掌編

 黄ばんだ冷蔵庫をそっと開ける。
「げっ」
 引きこもり生活七日目。とうとう食べ物がなくなった。
 いや。もしかすると、お菓子くらいならどこかに埋まっているかもしれないな。さぁ宝探しだ、なんちゃって。破けたソファーの上に置いてあったままのスカートをひっつかんで穿く。
 空のペットボトル。薄汚れたくまのぬいぐるみ。子ども向けの衣服。またペットボトル。紙屑で膨らんだポリ袋。床板が見えないくらい散乱する物を適当に蹴っ飛ばしつつ、時には手を突っ込んで探りつつ、「うわっ」ふと触れた違和感に手を引っ込める。さびた包丁があった。
 刃物を放置するとは、なんとまあ危ない家か。怪我をしたら大変だ、靴を履こう。これまたごみ山を乗り越え、玄関に向かう。
「あれっ? あれれっ?」
 わたしのローファーがない。いろんなサイズの靴が置いてあって、赤黒くなってない小奇麗なままの靴には足を突っ込んで試してみるけど、二十五センチオーバーと女子にしては大きいわたしのシンデレラサイズはなかった。靴箱も漁ってみるけど、どうやらなさそうだ。どこにあるんだ、わたしのローファー。ブランド物の茶色いローファー。あごに手を当て、考えるポーズ。
 ……もしかして、あの和室っぽい部屋? 多分そうだ。『汚い家だから靴のままでいいよ』そうだそうだ、こんなこと言われたんだった。で、一日目の夜に脱いで寝たんだ。思い出した。間違いない。……うわぁ。あの部屋二度目はない。また入るとか無理。なら、小さくても他の靴を使う?
 うんうんと唸って悩んだ挙句、わたしは和室へ足を向ける。だってお気に入りのローファーだし、食べ物もなくなったからどうせ外に行くのに、また履き替えるのもめんどくさいし。嫌だけど。すごくすごく入りたくないけど。
 深呼吸を一回。障子の向こうから漂う、甘いような、酸っぱいような、なんとも形容しがたい生臭さ。つんと鼻についた悪臭に、二度目の深呼吸はやめた。やっぱりこの部屋は一番やばい。でも、ローファーのためだ。いざ。黒く変色していない木枠の一部分を掴んで、障子を開ける。
 破けたカーテンの隙間から射す夕明かり。照らされた部屋の中央、ぺらっぺらの万年床。通せんぼするみたいに、布団にうつぶせで倒れているおじさん、顔だけは横を向いていた。一週間前最後に見たまま、ぶよんぶよんの下半身丸出し姿。おじさんを型取るようについた染みは、出てきた水分なんだろうな。確かめないけど。あーあ、だから入りたくなかったのに。気持ち悪い。
 ローファーはおじさんの左側に揃えてあるのを見つけた。さて取りに行きたいけど……他の部屋に比べると少ないけど、この部屋もゴミが多い。楽なルートはといえば。
「よいしょ、と」
 布団をまたいでローファーを履きに行く。両足を入れたら、いつもの感覚が戻ってきて、嬉しくなって、飛び越えて戻る。
「あっ」
 微妙に飛び越えきれなかった。踏み切り足がおじさんの腰にあたって、わたしはよろけつつもなんとか着地。決まらなかったけどとりあえずはミッションコンプリート。
 部屋を出る前に、もう一度中を見回す。布団に、なんか白っぽくて半分溶けたみたいな丸い物が新たに落ちていた。……わぁ。かわいそうだから、置いてあったバスタオル、は、やっぱりやめて、Tシャツをお尻の方に掛けてあげる。穴からなんか出てたり白い二つの臓物がむき出しになってたり、まぁ、特にひどい感じになってたから、宿を提供してもらったお礼に最後の矜持くらいは守ってあげようかなって。バスタオルを取って、障子を閉めた。
 この家を出て行く前に、ローファーを軽く洗っておきたい。においを取るため、あと最後に蹴っちゃった分の汚れを落とすために。いや、このタオル思ったよりきれいだから、ついでにお風呂も入ろうかな。この家も多分、じきに電気とかガスとか、水道とか止まる。わたしも次、宿にいつ泊まれるか分からないしさ。よし、そうしようっと。


 途中、排水溝から逆流してきた髪の毛のかたまりや赤黒い水と格闘しつつも、なんとかシャワーを浴び終わった。髪を乾かして、制服を着て、メイクもばっちり完了。
 鞄の中身を確かめると、来る前にもらったラムネがなくなっているのに気が付いた。……なるほど、だからおじさんは。悪い人だ。人のものを勝手に使った罰が下ったのかな。わたし、クスリ使う気はなかったから使われたって問題はない。死んだのは、ラムネ以外にも理由あるっぽいけど。
 しかし、ホラーな家だったなぁ。赤黒い水とか、髪のかたまりとか、床に転がる包丁とか、ホラーゲーム以外で初めて見た。排水溝開けたら、爪もごろごろと出てきたし。もしかしたら、庭掘ったら骨も出てくるかもしれない。二日目におじさんが死んでからはミステリー度に輪をかけた印象もある。だけど、たとえホラーでもミステリーでも、わたしは主人公になるつもりないです。ああいうのは一歩引いてフィルター掛けた、プレイヤー目線だから面白いわけで。ホラーゲームは全クリアしたことないからイメージで言ってる。
 警察とか来るのかな。来るだろうな。あの悪臭は、あと一週間もすればご近所にも漂うんだろう。そうしたら、なんかの拍子でわたしが警察署に呼ばれたりするかな。犯人と思われるかな。そのときは『おじさんに呼ばれてきたけど、亡くなって、怖くなって通報も頭から抜けたんです!』とでも言っておこう。わたし、十代のおバカな乙女だもん。怒られるくらいで済むでしょ。もらったクスリをやった訳でもないし。
 さて。それはさておき、一週間ぶりの外だ。今週あたり、学校にもそろそろ顔出した方がいいだろうな。とりあえずまずは、なんか食べに行こう。おなか空いたし、お金もおじさんから貰ったことだし。
「じゃあね、ばいばい」
 靴を履いて、スキップでおじさんの家を後にする。
 十代の夜。楽しいことはまだまだこれから。
8/13ページ
    スキ