まねっこ(仮)
4
ところで、現在のこの国における成人年齢は18歳である。
それ以下の年齢の少年少女が審神者に選ばれる例もあり、その場合は法的代理人として政府職員が各本丸に派遣される。
うちの主はとうに成人しているのだが、ある事情によってこの本丸にも政府職員が担当として派遣されている。
「……なんなんですかこれ」
それが、目の前にいる彼女だ。夜明けを待ち、朝一番で呼び出した直後。問題の人形たちを提出すれば、彼女は怪訝な顔で一つを拾い上げた。
「いや、違うんだよ担当ちゃん。なんか知らんけど、これが俺の姿形をまねて本丸を混乱に陥れていたんです。呪具かもしれんというのが江の皆の見解なんだけどどう思う?」
「……意味が分からないんですけど、どういうことですか?」
「俺もよくわからない!」
「なんで?」
猜疑心たっぷりの目を向けられて、主は即答で否定する。なんだか可哀想になってきた。
けれど、彼女の態度も理解できる。「先日からの刀剣たちとのトラブルはこいつが原因です」と言われて人形なんぞを出されても、到底納得できないだろうから。
ともかく、今この場には4つの布人形がある。何振りかの刀たちと戻ってきた桑名と稲葉の手にも、同じ人形が握られていたから4つになった。
4つ目の”偽の主”は簡単に見つかった。応援を呼びに行った稲葉と豊前が向かった先で、複数の刀たちと談笑していたそうだ。
即座に稲葉がそいつを斬り捨て、驚く仲間らに状況を説明して布人形を回収した。つまり、この本丸には計5人の主が存在していたことになるのだ。
「昨夜のうちに、皆に協力してもらって他の人形も探したよ。何にも出てこなかったから、もう大丈夫だと思う」
いつものゆるふわな空気を醸しつつ、桑名が補足した。顔を顰めた担当さんは、おもむろに人形を投げ捨てる。
「そうですか……。それにしてもこれ、気持ち悪いですね」
そう言いながら、担当さんは自分のカバンを探り始めた。すぐに出てきたものを見て、僕たちの間の空気が固まる。
「……ちょっと待ってくれ、担当さん」
なんで、五寸釘と金槌など出すのだろう。しかも、金槌の柄にはお経のようなものが書いてある。
説明が欲しくてそう声を掛けるも、彼女は返答をくれなかった。流れるような動作で、躊躇いなく布人形に五寸釘を突き立てる。あ、と篭手切が声を上げた時には、彼女は金槌を振り下ろしていた。
本当に止める間もなかった。インパクトが強すぎたせいもあるかもしれない。
呆然とする僕らの前で、一瞬だけ釘が淡く光った。本当に淡い光だったので、一瞬見間違えかと思った。よくわからないけれど、何か仕掛けがあるのだろうか。
「担当ちゃ――ん!」
主の絶叫。頭を抱えて蹲る彼に続いて、村雲が絶叫した。
「担当さん何やってんの!」
「え、呪具でしょ? こちらの判断で呪詛返しを行いました。一個やっとけば充分でしょう」
「そんなかじゅあるにいうことじゃない! ――っ、お腹痛い~……」
思っていたことを言ってくれた村雲は、次の瞬間お腹を押さえて蹲った。五月雨と篭手切が支えて、揃って退室する。
彼が腹痛を抱えるのはいつものことだけれど、さすがに今のは酷かったように思う。大丈夫だろうか。あとで白湯でも持って行ってあげよう。
「えーっと……じゃあこれ、どうしたらいいんだ?」
「……そうですね」
豊前が訊けば、担当さんは少し考えるようにする。
「こんのすけに話を通してきますので、これはいったん預かります。帰ったら上司に報告しますから、審神者さんは報告書をまとめて提出してください。期限は相談して連絡しますので、提出の際に調査結果が渡せるように依頼します」
「……あ、はい」
