Calling
3
「……すまなかった。短慮を起こしてしまった」
「んーん、アレはしょうがないよ。っていうか、あのおばさんヤバいね」
ちょうどおやつ時のファミレスは、休日のせいかそこそこ学生や家族連れなどが席を埋めている。その一角に、膝丸と波は向かい合わせで座っていた。
「それにしても……。そっちはそんなことになってたんだ。審神者辞めちゃうと、何にも情報入ってこないしさ。まあ、当たり前なんだけど」
膝丸からかいつまんだ事情を聞いた波は、頬杖をついてため息を吐いた。届いたばかりのパンケーキには、まだ手を付ける様子がない。
「……あいすが溶けるぞ。早く食べてしまえ」
「ああ……うん」
膝丸が促せば、波は行儀良く手を合わせてから食べ始める。しばらく何かを考えている様子で食事をしていたが、ふとそれを中断した。
「……たぶんだけどさ。多分あのおばさん、懲りずにまた白無垢を送ってくると思うよ」
「なんだと?」
彼女のその言葉に、膝丸は眉を顰めた。波はフォークを置き、いったん皿を奥にずらす。
「そもそも、個人情報や品名を変えてまで白無垢なんてものを送ってくるのがおかしいでしょ。郵便代だって馬鹿にならないし、あまりやりすぎると郵便局からも受け取り拒否されそうだしさ」
そこまでいうと、いったん波はドリンクを飲む。
「……普通の嫌がらせだったら、まず自分のことだとバレないようにやるはずでしょ。なのに、おばさんは最初に自分の名前で送ってきた。やりすぎによるリスクなんてお構いなしで続けるってことは、やっぱりちゃんと目的があるんだよ」
「……それは、そうだろうな。なら、その目的とは何だ?」
膝丸が問うと、波は即答する。
「白無垢を贈ることそのものが、目的なんだと思う。月花さんが着る、着ないはどうでもいいの。自分の名前で何度も白無垢を送り付けて、とにかく存在を意識に植え付ける」
「なぜ」
さらに問えば、波は額に手を当てる。
「……あの人さ、亡くなったお子さんがどれだけ月花さんのことが好きかって話してたでしょ。なんで、それだけであそこまで執着するのかなって思ってたんだけどさ。今までのことを見て納得したわ」
「どういうことだ?」
波が、何を言いたいのかが分からない。膝丸が急かすように訊くと、波は言いにくそうに口を開く。
「……呪いっていうのは、一番形にしやすい悪意なんだよ」
白無垢を使った呪いがあるという。死後婚の派生のようなものだ。
自らの体の一部を織り込んだ白無垢を、意中の相手に送る。対象がそれに触れることで、魂同士が結び付けられてあの世で結ばれる……そういうものが。
「……この地域ってさ、結婚したら一人前、って思想が根強いんだよね。あたしはこの土地の住人じゃないけど、審神者みたいに神様を携える職業なんかは嫌がられてる。特に女性が審神者になったら、結婚できないのではないかってね」
それを聞いて、膝丸は先程の女の言動を思い出した。
膝丸に怯えているような表情も、息子が月花をどれだけ好きだったかと語るあの表情も、膝丸に対する負の感情によるものだったのかもしれない。
――神様なんぞに、彼女のことをくれてやるものか、という。
「もしかしたら、おばさんは息子さんの未練を叶えてあげようって思ったんじゃないかな? だから、あの白無垢を送り付けたのかもしれない」
波は、大きく顔を歪めた。
「魂さえ結びつけてしまえば、神様……皆から、月花さんを奪えると思ったのかも。そうすれば息子さんの願いも叶うし、あの世で一人前の大人になれる。無くはないと思うよ」
膝丸は、その言葉に息を呑んだ。
たしか、一度呪詛の類を探した時には何も出てこなかった。それが、白無垢を送り返した後の事だとしたら。
「でも、本丸は神域でしょ。加えて神格が強い刀剣も揃っているから、それがなかなかできないんじゃないのかな。その拒否反応が、今日までの体調不良という形で出た」
「……なるほど」
審神者には、基本的に刀剣男士の加護がつく。それは双方の信頼関係が強固なほどに効果を増すので、多少の呪いなら発現すらしないはずである。
「それが多少なりとも発現したということは、それほど強い呪いだということか……」
「たぶんね。どうする? あの白無垢、取り返してくる?」
「いや――」
