まねっこ(仮)


   3

「とは言ったものの……そのどっぺるとやらに対処法はあるのかい?」
 溜まりつつあった仕事を片付け終わった頃には、大食堂での食事は終わっていた。
 僕と主はその食堂に向かって歩いており、他の江たちも傍にはいない。事前に「自分と主は、仕事が終わるまで執務室に籠っている」と言っていたのだが、”偽の主”の目撃情報は現れなかった。
 正体がバレたことを感づかれて、どこかに行ってしまったのだろうか。もしもそうなら、不気味さは残るものの嬉しい。このまま、何事もなく過ぎてくれればいいのだが。
「あるにはあるみたいなんだけど、それがそいつを罵倒するとか倒すとか、そういうのばっかりなんだよね。俺、喧嘩とかやったことないし、ちょっとハードル高いかも」
「それは却下だね」
 そんな危ないこと、主には絶対にさせられない。というか、させるくらいなら僕らでやる。
「んーでもさ、松井や皆が守ってくれるだろ? だったら俺、囮になるけど」
 まあ守られるのはこそばゆいけど。なんてさらりと言われた言葉に、嬉しさと同時にヒヤッとするものを覚えた。氷を飲んだよう、というのはこんな感覚だろうか。
「やめてくれ、そんな恐ろしいこと。一瞬でも主を危険に晒すだなんて、考えたくもないよ」
「ええー」
 案の定、主は唇を尖らせた。けれど、これは僕じゃなくてもそう答えただろう。皆、この主にはどこか過保護気味なのだ。
「なんだよう、俺だってもう二十歳の大人で……ん?」
 と、曲がり角の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。……なんだか既視感のある展開だ。
「あー! おい主!」
 現れたのは豊前だった。なんだか妙に焦っている。後ろの篭手切や稲葉、そして桑名も。
「……もしかして、”偽の主”が見つかったのかい!?」
 心当たりは一つしかなくて、僕は大慌てで訊いた。しかし、予想外の答えが返る。
「いや、そいつはまだだ。それより主! あんた、妙なおまじないに手を出したのか?」
「え?」
 豊前の言葉に、一瞬主は怪訝そうな顔をした。少しの間の後、主の顔が何かに気づいたようなものに変わる。
「ああ、やったやった。それがどうかした?」
 あっけらかんと主が訊けば、豊前たちの間に微妙な空気が流れる。主は、それを見て困惑していた。
「え? え、なに?」
「やはりか……。何をしたのか、思い出せる範囲で話せ」
「? うん……」
 片手で顔を覆った稲葉に促されるまま、主は詳細は話し始める。
「……この間、あるおまじないの話を聞いたんだ。午前零時に鏡を覗き込んで、“こっちにおいで、一緒に遊ぼう”って言うと、もう一人の自分が現れるってやつ」
「待ってくれ」
 そこで、僕もようやく理解が追い付いた。本当に、そんなものをやったというのだろうか。信じられない。
「なに? この程度のこと普通にやるでしょ? なんでみんなそんな……」
「馬鹿なの主!?」
 桑名が呆れたような声を出した。珍しく怒っている……とは言えない。僕だって今、ふつふつと怒りがわいてきている。
「えっとですね、確かに主のおっしゃる通りです。普通なら、何にもないことの方が多いと思います」
 文字通り頭を抱える桑名を気遣いつつ、篭手切が困惑している主に説明を始めた。
 たしかに、これはちゃんと理解してもらわないといけない。僕たちと主の間には、普通ならば察することのできない認識の違いがあるからだ。
「しかし、貴方は審神者です。私たちのような存在と日常的に関わる以上、こんなことであっても身を危険に晒しかねない事態を招く可能性があるのです」
「いい例が今回の件だな。主はただでさえめちゃくちゃ霊力あるんだから、それに感化されて本当に鏡から”もう一人の自分”が出てきちまったんじゃねーのか?」
 豊前が、苦笑しながら篭手切の説明を補足してくれる。それでようやく主も理解が追い付いたらしい。一瞬で顔から血の気が引いた。
「え、ってことは……あのおまじないが本当になったってこと!?」
「そういうこと! もう、主は自分の霊力のとんでもなさをいい加減自覚して!」
 桑名が絶叫した。主もさすがに縮こまってしまって、蚊の鳴くような声で「……ごめん」と謝罪を口にする。豊前が桑名の方に軽く手を置いた。
「桑、お説教はここまでにしとこうぜ。……で、主。そのおまじないは誰から聞いた?」
「白兎くん。っていうか、豊前たちこそ誰から聞いた?」
「やっぱりなあ。その白兎さんのところから連絡が来て、初期刀殿から謝られたよ。変なおまじないを教えたみたいだから、やってないか確認してくれって」
 豊前や僕はもちろん、全員が神妙な顔をした。桑名が、少し口を尖らせながらもう一度主に質問する。
「そもそも、なんでわざわざそんなことやったの?」
「いや、ほんの興味本位。だから、やってもあの子には言わないつもりだったんだけどね」
 もしかして言った? と訊いた主に、桑名は首を振った。まあ、子ども相手に大人がこんなことをしたなんて、わざわざ言ったりはしないだろう。
「まあ、やっちまったもんはしょうがない。そのおまじない、終わらせ方っつーか、呼び出した後はどうすればいいかわかんねーのか?」
「いや、わからん。言われてみればだけど、呼び出した後はどうすればいいか聞かなかったかも」
 豊前の問いに、主はため息を吐いた。篭手切が肩を竦める。
「……子供たちの間で流行るおまじないって、実行した後のことは書かれていないものが多いようですね」
「そうなんだよね。まあそれが普通みたいな感じだったから、俺もさして不思議に思わなかったって言うか……」
