Calling

   2

「ひーざまーるさんっ!」
「……まさか、君だったとはな」
 かけられた声に振り返れば、コートを着込んだ少女が走ってくるのが見えた。その少女には、過去に何度かあった事がある。
 記憶の中の彼女は前髪を上げていたが、今は額に下ろしている。そのせいでだいぶ印象は変わっているものの、それでもすぐに誰かはわかった。
「そりゃ、現世で皆のことを知ってる人っていったらあたしでしょ?」
 膝丸の傍まで着た少女は、そう言って得意げに笑ってみせた。 
 彼女の名は、伊佐野波いさのなみ。月花の前に本丸を統べていた元審神者である。
 初期刀の歌仙を始め14振りの刀剣を従えていた彼女は、昨年の春に審神者を辞した。現在は、普通の中学生としての生活を送っている。そのはずだったのだが。
「……まさか、民間人である君を巻き込むとは思わなかったんだ。元気にしていたか?」
「ん、まあね! 膝丸さんこそ元気そうだね」
 にこにこと笑う波は、初めて会った頃と変わらずに明るかった。
 聞けば、刀剣男士の現代遠征における調査の協力者、ということで名乗りを上げたらしい。ただのボランティアだと彼女は言っていたが、彼女なりに本丸との繋がりを守りたいのかもしれなかった。
「そうそう。月花さん、調子悪いって聞いたからゼリー買ってみた。食べれそうかな? 帰りに渡すね」
「ああ、わざわざすまない。ありがたく頂戴しよう」
 膝丸は白無垢の入った箱を抱えているので、すぐには受け取れない。それを察した波は少し袋を掲げ、有名なところの美味しいやつだよと笑った。
「ね、月花さんの様子はどう? 本丸には手続き踏まないと行けないしさ、ずっと気になってるんだよね」
「……ああ。色々試してはいるのだが、どうにも良くならんのだ。皆、心配している」
「そっかぁ」
 それを聞いて、さすがに波の顔も曇る。何かを考えるように上を向いた。
「病院……は、さすがに行ってるよね。みんなは? 調子悪くなったりしてない?」
「ああ。俺たちは特に問題ない。主が不調なので、出陣などが出来ないくらいだ」
 まあそうなるか、と波は唸る。
「……まあ、とにかく行こっか。積もる話も聞きたいし」
「そうだな。……そういえば、薬研が君によろしくと言っていた。いい人ができたか気にしていたぞ」
 本丸を出る際、まるで親のような心配をしていた短刀を思い出す。それを告げれば、波の目が大きく見開かれた。
「薬研さんがそれ心配する!? 一応元カレなんだけど!?」
「まあ、一年半も経っているしな。薬研としても、そろそろ次の恋愛をしてほしいようだが」
 膝丸が言うと、波は大袈裟に頬を膨らませる。
「っていうか、薬研さんに比べたら同級生とか子どもだよ、子ども! 一つもなびかないわ! 大体、別れたのだって本当は不本意で……」
 そのままぶつぶつと不満を垂れ流し始めてしまったので、膝丸はこの話題を振ったことを心底後悔した。
 本丸を月花に引き渡す際、波と薬研はお互いに未練がないようにと別れることを決めたと聞いていた。しかし、波はそのことを予想以上に引きずっていたらしい。
「すまん、すまん。……目的地に行く前に、どこかに寄るか。何か御馳走しよう」
「え、本当?」
 それを聞いた瞬間、波が輝いた顔で膝丸を振り返った。間髪入れずに、彼女は膝丸の腕を掴む。
「そういうことなら、早く行こ! そろそろ話題のカフェの開店時間なんだよ!」
「あ、こら! 引っ張るな」
 ぐいぐいと腕を引っ張られながら、膝丸は波に抗議の声を上げる。取り落としかけた箱を片手で抱え直しながら、膝丸は憂いに小さく息を吐いた。