あの母親が呪具を送ってきたという証拠も、あれが呪具だという証拠もない。一度返却してしまった以上、こちらからは何もできない。
「……担当殿から聞いた限りでは、返送した後一両日中に送られてくるらしい。しかし……」
「それじゃ間に合わないね。なんとかして証拠を掴まなきゃ。それが無理なら、せめて解呪の方法だけでも。故人が夢に出てきたってことは、確実に連れて行こうとしてるってことでしょ」
膝丸は食い縛った歯を鳴らした。もしも波の推測が正しければ、自分たちには時間がない。いずれは、あの少年は月花を捕まえるだろうから。
「とにかくさ、今から本丸に連絡入れて、この儀式について調べてもらおう? ワンチャン政府の術師さんとか手配してもらえるかもしれないし」
「そうだな」
付喪神とはいえ、できることには限界がある。そしてこれは、膝丸と波の手には負えない。
膝丸が端末を取り出した瞬間、ちょうど着信を受けた端末が大きく震える。本丸の固定回線からだ。いやな予感がした膝丸は、慌てて通話状態にする。
「膝丸だ。どうし――」
『ああ、お前かい? えーっと』
応答しきらないうちに、聞きなれた穏やかな声が聞こえた。少々焦っているらしい彼は、こんな時でも自分の名前を思い出せないらしい。
「膝丸だ兄者!」
電話の主は髭切だった。食いつくように叫んだ膝丸に、髭切は構わず本題を切り出す。
『今すぐ、本丸に帰ってきてくれるかい? 主の容態が急変した』
「なんだと……!?」
予想よりもずっと早かった凶報に、膝丸は足元が崩れ落ちるような錯覚を覚えた。
※
「――主!」
部屋に飛び込んだ瞬間、歌仙の手刀が飛ぶ。慌てて回避すると、険しい顔の彼と月花の傍に座す兄が視界に入る。昼間は会話で来ていた彼女だが、今はもう意識が無いようだった。
「――容体は」
問うと、歌仙が目を伏せる。
「……ひどく、錯乱していてね。先程医師に処置をしていただいたのだけれど、予断は許さないようだよ」
現在、入院先を探しているらしい。ここでは適切な治療ができないからだという。しかし、なかなか受け入れ先が見つからないので、こうして応急処置をしてもらったというわけだ。
「なんだか、夢で捕まったとか、抱きしめられたと魘されていて……。最近眠れていなかったことと、なにか関係があるのかな」
愁いを深くした顔で、歌仙は月花を見た。どうやら、歌仙は夢の話を聞いていないようだ。
「それなんだが――二振りとも、話がある」
膝丸は、今までの話をかいつまんで二振りに話した。険しい顔で、歌仙と髭切は顔を見合わせた。
「……つまり、その白装束を何とかすればいいのかい?」
「ああ……。だが、問題の装束は既に返却してしまった。また送り返されてくるとしても、時間がない」
膝丸の返答に、歌仙は端整な面を歪めた。
「……証拠もないのに、ただの民間人の家に踏み込むわけにもいかないからね。だが、呪具の類なら政府から転送される際にわかるのではないかい?」
一瞬の沈黙の後、膝丸は我に返った。
「――あっ」
本丸の荷物が政府を介するのは、情報秘匿のほかに危険物が持ち込まれないこと目的としているからだ。件の白無垢が本当に呪具だというのなら、何回も本丸に持ち込まれているはずがない。
「ああ、それもそうか。政府の術師は優秀だというからね。素人の呪具程度、誤魔化せないよね」
後ろで、髭切が呑気に手を叩いた。膝丸は、顔に朱が昇るのを感じる。思わず片手で顔を覆った。
「気にすることはないよ。現状では、一番可能性が高かったんだから」
「それに、白無垢が呪具じゃないとわかってよかったじゃない。まだ何とかなるよ」
見かねた歌仙と髭切が、膝丸にそんなフォローを入れる。小さく頷いた膝丸は、では、と顔をあげた。
「ほかにも、呪具があるということだな? ……一体、何だというのだ」
もう一度、ご神刀たちの手を借りて本丸を調べてみるべきか。そんなことを考えていると、髭切がふと声を上げる。
「それにしても、白無垢と言い、主の夢と言い、なんだか結婚するみたいだね」
例の呪いも、死後婚の延長らしいし。そう言いながら、髭切は何か考える風にしている。歌仙も同意するように声を上げた。
「まったくだ。廃神社に並んだ料理、紋付袴の少年……。これで主が白無垢を着ていたら、本当に死後婚のようじゃないか」