 主が首肯した。なんとも言えなく空気が流れた、その直後だった。
「……?」
 篭手切の視線が、主の背後から茂みに移る。稲葉と豊前も同様だ。
 なんだろう、と僕はその視線の先を追った。誰かの後ろ姿が見えて、少しだけ目を凝らす。
 少しだけ長い髪、黒いロングコート。なんだかどこかで見た姿だ……。
「りいだあ!」
「おう!」
 短いやり取りの後、篭手切と豊前が“そいつ”めがけて走り出した。と同時に、“そいつ”――”偽の主”が走り出す。あっという間に遠ざかった。
 「逃げました!」という少し焦った篭手切の声の後、「逃がさねえよ!」という頼もしい豊前の怒号が聞こえた。少し遅れて、桑名と稲葉も走り出す。
「応援呼んでくる! 松井、主のこと頼んだよ!」
「ああ、任せてくれ!」
 状況について行けていない主を庇いながら、僕は既に走り出した桑名に叫ぶ。混乱したままの主が、僕の腕を掴んだ。
「待って、ねえ、さっきのってまさか」
 主の顔からは血の気が引いていた。まさか、本当にどっぺるなにがしと遭遇するとは思っていなかったのだろう。僕は主の手をしっかりと握り返す。
「とにかく、安全な所に行こう。豊前たちが取り逃がすとは思わないけれど――」
 通路を振り返った僕は、目の前にいた人物に驚いて息を呑んだ。後ろで主も悲鳴を上げる。
 そこにいたのは、“主”だった。豊前たちの言っていた通り、姿形も、霊力の気配も後ろにいる主と瓜二つ。
 違うのは、僕と一緒にいる主から五月雨の神気がすることくらいだ。彼の思惑通り、主が身に着けた耳飾りはしっかりと気配を残してくれている。
「ど、どどど、ドッペル……っ」
 主は腰を抜かしそうだ。それを情けないと責めることなど、一体誰ができようか。
 僕は主から手を離した。代わりに掴んだのは刀の柄。一歩を踏み出すと同時に抜刀した。
「――わら、くらすぞ!」
 よりにもよって、僕らの主を騙ったのだ。たった一太刀で済ませてもらえることには感謝してほしい。
 手応え通り、”偽の主”の姿はあっさりと消えてなくなった。時間遡行軍が消える時に似ている。そんなことを思いつつも、僕は納刀して主を振り返った。
「主、大丈――」
 その時だった。安堵したような主の背後から、更にもう一人の“主”が小走りに接近してくるのが見えた。不自然に構えられた手元に何があるのかなんて、考えなくてもわかる。一気に血の気が引いた。
「ある――」
 じ、と続けようとしたその刹那、もう一人の”偽の主”は急に消えた。
 正確に言えば、横から飛び込んできた影ごと壁に叩きつけられたのだ。その正体を知る前に、桃色の影が主に飛びつく。
「ぐえっ!?」
「あああ主には手は出させないから! 二束三文でも主は守れるもん!」
 そう叫びながら、今度は村雲が力強く主を抱きしめていた。
 あまりの力で、主は呼吸ができなくなっているようだった。彼が消え入るように「待って……」と声を絞り出したことで我に返り、僕は慌てて村雲を引き剥がしにかかる。
「待って村雲、もう平気だから。いったん離れようか?」
 僕がそう声を掛けていると、先程の影――五月雨が納刀しながらこちらに寄ってくる。村雲の傍に跪き、声を掛けてくれる。
「松井の言う通りですよ、雲さん。そのままですと、主が窒息します」
「えっ!?」
 そこで、ようやく村雲は現在の状況に気が付いたらしい。慌てて主から離れて、「ごめんね主!」と咳き込む彼に半泣きで謝罪する。
「頭、お怪我はありませんか?」
五月雨が、心配そうに主に訊いた。立ち直った彼は、顔をあげて力強く頷く。
「大丈夫……。ってか、なに? なんだったの今の!?」
 さすがに、主も困惑していた。いきなり偽物が現れて、あわや害されかけたのだ。
 五月雨たちが来てくれなかったら……。今になって背筋が寒くなり、僕は思わず自分を抱きしめた。
「それにしても……。こんなにたくさんの偽物がいたなんて」
 3人もいるとは予想外だった。鏡のおまじないで呼び出せるのは1人とのことだったので、計算が合わない。アレは関係なかったというのだろうか。
「――もしかしたら、呪詛の類かもしれません」
 そう言いながら、五月雨は持っていた何かを主に差し出す。先程突き倒したものだろうか、刀が突き刺さったせいで穴が空いている。
 それを受け取った主は、何とも奇妙な顔で首を傾げ――さらに顔を歪めた。
「うげっ、なにこれ!?」
 それは、明らかに手作りといった感じの布の人形だった。
 奇妙なのは、そこに主の絵が貼られていることだった。とてもリアルで、まるでそこに主がいるような――。
「これ、俺がこの間描いてもらった絵じゃん!」
 主が絶叫した。たしかに、これは先日主から聞いた絵そのものだ。いや、見たわけではないのだけれど、聞いていた特徴と一致する。
 どうしてこれが、と思っていると、豊前と篭手切の声がした。
「おーい!」
 どうやら、あちらの方も片付いたらしい。息を切らしながら戻ってきた二振ふたりは、まず真っ先に主の無事を確認する。豊前が、持っていたモノを突き出した。
「アレを斬ったら、これが出てきたんだ。いったいどういうことだ?」
 彼も、同じ人形を持っていた。もしやと思って、僕も“偽の主”を斬った方を振り返る。やはり、同じ布人形が落ちていた。
「どういうことだ……?」
 どうして、こんなものがあるのだろう。あの”偽の主”たちがこの人形だということは理解したが、その意図はまったくわからなかった。
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