傷愛恋歌〜syou ai ren ka〜
「…花の匂いがした。暖かい何かに包まれているような気がした。妾は生きているのだと、思った」
其処がどこなのか、ただの夢だったのか、遠い日の記憶なのかはわからない。だが鼻腔で思い出せる香りは幻想的でいてしかしハッキリしている。それは夢ではなかったのだと炎龍に告げている。
「ならば、暖かい何かは…誰かの手だったのだろうか」
その何かは無感情だった己に初めて感情を芽生えさせたものだ。無感情に過ごしていた炎龍に『生きたい』と。
「エンさーん?おーい」
「……煩いぞ、蒼龍。耳元で呼ばずとも聞こえている。それと、任務中に愛称で呼ぶな」
耳元に寄せてきた顔をグイっと押し返しながら、同僚の蒼龍を睨みつける。蒼龍は「へーい」と笑いながら離れていく。
「天気いいし、見晴らしもいいから寝てるのかと思ったんだけどなー」
「いくら妾が浮遊術を習得しているからといって、寝れば地に足がついとるわ」
「日常的にその術使ってるから寝がらでも使えると思ってたけど違うんだ?」
「……『術』だと言っているだろう?そこまで力は使わんし、髪も引きずらなくていいし、何かと便利だぞ」
炎龍はふよふよと蒼龍の傍へと移動する。その動きに合わせるように蒼龍も歩き出した。見晴らしがいいと登った岩の上から音もなく着地した蒼龍は傍にいた部下の兵士へ指示を出し始めた。少し離れた声を聞きながら空を仰ぎ見る。境界の結界を司る祠への巡礼行脚の護衛。それが今日の任務だった。
「あら、炎龍様は退屈そうですね?一緒に祝詞を唱えます?」
「遠慮する。それは姫巫女殿の仕事だろう、魁皇女」
上品にクスクスと笑う巫女長と炎龍は肩を並べてた。『火属性の神獣』を統べる長に与えられる『炎帝』と同等の地位にいる巫女長である魁はとても楽しそうだ。炎龍はため息をつきながら彼女の後ろを歩く。本来ならばこの行脚護衛は自分の仕事ではない。巫女長が出てしまえば炎龍か、彼女と同等の地位を持つ武将でなければならない。
「妾には他にも仕事があるんだがな?」
「嫌味を言っても無駄ですよ。こうでもしないと貴女は外に出ないじゃないですか」
デフォルトで微笑んでいるように優しい容姿の魁が悪戯が成功した少女のようにケラケラと笑う。そのタイミングでぞろぞろと動き始めるその他の巫女達と兵士。それらの間を縫うように蒼龍が戻ってくる。
「姉さま、エンさん。移動しようぜ!」
「だから口調をだな……」
「クチョウ?」
「……末妹の躾ぐらいしろ、魁」
「いいじゃないですか、凪都は元気なのが一番ですわ」
きょとんとする蒼龍に炎龍は大きくため息をつく。魁の笑い声はますます大きくなっていく。平和な時間だ。暖かくやわらかい時間だ。炎龍が守るべき使命と職務だ。高天原を守護し侵略を防ぐ。それらに関連する業務はすべて炎龍の持つ肩書『四神龍王』の職務なのだ。なのだが……
「『結界巫女長』の魁皇女が出てきているのに、残り二人はどこへ行ったんだ」
「『闘神・炎龍帝志炎王がいるなら私たち全員必要ないだろう』って風龍が言ってたぞ」
蒼龍のセリフに炎龍が頭を抱えたのは言うまでもない。
太古の昔、世界は混沌としていた。そこに光が現れ、天空と海と大地を創造した。光は世界を創造すると何処かへ消えた。光には意志があり、この世界を治めるようにと始祖へと告げたという。
始祖の直系の子孫としてこの世界を守護している神の名は『天照』。
夜の安寧を守護し秘術を用いて外界から神々が住まう高天原を隔てている神の名は『月詠』。
海底に居を構え、大地と生命を守護しているのは『素戔嗚』。
