まねっこ(仮)


   2 

「……ねえ、主」
 この間の一件から数日が経ち、月が改まった。
 本丸の空気はいつになく重くて、皆もなんだか妙にぴりぴりしている。
 主も重苦しい表情のまま、心ここにあらずと言った様子で、紙の束を机に叩きつけていた。
……多分、これは紙の端を揃えようとしているのではないだろうか。綺麗にまとまっているからもう必要ないのだけれど、どうも主は考え事に気を取られて気づいていないようだ。
「……主、それ以上やると紙が傷むよ。充分そろっているから大丈夫じゃないかな」
「……え? あ、やべ」
 そこで声をかけると、ようやく気付いたらしい主は慌てて紙の束を持ち上げる。机を叩いていた部分が痛んでないかを確認すると、一息ついて机の端にそれを置いた。
「……だいぶ、疲れているようだね? やはり、今までの事かい?」
「……ああ、うん。松井も聞いてる?」
 彼の瞳が、不安そうに揺れた。少し可哀想に思いながらも、昨日聞いた話を口にする。
「豊前がね。昨日、主にばいくの納品に付き合ってもらったのに、別れた直後に反対方向から君が来て驚いたって言ってたから」
「……ああ、それね。俺もびっくりしたんだよ。端末に遅れるねって連絡入れてたはずなのに、ようやく見つけて声を掛けたら俺と行って来たとか言うから。今度は俺、五月雨と一緒だったからさ。3人でずっと首傾げてた」
「……それに、一昨日の重要な軍議にも『主』が参加してたんだっけ?」
「そうなんだよ!」
 先程少しだけ聞いたことを、改めて質問してみる。とたんに、すごい剣幕の主が声を荒げて身を乗り出した。
 驚いて少しのけ反った僕に気づいて、主は「ごめん」と小さく謝る。気にしないでと答えれば、大きくため息をついて話し始めた。
「……皆信じてくれなくてさあ」
 話はこうだった。
 主が軍議の開始予定時間に広間に行ったら、既に会議は終わっていた。出席者の一人である長義に「忘れ物でもしたのかい?」と訊かれたことで、主はそれに気づいたという。
『……何言ってんの? 今から軍議でしょ』
 そう訊いた主に、長義は心底不思議そうな顔で答えた。
『……君こそ、何を言っているんだい? 昨日端末で“一時間早く開催する”って連絡をしてきたのは主じゃないか』
 当然、主はそんなことはしていない。しかし、主の端末にはその記録が残っていたらしい。
 ここまで聞けば、主が会議の時間を早めておきながら、それを忘れて遅刻した……ということになるのだろう。しかし、問題はそんな単純なことではなかったのだ。
「“俺”はちゃんと会議に出席してたって言うんだよ。俺が持ってたはずの資料は既に配られていて、ちゃんと皆は話し合ったって内容を書き込んでた」
「なんだって? でも、主は参加していないんだろう? これからのことに支障がでるじゃないか」
 慌てて訊いた僕に、主は「大丈夫」と宥めるように手を掲げる。
「長義に資料借りて、書き写した。メモの取り方が下手だから、参考にさせてって言って」
「……そうだったのか」
 何とも奇妙な話だ。主の話が本当なら、主の偽物がいるということになる。 
 しかし、僕たち刀剣男士と審神者のつながりはとても強固なものだ。何者かが主に成り代わっていれば、絶対に気づくはずなのに。
「……意味わかんねえ。この間、畑で稲葉と揉めた日からずっとこう。気持ち悪い」
 主の言う通り、誰もこの事態を深刻に捉えてはいなかった。むしろおかしなことを言う主に対して憤る刀が多かったし、実際何振りかの刀と主の間でトラブルも起きていた。
 流石に古参は訝しんでいるようで、陸奥守には一度話を聞かれたらしい。けれど、彼もまた”偽の主”と接触している一振りなので、少し関係がぎくしゃくしてしまっているようだ。
 それで、主も精神的に参っているのだろう。弁解したくても、その証明ができないのだから。
「……それにしても、仮に君の偽物がいるとしてだよ、目的はなんなのかな。僕たちが気配で気づかないということは、霊力まで同じということになるけれど」
