほっとするような和やかな顔に戻ってわたしに大きくてあったかい手を差しのべる。わたしはその手を取って立ちあがる、はずのところでバランス崩して、どてっとカーペットにスライディング。
「いったたた……」
盛大に自分の髪を踏んづけてしまったみたい。頭とすりむいた鼻がじんじんする。
「大丈夫? 髪は」
「だいじょーぶ。心配かけてごめんね。よかったら、持ってよ。また踏ん付けちゃったら大変」
「仰せのままに」
わたしが鼻をこする間にあなたは髪をお気に入りのシュシュで結わえて、それを大事そうに抱えて一緒にベッドまで歩き出した。
わたしはお姫さま――お姫さまでも、わたしはラプンツェル。塔を登ってきた王子さまと恋に落ちたお姫さま。だけどね、あなたのことは好き。初めて目があったときからずっと、もうずっと。くるぶしのあたりまですっかり伸びた髪のせいでじろじろ見られてなかなか外に出られないわたしでも、あなたはなでて、微笑んで、ぎゅっと抱きしめてくれる。けれど、あなたはわたしと同じような『好き』を思ってくれているのか、なんていつからか分からなくなってしまったし確かめるのも怖くなってしまったな。あなたが好きなのはきっと、わたしの長くてつやめく黒髪だけだから。
「ああ、素敵だ。おやすみ、可愛いお姫様」
「うん、おやすみなさい。大好きな王子さま」
一緒にふかふかのベッドに入って電気を落とせば、あなたはわたしの髪をほどいてそこに顔をうずめた。あなたが準備してくれるベッドはいつもふわふわで気持ちいい。ちょっとだけ、ちくちくした心が丸くなる。
わたしは外の世界にあこがれるお姫さま。魔法なんかなくても愛の力で目覚めさせてくれるみたいな、そんな素敵なわたしだけの王子さまを自分で探しに行きたいお年頃。でも、あなたは許してくれない。おうちにいてね出ないでねって、あなたは世界をのぞくことすらわたしに許してはくれないのだ。わたしはあなたを王子さまだってずっと信じていた。けど、もしかしたら、王子さまはあなたじゃなくてあなたは行く手をじゃまする魔法使いだったのかな。
考えたの。あのね、わたしの髪をあなたの首にぎゅっとあなたがずっと眠ってしまうまで巻きつけて、そしたら髪を切ってあなたにあげる。生まれてからずっと一緒だった髪を切るのは寂しいけど、これならわたしも、あなたもきっと喜んでくれるよね。
向かい合ってすうすうと寝息をたてるあなたの肩にひと房かける。深呼吸してさらに近付いて、あなたの胸に顔をうずめる。わたしと同じ石けんのにおい。あったかくて包みこんでくれるような心臓の音。あなたのおでこにキスをすれば涙がぽろぽろ、不意にこぼれだして止まらない。わたしは髪から手を放す。そして、そっとあなたを抱きしめてすべてをあずけた。
本当の王子さまじゃなかったとしてもいい。やっぱり、わたしの王子さまはあなたしかいない。
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