それが『四神龍王』の直属の上司である。炎龍は『四神龍王』の中で『闘神』を賜っていた。何をするのかと言えば高天原が侵略に遭ったときに真っ先に敵地へ赴き排除するのが最優先事項である。つまり戦がなければ先ほどのような護衛を頼まれたりするのだが、火属性の神獣王もしている彼女は下界の気候変動等も観察報告しなければならない。なんなら日常業務ですらある。
「つまり、妾はそんなに暇ではない。わかったか、魁」
行脚を終えた炎龍達は、炎龍邸の応接間にいた。
「知ってるわよ?でもさっきも言ったとおり、こうでもしないと貴女、ずーっと執務室から出てこないじゃない。非番の日でも書類仕事したり、世界気候データを観測していたり、ね?」
お互い、年齢の割には高い地位を得ているが下界の人間で言えば十代半ば。部下などがいない空間であれば友人の関係に戻る。それでも言動が変わりすぎやしないかと炎龍は思っていたが声にしたことはない。この次期『月詠』である月帝の嫡子・魁は良い意味で身分に関係無く接する人物だった。
「お前も暇じゃないだろう。妾にかまうな」
勝手知ったる他人の家とでも言わんが如く、応接間の茶棚を迷いなく開けた魁は手慣れた動作でティーセットを取り出した。どうやらここでお茶会を開くつもりらしい。そして家主には許可を取るつもりもないらしい。桜色の袂から茶箱を取り出すとそれらをテーブルへと並べていく。
「……待て、クッキーまでは辛うじて分かる。そのマカロンやマドレーヌはどこから出した?」
少し目を離した隙に完璧に広げられたお菓子の数々に炎龍は目を丸くした。何故なら魁は手ぶらである。鞄も何も持っていないのだ。
「企業秘密ってとこかしら」
クッキーを頬張る蒼龍の頭を撫でながら魁は更に続ける。
「たまにはゆっくりお茶でもしましょうよ」
応接間を陣取り、持参した茶菓子を存分に広げ、完全に逃げ道を絶たれた炎龍は諦めたようにマドレーヌへと手を伸ばした。向かいの長椅子に腰掛けながらぶつぶつと文句を言う炎龍を眩しそうに目を細めながら魁は見つめる。
今は平和だ。とても平和だ。その平和を作ったのは魁の目の前にいる炎龍の初陣だった。周りは反対した。何故なら当時の炎龍の年齢は人間でいえば僅か10歳に満たない童神だったからだ。
(『闘神』と『剣聖』、か……)
聞こえはいいだろう。天上界で最強を意味する二つ名だ。天照を後見人に持つ炎龍と、月詠を養父に持つ風龍。出自が不明の幼い龍の御子二人に、この天上界は穢れを全て押し付けている。
視界に入れば、その美しさに誰もが足を止める。小柄な身長を常に浮かしているのは、龍族の強さに直結する長い髪を引きずらないためだ。太陽と同じ輝きを放つ髪を優雅に流し、日焼けを知らない滑らかな肌。歌えば精霊すらも魅了する美声。この世の誰もが思い浮かべる『美麗』は、全て炎龍になるだろう。それほどまでの美貌を持つ彼女が、不殺生を絶対とする天上界の民の中で殺戮することが許されている『闘神』なのだから、皮肉すぎると魁は思う。
(せめてね、何にもない日は何もさせたくないのよ)
ゆっくりと休んでほしい。だからこそ、自分の位も立場も利用し魁は炎龍が好きな紅い色の茶を入れる。次期月詠、現月帝の嫡子の自分がこうしてティータイム相手に炎龍を選べば誰も邪魔することはできない。
「それにしても、この『紅茶』?」
「ん?」
「下界のお茶が好きだったなんて初めて知ったわ。遠征の時にでも飲んだの?」
以前のティータイムで炎龍に好みを聞いた時、下界の『紅茶が好みだ』と聞いた魁は数ある種類から味がしっかりしているものを選んで取り寄せていた。それを飲ませたかったのが今日の訪問の本当の理由である。行脚はついでだった。
