掌編


 その日、青年は終わりを知った。

 月の無い夜に包まれ、暖炉の火が照らすはベッドひとつ椅子ひとつあるだけの小さな室内。

 青年はベッドの傍らにある椅子に座り、ベッドに横たわる少女の髪に触れる。指の間からさらさらと零れ落ちる黒髪は冷たい流水のごとく、紅玉のような瞳は開かれることはない。

 髪から白い頬へと少女を撫でる青年の手はやがて少女の胸に触れた。皮一枚隔てた先にある少女のそれはもう動いていなかったし決して二度と動くことは無い。青年は分かっていた。それでも確かめずにはいられなかった。

 彼は静かに思い出す。亡き少女の手を握りながら、年若い彼にとっては遠い昔のことを。悠久を生きた少女にとってはほんの最近のことを。





 まだ年端の行かぬ子供だった彼を拾ったのはこの少女だった。

 人里から遠く離れた雪深い森の中。親を亡くし、見た目も中身も人間でありながら遠い血筋に魔族がいることを理由に村から捨てられた子供は、こうして魔女である少女と暮らし始めた。

 植物を育て動物を狩る自給自足の生活。男児は少女から採集の仕方を、そして命を奪う方法を吸収していった。

「あなたは生きることが怖いと思わないの?」

 初めて一人で狩りを成功させた夜のことだった。暖炉の火だけが灯る室内、安楽椅子で揺られる少女は彼に問うた。

 分からない。そう答えたと彼は当時を記憶している。拾われた時と比べ成長し、自分が変わり者の魔女に暇つぶしで拾われたと分かるほどの知恵もついていたが、少女のこの言葉を理解するにはまだ子供すぎた。

 少女からの問いかけを理解したのは翌春のこと。自分を庇って獣の角で胸を貫かれても死ななかった少女を見て、彼はようやく彼女が半不死者であることを知ったのだった。

「私はずっと昔から、死は畏怖するものではなく渇望しているものなのよ。あなたは? 周りの人間の勝手な思いで捨てられ死ぬ運命だったのに私の気まぐれで拾われ生き続けるあなたはどう? あなたは生きるのが怖い?」

 癒えた傷跡をなぞりながら寂しげに微笑む少女。言葉の意味を知っても尚、彼は分からないと答えた。男児から少年に、少年から青年に成長しても、見た目も心も変わらない少女への返答を変えることは無かった。

 それはひとえに彼女のため。彼なりの、好いた相手への思い遣りだった。

 彼はいつからか決めていた。傷ついても諦められず、気まぐれで強情で寂しがりの彼女の傍にいると。彼女が彼を、暇つぶしでもいいから必要としてくれる間は森から去ることは無いと。彼がこのことを少女に伝えれば「好きにしなさい」と言われた。それで十分だった。

 しかし。三世紀目の誕生日を迎えた翌日、少女は倒れた。立てなくなり、上手くしゃべれなくなり、眠りこける時間が日に日に長くなっていく。

 そして……彼女が二度と目を開けることは無くなったのだ。





 その日、青年は終わりを知った。

 ――ぽたり。彼の目からこぼれた一粒の涙が少女の頬に落ちる。少女の前で涙を流すのは初めてだった。彼女の前で泣くのは嫌だが、一度溢れたものはなかなか止まりそうにない。

「一度見捨てられたこの命、どうだって良かった。けれどあなたがいたから、近くにいたから、僕は生きるのが楽しかった」

 少女の問いかけに対する本心を初めて口にする。心に留める必要がなくなり解き放たれた言葉は静まり返っていた部屋に響き、消えた。

 彼は彼女の手を離す。そして持ち替えたのは一本の短剣。初めて単独での狩りを成功させたお祝いに少女から贈られたもので、以来彼が大切に使っているものである。

 青年には子供だったころからぼんやりと考えていたことがあった。そして、少女が倒れた時に思い定めた。その決意が今この時を迎えても揺らぐことは無く、柄を握りしめる力を強くする。

「ありがとう。あなたに会えて幸せでした」

 彼は再び彼女に目を向け微笑んでみせてから、一息に首を刺し貫いた。

13/13ページ
    スキ