掌編
『先月25日にここ、××市○○区で発生した切断遺体事件は――』
薄暗い室内にテレビの音が響く。耳障りだ、と思えども僕の意識は画面から離れることを良しとしない。
僕は寝そべる。楽な体勢で、この番組を見続けるために。薄汚れたカーテンは開いたままで、外がだんだん暗くなるのがよく分かる。
『被害者は都内の男子大学生、アオキアスマさん。同じ月の23日にアルバイト先を出たのち行方が分からなくなっていました』
高校の卒業アルバム。満面の笑みで写っている『アオキアスマ』。画面が切り替わり、橋の上を歩くリポーター。カメラは草の生い茂る土手を映す。夕焼けだろうか、太陽の光が水面に反射して輝いていた。思わず目をそむける。
『そして、先月25日。この土手でカバンに詰められた両腕と両足が発見されました。近くに落ちていた財布や衣服に大量に付着した血液から、被害者の身元が判明したのです』
熱っぽく語るリポーター。専門家が出てきて犯人はどういう人物か、アオキアスマがバイト先を出てからの足取りを推測しこれまた熱い。
『警察による執念の捜査もむなしく、いまだアオキさんの頭部と胴体の発見には至っておりません』
頭部と胴体は一体どこに隠されたのか。
犯人は被害者と顔見知りだった可能性が高い。
犯行は用意周到だったと考えられる。
事件発覚当初に散々言っていたことの繰り返し。目新しい情報はない。しいて言えば、被害者に関する情報が増えたこと、犯行に使われた刃物の特定が進んでいることくらいか。それでも犯人の特定には至っていない。
体を起こそうと寝返りを打つ。しかし天井の染みが見えただけで、僕はただただ転がっていることしかできなかった。もうずっとだ。もう、ずっと。吐きたくもないため息が出る。
そのとき、玄関の扉が開く音がした。トントン、と足音が近づいてくる。
「ただいま」
スーパーの袋を引っ提げて部屋に入ってきた男。僕の顔を覗き込んで笑った。
「いい子にしていた? 寂しくなかった?」
ぞっとするくらい美しい笑みだ。男は僕を抱き起こす。身にまとったスーツが仄めかす街の気配。僕の鼻を存分にくすぐった。
「俺がいない間に外に行ったりしてない?」
「してない……」
「そう」
椅子に座らされ、髪を撫でられる。気持ち悪い。しかし、僕は非力だ。手を払いのけることさえ出来ない。
『――これからもこの番組では××市切断遺体事件を取り上げていきます』
いつの間にかコーナーも終わりのようだ、レポーターが締めくくったのち天気予報に変わった。明日は雪が降るそうだ。
「毛布出しとくよ。はい、あーん」
言われるがままに口を開き、スプーンを受け入れる。ひとりでは食事もままならない。男からの給仕は暗い日常の茶飯事になってしまった。
「マスメディアの関心はまだあるんだねぇ。バラバラ! 猟奇事件! ってネタになるから?」
「……さぁね。自分の心配したらどうなの」
「大丈夫だよ。バカじゃないからさ」
けたけたと笑い、僕の頬を撫でる。男の細い指が僕の唇をなぞって、ぐいぐいと口に押し込まれる。
「……っっ」
「痛いじゃないか。まったくもう」
噛みついた僕に男は指を引っ込めた。
「アスマくん、キミ、サイコーだよ……キミに出会えてよかった」
「来るな!」
押しのける手も、蹴り飛ばす足も僕にはない。
それでも僕は――アオキアスマは生かされている。どこかわからないアパートの一室で。
ろくな抵抗も出来ず、僕はぬいぐるみのように抱えられベッドに転がされる。
「アスマくん」
覆いかぶさられ、腹部に押し付けられた男の一部に血の気が引く。服を剥がされ僕のものをまさぐられ、深く深く口を吸われれば、僕の意識は次第に遠のいていった。
気がつけば外が明るい。「……あ、っあ」声は嗄れていて、流した涙は顔に張り付き、体を貫く痛みに呻いた。
「目が覚めた? おはよう」
男の大きな手が腕と足の断面を消毒し包帯をまき直す。それが済めば、僕を椅子に座らせた。真正面に対峙するように男も座る。昨夜の感覚が思い出され吐き気が止まらない。しかし、吐いても受け止める手は男のものだ。うつむいてこらえる。
「やっぱり君は最高だよ」
恍惚を浮かべる男。あの日、河川敷で僕を襲った時と同じ表情。
こんなことなら、いっそ殺されていればよかった。
「朝ごはんにしようか。はい、あーん」
ヨーグルトをスプーンで差し出してくる。一か月も経てば男の給仕も上手くなっていた。
もし、僕がこの食事を拒み続ければ、遅ればせながら死ぬことが叶うだろう。
しかし。僕は口を開ける。
……この世に救いというものはないのかもしれない。それでもいつか、救いが来るのを願って。
尊厳を踏みにじられても。生かされるのではなく、僕は。生きる。