 古い一軒家の呼び鈴を鳴らすと、やつれた顔の女が顔を出した。少し不審そうな目をしたが、膝丸を見ると少し表情が明るくなる。ああ、と声が漏れた。
「月花さんの、護衛で来られていた方よね? 何か御用かしら……」
「ああ。突然の訪問、失礼する。お邪魔しても構わないだろうか」
 膝丸は女に一礼し、そう問いかける。「構わないけど……」と答えた彼女は、心配そうに波を見た。
「あ、伊佐野波です。月花の従妹なんですけど、代理で来ました」
「そうなんですか? ……ならどうぞ」
 少々無理のある嘘だったが、女は納得したらしい。見えないように親指を立てる波に苦笑し、膝丸は家の中に入る。仏間で線香を上げた後、女の案内で客間に入った。
「……先日は、息子のために本当にありがとうございました。四十九日はまだですけど、お陰様でやっと落ち着いてきまして……」
「いや。こちらこそ、突然の無礼をお詫び申し上げる」
 膝丸がそう言って頭を上げると、女は驚いたのか狼狽える。必要以上の畏懼に違和感を覚えたものの、膝丸は本題に入ることにした。
「早速で申し訳ないが、本題に入らせていただく。……ここひと月の間、我が主にこれを送っているのはあなたで間違いないな?」 
 膝丸は廊下に置いていた箱を持ち込むと、手早く封を解く。敷紙を捲って白無垢を示せば、隣でそれを見守っていた波が驚きを耐えるように肩を揺らした。
「ああ……もしかして、お気に召さなかったかしら」
 女は、薄い笑みを浮かべた。先程の畏懼が嘘のように、静かな態度だった。
 なにか薄気味の悪いものを感じながらも、膝丸は努めて冷静に話を勧めた。
「失礼ながら、そうだ。我が主にはこのようなものは不要であるし、何度も贈られてくることに不愉快な思いをされている。……なにより、今の主は体調が優れない。かなりの負担になっているゆえ、今後はこう言ったことはやめていただきたいのだ」
 敢えて圧を滲ませながら、膝丸はそう女に頼む。頼むといっても、出来れば承諾してほしかった。
 しかし、女はそれに沈黙した。俯いたまま動かないので、怖がらせすぎてしまったかと膝丸は内心焦る。それでもじっと待っていると、やがて女は口を開いた。
「……月花さん、可愛いですね。葬儀の時は染めていましたが、あの真珠色の髪とか、特に」
「は?」
 これには、膝丸も波も間抜けた声を上げてしまった。女はそれを無視し、つらつらと言葉を並べ始める。
「亡くなった息子もね、あの子とのことがずっと好きだったみたいなの。知ってる? そもそもあなたたちを呼んだのも、息子が日頃から彼女のことを話していたからなの。大好きだったに見送られれば、あの子だって安心して旅立てると思ったから」
 まるで、何かにとり憑かれたかのようだった。ろくに息継ぎもせずに話したからか、こちらに顔を向けた女は肩で息をしていた。
「受け取ってほしいな……。あの子が、手ずから作ったものですもの」
 悪びれもせずいう女に、膝丸は怒りが沸き起こってくるのを感じた。弱り切った主の願いを無碍にされたような気がして、思わず腰を浮かす。
「貴様――」
「あ――っ!」
 その瞬間、波が膝丸の腕をつかんだ。そのまま立ち上がり、彼を引っ張る。
「膝丸さん! そろそろ帰ろっか! お母さん疲れてるみたいだし、ちょっと休ませてあげた方がいいって!」
「は? おい!」
「じゃあ、お母さん! 頼みましたからね! これ以上は私たち、ほんとに無理なんで。お互いのためにここまでにしときましょ? ね!」
 膝丸は抗議の声を上げるが、波は母親に念を押しながらその背を押した。そのまま、膝丸は波に促される形で部屋を出て行く。急かされるままに家を後にした。

 そのため、ふたりは知らなかった。
 静寂が戻った部屋に一人残された女が、気味の悪い笑みを浮かべたことを。

     ※

――もしかして、これは結婚式なのではないか。
 月花がそう思った時には、もう少年は膳の海の中ほどまで来ていた。もう何度目かの夢である。
 月花は、目の前の少年を見つめた。印象の薄い顔に、思わず顔を歪める。
 彼のことは、名前しか知らない。「村雨カイ」。中学の時の、一つ上の先輩。
 その情報だって、葬儀に来てほしいと頼まれて初めて知ったのだ。連絡をくれた両親も不審がっていたが、遺族の母がどうしてもと食い下がって来るので焼香だけ上げに行った。
 それだけの話だ。本来ならば無関係の他人。それが、なぜここにいるのかわからなかった。
(……どうして?)
 どうして、自分なのか。何がきっかけだったのか。
いくら記憶を手繰っても、答えをくれるはずの記憶は彼のことを教えてくれない。不安と、確かな恐怖が鎌首をもたげ始めていた。
 そうしている間にも、少年はどんどん距離を詰めてくる。逃れたいのに、月花の体はいうことをきかない。突き立てられた杭のように、硬直した体は動いてくれなかった。
(――怖い)
 反射的に助けを呼んだ。お父さん、お母さん、お祖母ちゃんに、それから。
 思いつく限りの名前を呼んでも、あたりまえだが誰も来ない。これは夢だからだ。月花の意思では、何もできない。
 それで、結局魘されていたらしいところを様子を見に来た刀に起こされる。そればかりを繰り返していて、この一か月はまともに眠れた記憶がない。体調も良くなるどころか、じわじわと悪くなっている気がする。
「皆に、悪いことしちゃったなあ」
 大典太や石切丸に「力になれなくてすまない」と謝られた時。少し疲れた様子の薬研に「少しでも食べた方がいい」と薬膳粥を渡された時。いろいろな刀が、自分のためになにかと手助けをしてくれた時。
 嬉しかったけれど、それ以上に焦っている自分がいた。早く治さなければ、と。

そして今、月花は夢の中にいた。膝丸を送り出した後、眠ってしまったらしい。
(先輩は――)
 手の届く距離にいたはずの彼は、どこにもいなかった。相変わらずの強烈な腐臭と、黴臭さに眩暈がする。
 体は――動くようだった。驚喜と同時に、急いでここから逃げよう、という焦りが芽生えた。
(とにかく、夢から覚めてしまえば――!)
 きっと、ここから逃げられる。そう思って振り返った月花は、次の瞬間誰かに正面から抱きしめられた。
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