「……まぁな」
「どう?ちなみにこれは『ダージリン』というらしいけれど」
「……ああ、美味い」
フッと、懐かしむように湯気ののぼる紅い液体を見つめる炎龍を魁はジッと見つめる。彼女は一体何を考えているのだろうか。初対面の頃から、滅多に表情を変えない友人には気づかれないように魁は息を吐く。彼女の養母は、確かに天照だ。だが実際に炎龍を育てたのは『四神獣、南方守護獣王・朱雀』だ。そんな朱雀の幼なじみである魁にとって炎龍は、友人というより最早娘を見ている感覚に近い。だが、目の前にいる友人は時折、此処ではない何かへと消えてしまうのではないかと錯覚する程儚げに見える時がある。今のように。
「なぁ、エンさん。折角良い天気なんだし窓開けようぜ?」
「……開けなくていい」
「え、ダメだった?」
炎龍を観察している間に窓際に移動していたらしい蒼龍は、確認と同時にすでに窓を開けていた。思考=行動の蒼龍はその状態のまま固まっている。炎龍は呆れたように、そして苦虫を潰した様な表情で深い息を吐く。と、同時に外からつむじ風が入り、彼女の髪をふわりと掠め取った。
「ひどくないか?休みの日に窓を閉め続けるなんて」
「お前は一度でいいからまともに扉から入ろうとはしないのか?風龍」
つむじ風に驚き目を閉じた一瞬で、呆れ顔の炎龍の後ろに風色の髪を靡かせた長身の美丈夫が立っていた。本日堂々と任務をサボった風龍寺疾風、その人である。
「私とて、きちんと門から入りたいのだがな?何故か出禁を食らっているのだ。どういうことだろうな?シン」
「門については一任しているからな。朱理に聞け」
鼻で笑った炎龍は茶棚へ向けて細い指を伸ばす。クイッと自身の方向へ招くように曲げれば一人で棚が開き、白い陶器のティーセットが炎龍のカップの隣へと置かれる。そして、当たり前のように風龍は炎龍の隣へと腰をおろした。
(あら?疾風さんの持っているカップ……)
紅茶を入れているエメラルドグリーンと翡翠色の縁取りがされている陶器のカップと炎龍の前に置かれているカップは色違いのものだった。彼女は茶器を収集するのが趣味である。おそらく二人のカップはそういうものなのだろう。
素直ではないなと魁は微笑む。改めて見れば、昔に指定された茶器たちの縁取りの色は自分達の瞳や髪色と同じものが使われている。
炎龍帝志炎は表情を滅多に変えない。だがそれは何も感情がないわけではない。実は誰よりも情に厚く感情型だった。
何気ない日常。平和な日常。このまま続けばいいと魁は思う。
「平和ね、凪」
「はい、姉さま」
ダージリンに角砂糖を10個近く入れてかき混ぜている蒼龍に同意を求めれば頷かれる。その表情を確認することなく魁はカップを口元へと運ぶ。
「平和だね、エンさん」
蒼龍は自分の右目にそっと触れる。黒い眼帯の下、失った右目に。残った視界に炎龍と風龍を入れる。目の前の二人は昔のようにじゃれている。一方的に風龍が炎龍に話しかけ、それに塩対応をする。それが日常だ。二人の平和な日常だ。
二人はお似合いだから、一緒になればいい。そう思うし願っている。だがそうなった時は……
「ーー…風龍~?そろそろやめないとエンさんがキレるぞ~?」
続けばいい。
今がずっと。
いまがへいわなのだから。
蒼龍は胸の奥にずっしりと居座る鉛に気づかぬ振りをして、戦扇を広げる炎龍と逃げようとする疾風の間へ移動するのだった。
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