そこから迷いもなく出てきた指示に、主は異を唱えることもなく頷いた。それから、と担当さんはもう一度考えるそぶりを見せた。
「あと、被害届けも出しましょう。皆さんが対処してくれたとはいえ、直接の危害を加えかけられたので。そうすれば上層部も動いてくれやすくなると思います」
まにゅあるに沿って喋っているかのように、彼女は至極事務的に話した。おもむろに鞄からポーチを取り出すと、中から抜き取ったものを僕に差し出した。
「では、私は一度戻りますね。あとこれ、あとで村雲さんに持って行ってあげてください」
渡されたものはカイロだった。どうして真夏にこれを持っているのかは、訊かない方がいいだろうか。
「じゃあ、何かあったら報告してください。明日の夕方には連絡します」
「わかった。……お手数おかけします」
「いえ」
主と担当さんがお互いに挨拶して、この場は終了した。豊前が門まで送っていくと一緒に退室して、後には僕と桑名、稲葉と主が残された。
「……なんか、よくわかんない事件だったなあ」
そんな僕の横で、主がぽつりと呟いた。当事者でありながら、一番実感がわかないのは彼かもしれない。
「まったくだ。……似顔絵を描いてもらったと言っていたな。その書き手が、下手人ではないのか」
桑名と稲葉から言われ、主は肩を竦める。その可能性は、全員が感じていたことだった。
「でも、似顔絵屋さんが犯人だとしたら理由がないんだよ……。初対面だったし」
それは、確かに疑問だった。愉快犯とかそういうことかと思っても、こんなに手の込んだことをするだろうか。
「……でも、きっとそれを今考えても仕方がないさ。あとは担当さんの言っていた通り、政府の調査結果を待とう。僕たちは、さっさと報告書を仕上げてしまおうか」
僕は、一度考えるのをやめることにした。思考を停止させ、主を促す。
答えの出ないことをいつまでも考えていたところで意味もないし、主にこれ以上すとれすを与えるのもよくない。だったら、先にやるべきことをやってしまった方がいい。
「そうだね。じゃ、報告書頑張ってね主。昼食は燭台切に相談して、野菜たっぷりのご飯を作ってあげる」
「マジで? やったー! ありがと桑名!」
優しく主の背中を叩いて労う桑名に、顔を輝かせた主がようやく、自然な笑顔を見せた。
それに少し安心しつつ、僕はこれからが大変だな、と内心でため息を吐いた。
※
「いや待って。目撃情報多くない? これで10件目じゃん」
お昼過ぎの執務室。午前中に事実確認と情報収集を終わらせた僕らは、報告書の作成に没頭していた。
皆の証言などを基に作成した資料を基に、僕と話し合ったことを主が報告書に組み込んでいく。
主のきーぼーど操作は手際が良く、早い。元々はぱそこんが苦手だったそうだが、今までの書類仕事ですっかり鍛えられたようだ。
「……ところで、さっき担当さんから連絡が来てただろう? 提出期限が決まったのかい?」
昼食後に執務室へと戻る途中、こんのすけが電話を取り次ぎに来たのを思い出した。それで訊いてみれば、主はうん、と気の抜けた声を上げる。
「今週末だって。土日は政府の窓口がやってないから、必然的に金曜日。一日拘束されるかもって考えると、あと三日しかないから急がないとだね」
「そうだね。……しかし、事態のわりに結構余裕を持たせてくれたんだね。もっと短いかと思っていたよ」
「確かに」
そんなことを話しあいながら、作成を進めていた時だった。外でよく知る気配がして、襖が二度、丁寧に叩かれる。主が声を掛けると、「失礼する」という声とともに襖が開いた。
「あ、稲葉」
やはり、来訪者は稲葉だった。顔を輝かせた主に手招きされ、一礼した彼は室内に足を踏み入れる。少し落ち着かない様子の彼は、腰を落ち着けるや否や口を開く。