「そう! そこがわかんねえの! 俺たちの信頼関係を壊して本丸解体させるつもりなのかとか、色々考えたんだけどね!?」
 もう、主は半泣きだ。はんかちを差し出してやりながら、僕は主の背中をなでてやる。
「せめて、客観的に見て“主とまがい物”の両方がいるという証拠があればいいんだけど……」
「そうだね……何がいいと思う?」
「うーん……」
 少し考えて、閃いた……というより思い出した。陸奥守がびでおかめらを持っていたはずだ。頼めば貸してくれるだろうかと思って、それを主に提案してみる。
「そっか! でも、一台じゃ足りないな……。いくつ必要かも決めないと……」
 一瞬だけ輝いた主の顔は、すぐに険しい顔で伏せられてしまった。
 この本丸は広い。100振り近くも過ごしているのだから当たり前だ。主の口にした疑問に、さすがに僕も迷ってしまって答えに窮する。
「確かに、そうだね……。とりあえずはこの部屋と……ん?」
 その時、こちらに近づいてくる気配に気づいた。足音が二つ、執務室この部屋の襖前で止まる。予想通りの声がかかった。
「主。ちょっと失礼するぜ」
「失礼します」
 主が気を取り直して返答すると、静かに襖が開いた。豊前江と篭手切が、神妙な顔をして立っている。
わりぃな主、でーじょーぶか?」
「ああ……うん。そこそこ」
 無理やり笑った主の本心を察したようで、豊前は一瞬だけ寂しげな顔をした。僕に向けて片手を軽く上げると、篭手切と一緒に空いた場所に腰を下ろす。
「アンタと揉めた奴らに訊いて回ったんだけどな。やっぱり、どこからどう見ても主だったそうだ。外見や立ち振る舞いはもちろん、霊力の気配も」
「マジで……?」
 主は愕然としていた。それはそうだろう。自分のこぴいのような存在が好き勝手に歩き回り、結果的に皆との信頼関係を壊すようなことになっているのだから。
「まあ、俺も雨から事情を訊かなきゃ信じらんなかったけどな。でも、あの時俺が一緒だった主が偽物なら、何とかしねーと大変なことになっちまうだろ」
 いつになく真剣な表情の豊前の隣で、篭手切も硬い表情で頷く。
「目的も正体もわかりませんが、りいだあの言う通りです。偽物の裁量一つで、この本丸の機能を壊すことも可能ですし。……なにより、主自身に危害を加えられる可能性だってあります」
 わかってはいたことだが、改めて言葉にされると背筋が伸びる。
 主の偽物が出たということは、少なくとも成り代わる意思はあるということだ。今はまだ数日しか経っていないせいか、偽物は何もしてこない。
 やるとしたら、もう少し――主を「孤立」させてからだろうか。
「……ところで」
 篭手切の表情が、不安げなものになる。視線を向けた主に、遠慮がちに訊いた。
「失礼ですが、あなたは本物の主ですよね?」
「本物です!」
「僕が証明するよ。少なくとも、今日は近侍としてずっと一緒だったからね」
 篭手切の質問に噛みつくように悲鳴を上げた主を抑えて、僕は篭手切にそう声を掛ける。篭手切の表情が、安堵で和らいだ。
「そうですよね。すみません」
「そうそう、そういう混乱が今後も起こらねえようにさ、なんか目印みてえなもんを付けた方がいいと思うんだよ。主って装飾品みてえなものは持ってねえのか?」
 豊前江の言葉に、主は首を振る。
「そういうのは着けないんだよね……。あ、これって買ってきた方がいい流れ?」
「それには及びません」
「ぎゃああああ!?」
 主の問いに僕らの誰もが答える間もなく、急に天井の一部が外れて何かが落ちてきた。比較的近くにいた主が悲鳴を上げ、その勢いで僕に抱き着く。
 天井から出てきたのは五月雨江だった。僕と主を不思議そうに見る彼に、豊前が苦笑しながら指摘をしてくれる。
「おいおい、雨! いくらなんでも急すぎんぞ。主が驚いてるだろ?」
「ああ……。そうですね、申し訳ありません、かしら
 それを聞いて、さすがに五月雨江も反省したようだ。しゅん、という効果音と垂れた犬耳が見えそうなくらいしおれた彼を見て、ようやく主も僕から離れた。
「雨さん~! どこー!?」
 その時、廊下から少し慌ただしい足音と声がした。すぱんと小気味いい音を立てて開いた襖の向こうには、眉を下げた村雲江が立っていた。