薄暗い室内にテレビの音が響く。耳障りだ、と思えども僕の意識は画面から離れることを良しとしない。
僕は寝そべる。楽な体勢で、この番組を見続けるために。薄汚れたカーテンは開いたままで、外がだんだん暗くなるのがよく分かる。
『被害者は都内の男子大学生、アオキアスマさん。同じ月の23日にアルバイト先を出たのち行方が分からなくなっていました』
高校の卒業アルバム。満面の笑みで写っている『アオキアスマ』。画面が切り替わり、橋の上を歩くリポーター。カメラは草の生い茂る土手を映す。夕焼けだろうか、太陽の光が水面に反射して輝いていた。思わず目をそむける。
『そして、先月25日。この土手でカバンに詰められた両腕と両足が発見されました。近くに落ちていた財布や衣服に大量に付着した血液から、被害者の身元が判明したのです』
熱っぽく語るリポーター。専門家が出てきて犯人はどういう人物か、アオキアスマがバイト先を出てからの足取りを推測しこれまた熱い。
『警察による執念の捜査もむなしく、いまだアオキさんの頭部と胴体の発見には至っておりません』
頭部と胴体は一体どこに隠されたのか。
犯人は被害者と顔見知りだった可能性が高い。
犯行は用意周到だったと考えられる。
事件発覚当初に散々言っていたことの繰り返し。目新しい情報はない。しいて言えば、被害者に関する情報が増えたこと、犯行に使われた刃物の特定が進んでいることくらいか。それでも犯人の特定には至っていない。
体を起こそうと寝返りを打つ。しかし天井の染みが見えただけで、僕はただただ転がっていることしかできなかった。もうずっとだ。もう、ずっと。吐きたくもないため息が出る。
そのとき、玄関の扉が開く音がした。トントン、と足音が近づいてくる。
「ただいま」
スーパーの袋を引っ提げて部屋に入ってきた男。僕の顔を覗き込んで笑った。
「いい子にしていた? 寂しくなかった?」
ぞっとするくらい美しい笑みだ。男は僕を抱き起こす。身にまとったスーツが仄めかす街の気配。僕の鼻を存分にくすぐった。
「俺がいない間に外に行ったりしてない?」
「してない……」
「そう」
椅子に座らされ、髪を撫でられる。気持ち悪い。しかし、僕は非力だ。手を払いのけることさえ出来ない。
『――これからもこの番組では××市切断遺体事件を取り上げていきます』
いつの間にかコーナーも終わりのようだ、レポーターが締めくくったのち天気予報に変わった。明日は雪が降るそうだ。
「毛布出しとくよ。はい、あーん」
言われるがままに口を開き、スプーンを受け入れる。ひとりでは食事もままならない。男からの給仕は暗い日常の茶飯事になってしまった。
「マスメディアの関心はまだあるんだねぇ。バラバラ! 猟奇事件! ってネタになるから?」
「……さぁね。自分の心配したらどうなの」
「大丈夫だよ。バカじゃないからさ」
けたけたと笑い、僕の頬を撫でる。男の細い指が僕の唇をなぞって、ぐいぐいと口に押し込まれる。
「……っっ」
「痛いじゃないか。まったくもう」
噛みついた僕に男は指を引っ込めた。
「アスマくん、キミ、サイコーだよ……キミに出会えてよかった」
「来るな!」
押しのける手も、蹴り飛ばす足も僕にはない。
それでも僕は――アオキアスマは生かされている。どこかわからないアパートの一室で。
ろくな抵抗も出来ず、僕はぬいぐるみのように抱えられベッドに転がされる。
「アスマくん」
覆いかぶさられ、腹部に押し付けられた男の一部に血の気が引く。服を剥がされ僕のものをまさぐられ、深く深く口を吸われれば、僕の意識は次第に遠のいていった。
気がつけば外が明るい。「……あ、っあ」声は嗄れていて、流した涙は顔に張り付き、体を貫く痛みに呻いた。
「目が覚めた? おはよう」
男の大きな手が腕と足の断面を消毒し包帯をまき直す。それが済めば、僕を椅子に座らせた。真正面に対峙するように男も座る。昨夜の感覚が思い出され吐き気が止まらない。しかし、吐いても受け止める手は男のものだ。うつむいてこらえる。
「やっぱり君は最高だよ」
恍惚を浮かべる男。あの日、河川敷で僕を襲った時と同じ表情。
こんなことなら、いっそ殺されていればよかった。
「朝ごはんにしようか。はい、あーん」
ヨーグルトをスプーンで差し出してくる。一か月も経てば男の給仕も上手くなっていた。
もし、僕がこの食事を拒み続ければ、遅ればせながら死ぬことが叶うだろう。
しかし。僕は口を開ける。
……この世に救いというものはないのかもしれない。それでもいつか、救いが来るのを願って。
尊厳を踏みにじられても。生かされるのではなく、僕は。生きる。
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