「単刀直入に言う。先程万屋から帰ってきた刀から、奇妙な話を耳にした。先日の一件と関係があると思ったので報告する」
「え?」
思ってもない発言に、僕と主の反応は一瞬遅れた。
稲葉の話はこうだ。ちょうど用事があって万屋まで行った彼は、なんとなく件の似顔絵屋らしき店を探した。しかし、そんな店は見つからなかった。
近くの店の店員に訊いてみると、似顔絵屋は閉店することになったそうだ。
どうやら、店主は精神を病んだらしい。今朝方発狂しているところを発見されたそうで、「人形たちが襲ってくる」と絶叫していたとか。
「人形って……」
主の顔は引きつっていた。それはどう考えても、あの布人形のことではないか。くーらーのおかげで何とか涼しかった室内が、更に寒くなったような気がした。
「あの似顔絵屋は腕がいいが、それ故に描いた絵を誰に持って行ってもらえなかったようだな。それどころか、忌避されていたとか。……恐らくお前が狙われたもの、その辺に理由があるようだ」
主は、例の絵を持って帰らなかった。だから、あの店主は彼を呪うことに決めたのだろう。
同情はする。僕たちだって「モノ」だ。選ばれれば嬉しいけれど、そうでなければ悲しいし、寂しい。
けれど、だからと言ってその人を恨んだりはしない。逆恨みは、どれだけ行ってもそれ以上のものにはならないのだ。
「そんな……」
「勘違いするな。何を選ぶかはお前の自由で、そこにあの店主の事情を汲む必要はない。ゆえに、お前の行動は悪ではない。逆恨みであんなことをした、あの店主の自業自得だ」
狼狽える主に、稲葉は容赦のない言葉を投げる。
彼の言うとおりだ。店主も悔しくて惨めだったかもしれない。しかし、だからといってあんなことをしていい理由にはならないのだから。
「……そうだね」
少しの沈黙の後、主は何かを飲み込むように頷いた。彼としては割り切れないかもしれないが、こればかりは時間に頼るしかないだろう。
「……主、もう忘れよう。いや、今週末に結果を聞いたら、それを最後に忘れよう」
僕は、主にそう進言した。後味は悪いが、いつまでも引きずっていても心に毒である。おまけに面倒な呪術が関わっているのだから、さっさと忘れてしまうに限る。これはそういうものだからだ。
「あ、ああ……そうだね。あっ、政府に行く時間どうする? 早い方がいいよね」
本能的に、まずい話だと思ったのだろう。主も頷いた。動揺しながらぺんを手に取り、すけじゅーる帳を開く。
「……朝一でいこう。とりあえず、9時で」
「うん」
僕が指定した時間を書き込んでいるらしく、主はぺんを持った右手を走らせる。その様子を見ていた稲葉が、ふと怪訝そうな顔をした。
「……お前は左利きじゃなかったか?」
「は?」
「え?」
再び面食らった僕たちは、そんな間抜けな声を出すことしかできなかった。予想外の反応だったのか、同じく驚いた様子の稲葉は言葉を続ける。
「あの日……そう、執務室の作業を、”偽の主”に交代された時のことだ。あの時、顔を洗いに行ったところを奴に声を掛けられたのだが、その時缶飲料を渡されてな。……あの偽物は、左手で缶を開けていたのだ」
1週間、
あの日が、彼が主と密に関わる初めての時間だったということもあるだろう。それでなくても他人の利き手などいちいち覚えないし、主が右利きというのを知らなかったというのもわかる。
僕は、あの時主を刺そうとした偽物の様子を思い出す。あの時の奴の得物は、確かに右手に握られていた。
「……まさか」
その時、僕の脳裏にはある事柄が蘇っていた。
主が
「……マジ?」
同じことを察したらしい。再びひきつった顔の主が、かすれた声でそれだけ零した。
終