「あれっ!?」
「……どうかしたのかい?」
 村雲は、主の姿を見て驚いたようだった。なんとなく嫌な予感がしつつも、僕はとりあえず訊いてみることにする。
 五月雨の隣に腰を下ろした村雲は、一瞬言いよどむ。意見を窺うように五月雨を見て、彼が頷いたからかおずおずと話し始めた。
「……さっき、雨さんと中庭を歩いていたら主を見かけたんだ。声を掛けようと思ったんだけど、すぐに見失っちゃって」
「それで、先日のこともあるのでこうして馳せ参じた次第です。……やはり、“あれ”はまがい物でしたか」
 村雲の言葉を引き継いで、五月雨が小さく唸った。村雲が少し縮こまる。
「……正直、半信半疑だったけど。雨さんの言うとおりだったんだね。ごめん主」
「いや、ほんと気にしないで……。俺が逆の立場でも同じこと思ってたから……」
 主はそう言うが、それでもしょっくは大きいだろう。僕が再び背中を撫でてやると、主は両手で顔を覆って蹲った。
「主、いい大人なんだから泣くんじゃない。それよりも、これからどうするかを考えよう」
「……はい」
 心苦しいが、こうしている間にも“偽の主”が問題を起こしているかもしれない。これ以上主自身が苦しくなる前に、一刻も早く行動を起こす必要がある。
 心を鬼にした僕の気持ちが伝わったのか、主はすぐに体を起こしてくれた。
「うん、えらい。……ところで五月雨、先程“それには及ばない”と言っていたけれど、どういう意味だい?」
「あっ、そうでしたね。何か方法があるのですか?」
 僕が五月雨を振り返ると、篭手切も興味ありげに身を乗り出す。五月雨は小さく頷いた。
「ええ。偽の頭の目的はわかりませんが、霊力の気配まで同じな以上、 “主の気配のあるもの”を身に着けて見分けることは意味がないかと思われます。……そこで、提案なのですが」
 五月雨は、そこで一旦言葉を切った。自分の耳に手を伸ばすと、耳飾りを一つ外す。ぴあすではなく、いやーかふというものだったか。
「こういう風に、私どもがつけている物をしばらく身に着けていただくのはどうでしょう。たとえ偽物が“失くした”と言ったとしても、自分の神気くらいは追えますから探せますし」
「なるほどな」
 それを聞いて、豊前が手を打った。
「それなら、耳飾りに残った雨の気配を追って、本物の主を探せるってわけだな。すげえな雨は! 目から鱗だぜ!」
「わんっ」
 豊前の賞賛に、五月雨は嬉しそうに吠えた。……ちょっと羨ましい、とは思っていない。うん。
 でも、確かに五月雨の提案は名案とも言うべきものだ。
 ただ主が新しいものを買ってつけたなら、偽物にそれを指摘したところで「なくした」とか「忘れた」と誤魔化されてしまうかもしれない。
 しかし、主は僕たちからもらったり、預かったものは過剰なくらいに大事にする人だ。“ずっとつけていてほしい”と言われればそうするので、失くしたりするなんてありえない。
 だから、この方法なら少なくとも僕たちは騙されない。上手くいけば、”偽の主”を捕縛できるかもしれないということだ。
「というわけで、かしら。こちらをお納めください。偽物にとられることの無いよう、ご注意くださいね」
「五月雨~! ありがとう!」
 感極まった様子の主が、差し出された耳飾りごと五月雨の手を掴む。受け取ったそれをさっそく耳につけたところで、また新たな来訪者が声を掛けてきた。
「豊前―」
「……なんだ、狭そうだな」
 桑名と稲葉だ。言われてみれば、これだけの人数が同じ部屋にいると確かに狭い。そのせいか、二振ふたりも入室しようとはしなかった。
「おう、桑に稲さん。どうだった?」
 どうやら、僕たちの知らないところで何かを3振りでやっていたらしい。片手を上げて応えた豊前に、桑名がいつもののんびりした調子で答える。
「うん、とりあえず陸奥守と、協力してくれそうな刀たちには話してきたよ。今後、主と接触したら陸奥守と松井に報告してくれって」
 一瞬、僕が名指しされた意味が解らず驚いたが、すぐにその意図を理解した。 
