一番星の幸福(明星スバル/『Trickstar』)

――本当はずっと怖かったんだ。


◇一番星の幸福

 犯罪者の烙印を押された父が獄中死を遂げたのは、スバルがまだ小学校にも上がらない頃だった。
 それまで父を「スーパーアイドル」と呼んでほめそやしていた友人やその親たちは、あの事件の後嘘みたいに掌を返して自分たち母子を罵った。
 彼が、自分たちのことを世間に隠していたのも悪手になったのかもしれない。連日かかってくる電話の中で叫ばれたり、石とともに投げ込まれた手紙に書かれた「裏切り者」という言葉は、たぶんその意味も含まれていたのだろう。
 それでも、自分にとってはお星さまで、かみさまみたいな父だったのだ。尊敬して背中を追うことはしても、怨む気持ちはみじんも起きなかった。
 成長して、分別もついて、自分の頭で考えて行動することができるようになってからも、その気持ちだけは変わらなかった。
 それどころか、どんどん気持ちは膨らんでいった。そしてアイドルになれば、天国の父に手が届くような気さえして。スバルは、夢ノ咲学院に行きたいと切望した。
 反対されると思ったけれど、母は案外すんなりと了承してくれた。あんな目に遭っても頑なに「明星」の姓を捨てなかったあの頃から、彼女も覚悟は決めていたらしい。 
 そんなわけで、スバルは母と生家に戻り、夢ノ咲学院に進学した。心のどこかで心配していた迫害や中傷はなかったけれど、代わりにそこは随分と荒れた「つまらない」場所になっていた。
 どうして、皆はきちんと努力をしないのだろう。与えられた環境の中で甘え、堕落し、無意味に時間を浪費することに甘んじているだけなのだろう。
 1人だけやる気に満ち溢れ、アイドルであろうとしたスバルはあっという間に孤立した。もともとやる気のない人とつるむつもりのなかったスバルは、それでもごまかしようのない寂しさを抱えながらも自己研磨に努めることにした。
 1人でも受けられる仕事を探し、実績を残して資金を稼ぐ。初めは孤独だったけれど、気にかけてくれる理解者もできて、一人じゃないと思えたから歩いて行けた。
 己の選択に、後悔はなかった。ただ、この先ずっとこうなのだろうかという、漠然とした不安だけが心の中を転がっていた。

 後の生徒会長となる「皇帝」――天祥院英智率いる『fine』による【革命】が起こり、悪役として貶められた天才「五奇人」たちが討伐されたのは、それからしばらくしてからだった。

   ※

 いろいろなものが荒んでいたあの頃から、一年が経った。
 天祥院の【革命】によって「五奇人」が討伐された後、それに加担する形となった生徒たちは「これで自分たちも輝くことができる」と喜んだ。
 しかし、現実はそう簡単にはいかなかった。新体制となった生徒会は、彼らとそれに準ずる「ユニット」だけが栄光の夢に浸れる環境を作り上げた。
 たしかに、彼の革命がなければ、夢ノ咲学院は先の見えない堕落した場所のままだったかもしれない。そういう意味では必要だったのだろうが、歪な“物語”は「めでたしめでたし」では終わらなかった。
 「五奇人」の次は、一般の生徒たちが報われないまま潰されていく環境に放り込まれてしまった。悪ですらなかった天才たちを故意に「悪役」に引きずり落とし、穢して追放した流れからすれば、当事者たちは因果応報と言われても仕方がないかもしれない。
 この状況になって初めて後悔し、騙されたと憤る生徒はいた。しかし、もう後の祭りである。沈むだけの泥舟を捨て、新しい船は航海を始めてしまったのだ。
 そんな生徒会に疑問を持ったスバルは、志を同じくする仲間とともに立ち上がった。
 いろんな人の力を借りて悲願たる生徒会を打倒した後も研鑽を続け、ついにここまで来た――夢ノ咲学院が主催する、アイドルたちの一大祭典SSに。

――『あの明星』を覚えていますか?

 しかし、希望と夢を持って勝ち進めたのは準決勝戦までだった。
 このテロップで、根も葉もない誹謗中傷で、スバルはこれ以上にないくらいの絶望に叩き落とされた。
 父がもう一度貶められ、たくさんの好奇の目に晒されている。長い間皆が触れてこなかったこと、触れてほしくなかったこと――そのすべてが、スバルの心を殺そうとした。
 けれど、忌避されても仕方がないことなのに、仲間たちはそうしなかった。崩れそうな体を、心を、彼らは支えてくれた。どんなことがあっても、最後までスバルの傍から離れなかった。
 だからこそ、スバルは歌うことができた。観客に自分の思いを吐露し、この場に居続けることを乞い――受け入れてもらえた。
 こんなにも、自分のことを愛してくれる人がいる……その気持ちだけで、スバルは本当に星を掴むことができそうな気がした。

