雨が上がる時(オリジナル)




   1

 水野霞が2ヶ月ぶりに外に出たのは、自分の意志によるものではない。9時過ぎまで寝ていたところを叩き起こされ、無理矢理引きずり出されたのだ。
もちろん抵抗したのだが、引き篭もっていたために体力は落ちていた。そのせいで勝てなかったのである。――双子とはいえ、妹に。
「なんなんだよ! 通信制とはいえ、ちゃんと学校行ってるだろ!?」
 襟を掴まれ、後ろ向きに引きずられながら、霞は肩越しに妹の雫を怒鳴りつける。その言葉に、うん、と雫は頷いた。
「でも、今日はお母さんに頼まれちゃったから。お兄ちゃんを外に出してあげてってさ。いい加減、お兄ちゃんを甘やかすのもよくないなって私も思ってたし、ちょうどいいよね」
「ちょうどいいって何!? 俺今日は10時まで寝た後にゲームする予定だったんだけど! 休みだし! 授業受けなくてもいい日だし! なのに外に出ろと? 絶対に嫌だね!」
 ぎゃんぎゃん喚く兄を振り返ることもなく、雫は少し楽しそうな表情で答える。なぜこんなに楽しそうなんだ。引きこもりをいじめて楽しいか。そう心の中で毒づいていると、妹はぐい、と一際強く霞を引っ張った。
「もう、お兄ちゃんうるさい! はい到着! ちゃんと靴履いてね!?」
 突き出された場所は玄関だった。引っ越してきた時以来全く足を入れていない靴がそこにあり、静かに迎えられている錯覚がした。
霞は何か訊きたげに雫を見る。そんな彼に、妹はにっこりと笑って無言で靴を指差した。無言の重圧である。
「……わかったよ……」
 ため息をつき、渋々と霞は靴に足を通す。久しぶりに履く靴は何処か不思議な気がして、包まれた足に違和感が生じる。ちゃんと両足を靴に通したところで、お気に入りのサンダルと履いた雫が手を引っ張った。
「うん、おっけい! それじゃあ行こうか!」
「ちょ、おい!」
 ぐいぐいと霞の手を引いて、雫は意気揚々と扉を開けて外に出る。軽快な音を立てて開かれた扉から外に出た霞は、その世界の眩しさに思わず目を覆った。
「……うわ……!」
 反射的に、霞は自分の身を守るかのように身をかがめ、下を向いて目を腕で庇う。暗闇の中で色々な光がはじけ飛び、頭もそれとリンクしたように痺れ出す。
同時に、6月特有の厚く重い湿気が身を包み、体中から汗が噴き出る。しばらくそうして立ち尽くしていた霞は、少し経って恐る恐る目を開ける。自分の視覚がきちんと光に順応していることを確認すると、一息ついて顔を上げた。
「――大丈夫?」
「……なんとか」
 そんな兄の反応を見て驚いたのか、不安と驚愕の入り混じった顔で雫が訊く。しかしその声音に楽しそうな響きが混じっているのは、兄が久々に外出した嬉しさからか。何とも言えない思いで返事をした霞に向かって笑い、雫は玄関脇に置いてあった袋を抱え上げた。
「――よし、じゃあ参りましょうか! ハイこれ持って!」
 そう言って、雫は顔を上げた霞めがけて袋を下ろす。慌てて受け止めた霞に構うことなく、雫はくるりと踵を返した。高く結い上げられた亜麻色の髪が、勢いよく振られる。袋を担ぎ、霞はその背に向かって叫んだ。
「――ちょっと待て! お前どこに行くんだよ!?」
 こちらは何も聞いていない。これからどこに行くのかも、行った先で何をするのかも、その目的も。困惑と一緒に答えを求めて質問をぶつけると、雫は兄を振り返って元気に返答した。
「――雨見神社だよ。お祭りの準備の手伝いに行くの!」
そう言って、雫はまた意気揚々と歩きだす。面食らった顔をした霞は、慌てて雫を追いかけた。
「――おい、雫! ちょっと待ってって、おい!」
慌てて走り出したはいいものの、運動不足の体はすぐに音をあげる。喘鳴混じりの息を吐きながら追い付くと、雫は仕方ないとばかりに笑って立ち止まる。しばらくして回復した霞は、乱暴に汗を拭って問いかけた。
 確かに、引き篭もってばかりいるので時間の感覚は狂っている。そして、筋力も体力も著しく低下してしまっている。だのに、いきなり家から徒歩30分はかかる神社に行くだなんて。
「来週の土曜に、この村で一番大きなお祭りがあるんだって」
 雫の言葉に、訝し気に神社を見ていた霞は振り返る。雫は、鳥居に向かって歩きながら説明を続けた。
「神社に祀っている土地神様のために開かれるお祭りで、村人総出で参加するみたい。全員が作ったお供え物を神社の敷地内に設置して、それでお神輿を担いで村中を練り歩く。これが午前中で、午後からは屋台が出たり、巫女さんの舞やお神楽をやったりするんだって」
子どもの頃に見た、地元の祭りにいろいろ付け足したみたいだ、と霞は聞きながら思った。
地方の小さな町出身の母は、東京の祭りとの規模の違いに驚いていた。自分は外出自体を好まないため、さほど興味もなかったのだが。
「……で、今日はその準備期間の初日。村人は、お祭りの日に設置するお供え物を神社に持っていくらしいよ。準備自体は、役場の人や町内会のみなさんでやってくれるらしいから、私たちはやらなくてもいいみたい」
 雫は事前に聞いたらしい祭りの話を、伝わりやすいよう言葉を選びながら説明する。少々奇妙なお祭りだとは思ったが、まあ、それは地域によって違うのだろう。そう納得して、霞は息を吐いた。
「午後の方は、俺らの知ってる祭りとそんな変わらないってわけね。……で? 俺に何の関係が?」
 一番聞きたかった質問はそれだった。自分はお祭りなどの馬鹿騒ぎは嫌いで、妹もそれをよく知っているはずだった。なのになぜ、外へと連れ出されているのだろうか。そう考えて訊いた霞に、雫は小さくため息をついて返答する。
「ばっかだなあ、お兄ちゃん。こういう地域は近所付き合いが命綱なの! 協力し合わなくてどうするの」
「近所付き合いねえ……」
めんどくさい、と思いながら