縁起でもない、と歌仙は吐き捨てる。しかし、その言葉を聞いた膝丸は、遠くない記憶を呼び起こして目を見開いた。
「まさか――」
その瞬間だった。再び膝丸の端末が着信音を流す。確認してみると、別れ際に交換した波の携帯電話番号だった。
「どうした?」
『あっ、膝丸さん!?』
電話の向こうの波の声は、やけに聞き取りにくい。電波が届かないところにでもいるのだろうか。
膝丸は、端末のスピーカーを入れた。何事かと見守る兄たちにもわかるように、端末をかざす。
『あのね、聞いて! やっぱり呪いだったみたいなんだけど、白無垢じゃなかったみたい!』
興奮気味に言う波の話は、こうだった。
膝丸と別れた後、波はとりあえず家路についた。その途中、件の母親がどこかに行くのを見たのだという。
彼女はノートを広げ、何かを呟きながら歩いて行った。とりあえず後をつけていった波は、とある神社に辿り着いた。
その神社は、裏に死後婚の発祥となった神を祀ってある。女は、その神に奉納する絵馬を保管する社の中に入っていった。
『だから私ね、気づかれないように追ってみたの』
女はその社の祭壇のような場所に、持っていたノートを置いて出て行ったという。女がいなくなった後、波はそれを確認した。
『そしたら、それは日記だったんだ。ねえ、あの人の息子の名前って”村雨カイ”さんで合ってる?』
膝丸は自分の額に手をやった。葬儀の時の様子をどうにか思い出そうとする。
村雨カイ――たしか、主が葬儀の際にその名前を口にしていた気がする。肯定すれば、興奮気味に波は話を続けた。
『やっぱりそうなんだ! あのね、さっき、問題の呪具は白無垢じゃなかったって言ったでしょ? 正体はそれじゃなくて』
「――
膝丸が食い入るようにその名を出せば、波は驚いて声を上げる。
『なに、知ってたの? まあいいや、それ! 月花さんと村雨さんらしい男の人の絵がね、迎馬の額に入って奉納されてたの!』
波が言うには、奉納された日付は一か月前らしい。あの母親から白無垢が贈られ、月花が体調を崩し始めた時期と合致する。
「まさか――」
膝丸の脳裏を、あの神社で聞いた巫女の説明がよぎる。迎馬による死後婚における禁忌、それは生者との婚姻ではなかったか。
(――葬儀に呼んだあの時点から、この計画を進めていたのか!?)
とんでもない執念だと思った。ただの息子に対する愛だけで、母親というのはここまでできるものなのだろうか。
「波、迎馬のことはどこまで知っている?」
何か、死後婚を止める方法はあるだろうか。月花にはもう時間がない。対処法を求めて 膝丸がそう訊くと、期待に反して波は小さく唸った。
「――ごめん。正直、よくわかんないの。お祖母ちゃんならここの出身だったらしいからまだって感じだけど、とっくに亡くなってるし……」
でも、と言葉を繋げる波の口調はそこまで重くない。何か焦っているようだった。
「こういうのって、大体燃やしちゃえば何とかなるんだよね!? そんなわけなんで、ちょっとこの絵馬処分してくるわ!」
「は!?」
膝丸だけでなく、黙って聞いていた歌仙も声を上げた。それで我慢ができなくなったらしく、歌仙は膝丸から端末を奪い取った。
「――一体何を考えているんだ! 君がいる場所を教えなさい、今から僕が迎えに行く!」
『げっ、歌仙!? なんでいるの!?』
「げ、とはなんだ! あと僕がいるのは当たり前だろう、ここは本丸だぞ!」
元・初期刀が聞いているとは思わなかったのだろう。驚愕の声を上げた波を、歌仙は少しばかり斜め上の内容で叱り飛ばす。
普段ならここで何らかの応酬が続くらしいが、今回ばかりはそうもいかないようだった。
『まあいいや。じゃあ私、今から社務所に行くからあとよろしくね! それじゃ!』
「あっこら待ちなさい主、――主!」
一方的にそれだけ告げて、波は電話を切ってしまった。やり場のない感情に歌仙が天井を仰ぐのと同時に、膝丸は部屋を飛び出す。
「兄者、歌仙、後は頼む!」
「ああ、うん。気を付けるんだよ。えーと」
「膝丸だ兄者ぁあ!」
穏やかに見送る兄に背中越しに絶叫すると、膝丸は廊下を疾走する。波がいる場所はきっとのあの神社だろうと思いながら、転送門に飛び込んだ。