「――ねっ、明星くん!」
「――んっ?」
 不意に真から声を掛けられ、スバルは沈んでいた思考から引き上げられた。
 全く話を聞いていなかったので、スバルは反応に困ってしまって思わず目の前の真を見つめる。それを、『Trickstar』の仲間たちは良くない意味ととったらしい。
「……大丈夫か明星? どこか痛いのか」
「スバル、無理はしてないか? いろいろあって疲れたよな。どっかで休むか?」
「ごごごごめん、明星くん! 大丈夫? 平気?」
 過保護なくらい、心配そうな顔を隠さない仲間たちはスバルを取り囲む。北斗、真、真緒――彼らの顔をひとりひとりしっかりと見て、スバルは常の笑顔を浮かべた。
「んーん、大丈夫! ただちょっとぼうっとしてたみたい!」
 その答えに、北斗たちは安堵を浮かべた顔をした。「三者三様って感じで、なんか面白いなあ」なんて、少しばかり失礼なことを考えていたスバルに、真が改めて提案する。
「あのね、明星くん。昨日は疲れて寝ちゃったし、これから昨日のSSの打ち上げでも行かない? 安価でおいしいお店を見つけたんだ」
 時刻は黄昏時。昨日のSSによる影響で、今日は休日だった。学校は週明けからなのだが、スバルたちは学院に集まって昨日のSSにおける反省会をしていた。
 スバルたちが自らの「革命」を成功させる一因となった少女は、相変わらずプロデューサーとして忙しく駆けずり回っている。
 さすがに今日は休養日だったようで、彼女は学院には姿を見せていなかった。元々今日の反省会は『Trickstar』だけで行うつもりで集まったのだが、彼女がいないとなんだか寂しい気もした。
「えっ、打ち上げ!? いいねいいね!」
 大好きな仲間たちとの食事だ。彼らともう少しだけ、一緒にキラキラした時間を過ごすことができる。スバルに断る理由はなかった。
「――あっ、でも、大吉の散歩があるからそれだけいい? 今日母さんも仕事で遅いから、家にひとりにしてて」
「全然いいよ!」
 笑顔で快諾した真の横で、真緒が何かを思いついた顔をする。
「なら、皆で大吉くんの散歩をしてから行かないか? 今の時間だと込んでるだろうし、明日も休日だから俺は大丈夫だけど――お前らは?」
 真緒の問いに、北斗も真も頷いた。
「うちは大丈夫だ。あとでお祖母ちゃんに連絡を入れておく」
「僕も。お母さん夜勤だし、家には誰もいないから。じゃあ決まりだね!」
 SSの興奮は冷めやらず、それどころか時間が経つごとに増して行って引きそうにない。今日という時間だけでは到底語りつくせなかった「キラキラ」は、もう少しだけ長くみんなで共有できそうだった。
「ところで、どんな店を見つけたんだ?」
「ああ、うん。駅前の――」
「あんずも呼ぶか? もちろん、あいつが大丈夫ならだけど――」
 話がまとまった嬉しさからか、三人は口々に話しながら軽い足取りで歩いていく。行先はスバルの家だ。きっと、大吉もお腹を空かせて待っている。早く帰ってあげないと。
 そんなことを思いながらも、スバルはあえて、少し後ろから彼らの背中を眺めながら歩いていた。夕日に照らされて歩く彼らを、目を細めて見守る。ふとポケットで振動したスマホに気づいて、届いていたメッセージを確認する。

『明星! 今度開いている日はあるか? 改めてお前たち『Trickstar』の祝勝会を考えているので、参加してくれたらうれしい。連絡待っているぞ☆』
『明星先輩、昨日はお疲れさまでした。改めて、優勝おめでとうございます。
メールが遅くなってしまってすみません。今度、改めてお祝いさせてくださいね』

 守沢千秋と、紫之創からの連絡だった。彼らもSSでの疲れが抜けていないだろうに、こうして連絡をしてくれたのだ。
「……うれしい、な」
 本当はずっと怖かった。アイドルを続けていくことで、父に近づいていくことで、傷つくことが増えていくのではないのかと。
 いつか、「父を殺した人たち」がいる場所に出なくてはいけない日が来るのではないのかと。
 けれど、仲間がいてくれて、父が「冤罪の被害者だ」ということを教えてくれた人がいて――それを一緒に証明して、戦ってくれるみんながいたことが嬉しかった。

――ああ、俺。幸せだなあ。

 スマホを握りしめ、スバルは笑った。
 無遠慮に広げられた傷口は、すぐにはふさがらないだろうけど。この瞬間が続くうちは、治る日もそう遠くはないように感じた。

「明星? どうしたんだ」
「スバル―! 早く来いよ、置いてくぞー?」
「明星くん! 大吉くんが待ってるよ!」
 
 かけられた声に、スバルは顔をあげた。
 仲間たちは星のように輝いた笑顔で、降り始めた夜の中でスバルに笑いかけている。
 それに明るく返事をして、スバルは彼らに向けて走り出した。
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