 今月だけとはいえ、僕は近侍だ。少なくとも、今日のように主の傍にいる時間が一番多いから、いざという時に適切な行動を起こせる。そういうことだろうか。
「何かあったら、陸奥守や主と情報を共有すればいいんだね。それに、入ってきた情報と主の行動を合わせれば、いつ偽物が出たのかがわかる」
「そういうこと! 話が早いね、松井」
「ああ」
 僕の返答に、桑名が嬉しそうに答えた。胸を張ってやりたいところだけど、そういう場合でもないので笑みだけ返す。それにしても、と稲葉が忌々し気に舌打ちをした。
「……なんの怪異だか知らんが、厄介だな。文字通り、主の生き写しということか」
「どうしよう。豊前と稲葉が見分けられないんじゃ、二束三文の俺なんかもっと無理だし。あぁ、お腹痛い……」
「そうだよなぁ。これ以上引っ掻き回される前に、どうにかしてえんだけど……」
 村雲が、お腹を抱えながらうずくまる。その隣で、豊前も腕組をしたまま天井を仰ぐ素振りをする。
 偽物を捕まえたとして、どうやって処断するか。いざともなれば僕がそいつの血を浴びるけれど、そこまで主と近いような存在を手にかけて、主は無事でいられるのだろうか。
「……あ」
 ふと、篭手切が声を上げた。「どうしたの?」と村雲に訊かれて、少し自信なさげに返答する。
「……いえ、合っているかは分かりませんが、よく似たモノを思い出して」
「え、なになに? 怖い奴?」
 村雲が身構えた。「怖いかどうかはわかりませんが」と前置きをして、篭手切は話し出す。
「どっぺるげんがあ、というものがいまして。端的に言うと、”別の場所に現れるもう一人の自分”なのです。今回の状況と酷似しているでしょう?」
 あっ、と主が声を上げた。どうやら、篭手切の言った「どっぺるげんがあ」なるモノに心当たりがあるらしい。
「それ、有名な奴だ! でも確かそれって……」
 主の顔が青ざめていった。なんだろうと思っていると、篭手切の顔も急に曇る。
「ええ。もし本物と、どっぺるげんがあが蜂合わせた場合……本物は死ぬと言われています」
「えっ!?」
 篭手切の言葉に、さすがに僕たちも驚きを隠すことはできなかった。
 死ぬだなんてあるわけないと、人間だったなら笑い飛ばせたのだろうか。あいにく僕らは“モノ”であり“ひとならざるもの”なので、そんなことができるわけがなかった。
「いや、でもそういうのってあくまで都市伝説というか、眉唾物のお話というか……」
「その“眉唾物のお話”が今実際に起こってるんだって! しっかりしろって主!」
 頭を抱えながら、この期に及んでそんなことを言う主の肩を、豊前が掴んで激しく揺さぶった。言いたいことを言ってくれた彼の後ろで、他の皆も呆れたような反応を見せる。
「まあ、とにかく僕らも僕らで動こっか。僕らは、偽物に気づかれないようにそいつを探そう。豊前と篭手切、稲葉と僕、雨くんと雲くんでいいよね?」
「わかりました。がんばりましょう、りいだあ!」
「おう。よろしくな」
 桑名の提案に、全員が異論を唱えることなく承諾した。主の危機なのだから当然だ。きっと他の刀がいても、僕たちと同じことをしただろう。
「主は、とにかく松井から離れないこと! 他の刀たちも協力はしてくれるはずだけど、松井の方が傍にいる時間が長いからね」
「……わかった。ごめん皆。ありがとう」
 覚悟決めるよ、と主は頷いた。
 危機感がなかったわけではないと思う。けれど、自分が得体のしれないものに狙われているかもしれないという事実を認めるのが怖かったのだろう。
「大丈夫ですよ。僕たちだけじゃなく、本丸皆さんもいますから」
 篭手切が、主に寄り添うように声をかける。その目には、「主を絶対に守る」という決意が宿っていた。
 無論、僕たちも同じ気持ちだ。本当にこの一件がどっぺる何某のせいかは分からないが、主に仇をなす以上は許しはしない。
「……うん。ありがとう、皆」
 主は、ようやくこちらを見てくれた。僕たちと同じ、決意を込めた目で。
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