果物か何かを想像していたが、どうやら違うようだ。大きく揺れたそれは、膨らんでいるわりに軽いものしか入っていないということが容易に想像できる。不思議そうに受け取った霞は、袋の中に手を突っ込んで中身を一つ取り出した。
「……」
 取り出したものを、霞は奇妙なものを見つけたような顔で凝視する。それはどう見ても、子どもが雨を嫌がって作るお馴染みのものだった。
「――てるてる坊主かよっ! なんでこんなグロイもんお供え物にすんだよ! 趣味悪ぃだろ!」
「えっ!? これそんなグロいもの!?」
 我に返ったのか、霞はヒステリックに叫んで乱暴に袋にそれを突っ込む。突然の兄の豹変と、発言に驚いた雫がほとんど反射的に訊き返した。
「は? 何言ってんのお前。これあれだろ? 首の所に紐をくっつけてぶら下げんだろ?どこがグロくないと? 頭にシーツ被された挙句に首を絞められて吊るされる、これのどこが愛らしいと!?」
「すっごい嫌な解釈だしてきたよこいつ! 子供の夢壊すのやめてくれない!?」
 土曜日の真昼間から、狭い村の中で双子は盛大に口論する。自然に囲まれ、家や施設自体が少ない寒村の中、その大声はよく通る。
それに気付いた雫は、近くに自分の通う学校と父の職場があることを思い出して咳払いした。
「……と、とにかく! 引っ越してきて2カ月とはいえ、私たちまだ部外者なんだから! ひきこもりのお兄ちゃんはともかく、私たちの立場が悪くなるような言動は慎んでよね! お兄ちゃん、昔っから空気読めないし……」
「はあ? 空気読めねえってなんだよ」
 周りの目を気にするように、雫は恐る恐るといった様子で村を見る。この雨見村は山中の寂れた場所にある寒村で、外界とは最小限の接触以外は断ってしまっている。
この村で立場が悪くなるということは、即ち生活が危うくなるということだ。引っ越してそうそう、そんな事態は避けたかった。頼れるものもおらず、右も左もまだわからないことが多いのだから。
「……悪かったよ。前言撤回。可愛いよねてるてる坊主」
「白々しいけど、まあいっか。ほら、さっさとお供えに行くよ?」
「おう」
 気まずそうに軽く謝罪し、霞は棒読みで褒めながらてるてる坊主をいじる。苦笑してまた歩き出す。気が進まないけど、と呟いて、霞は妹の背中を追うようにして歩きだした。


「帰りなさい、話すことなど何もない!」
「帰りません! まだ、訊きたいことが何も訊けてないんですから!」
 鳥居を潜った瞬間だった。男女の争う声が聞こえて、2人は何事かとその方角を見る。2人の現在位置から見て正面、大きな本殿の前では2人の男女が向き合っている。
1人は禰宜装束を身に着けた中年の男、もう1人はこんな山の中にも拘らず、黒いスーツを女性だった。
 何とも言えない不穏な空気に、思わず2人は立ち尽くす。それに気付かないまま、女性は神主を睨んだまま何事かをまくしたてた。
「10年前、ここではとある事件がありましたね? 小貝透哉、塩谷基、桐野星子、直井小兎子、そして島村千風の5人が斧のようなもので首を刎ねられ殺害された事件です。そして彼らの首は皆、麻布で覆われてるてる坊主のような姿にされ発見された。犯人の名前は伊月里奈――彼女の行方はまだわかっていない!」
 聞こえた物騒な会話に、霞と雫は思わず顔を見合わせる。

「……しかし私は、当時16歳だった彼女に、そんな芸当ができるとは思っていません。あの事件の真相と、伊月里奈の行方をどうしても知りたいんです。教えてくださ」
「――帰りなさい!」
 
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