波打ち際のかみさま(深海奏汰/守沢千秋)

――ねえ、ちあき。
 ぼくは、これから「にんげん」としていきられるのでしょうか。


◇波打ち際のかみさま

 “深海奏汰は「怪人」である“――それは、誰が言いだしたことだったのだろう。
 奏汰は、ただ「みんな」の願いを叶えていただけだ。「いきがみさま」として生きてきた自分を人々は賞賛し、慕い、「願いを叶えてくれ」と縋る。
 そんな人たちのために、自分ができることがそれくらいしかなかったのだ。三毛縞だけは異を唱えて新しい世界を見せてくれたけれど、結局すぐに失望した。
(――ここには、かわいそうな「にんげん」しかいないのですね)
 おなじ「かみさま」がいると思った。三毛縞が持ってきてくれた雑誌に載っていた「あいどる」たちが存在すると思った。それを聞いた三毛縞は寂しそうに笑ったけれど、決して奏汰の失望を笑ったりはしなかった。

 だから、「五奇人」の仲間と会えた時は嬉しかった。この学園では、外の世界では会うことはないと思っていた、自分と「同じ」人たち。
 妙な名前でくくられたけれど、誰かがそう呼んでくれたから奏汰は頑張れた。
 かみさまである自分にしては、とても頑張ったと思う。自分の力で彼らに近づき、対話や交流を重ねて心を開いてもらえるように努力をした。
 だからこそ、彼らが自分を「友」と呼んでくれた時は嬉しかった。その時のことは、今でも思い出すと笑顔になる。――しあわせだ、と心から思えるのだ。
 自分の願いを、自分で叶えるというのは初めての感覚だった。あとにも先にもこの時だけだろうと思ったその願いに、奏汰は新たな「ねがい」を重ねた。

――ずっと、「ごきじん」のみんなと「おともだち」でいられますように。

 この幸せは続くと思っていた。自分はかみさまだから、自分自身の願いを叶えることだって造作もない。そう信じていただけに、歯車が狂い始めた時は動揺を隠せなかった。
 信者たちの願いを思ったように叶えることができなくなり、人がどんどん離れていくことを実感しながら、奏汰はずっと不安だった。
(――『しんせい』は、『しんこう』がなければなくなってしまいます。『おうち』のひとがおしえてくれました)
(――だから、でしょうか。ぼくの『しんこう』がなくなって、「しんせい」がすたれたから……しゅうは『ふこう』になったんでしょうか)
 奏汰の友人の一人である斎宮宗は、先日のライブを境に学校に来なくなってしまった。
 酷いライブだったと聞いている。帝王とまで謳われた彼が、心を病むほどの大惨事。それを聞いた奏汰は、大きく胸が痛むのを感じた。
(――『これ』は何なのでしょう?)
 この胸の痛みを、正体を奏汰は知らない。信者の誰かに訊けば教えてくれるだろうが、最近は彼らも自分に「ねがい」を言わなくなってきている。自分は、本当に「かみさま」ではなくなってきてしまっているのだろうか。
 なんだか、忌まわしいものがどこかから漂ってきているような気がする。獲物を狙うサメのように、執拗に――慎重に。
(――『かみさま』でいられなくなったぼくは、みんなから『ひつよう』とされるのでしょうか)
 ずっと不安だった。怖かった。
 自分をかみさまと崇めていた人々が、今は「怪人」と称して攻撃してくる。
 いくらのんびりとした自分でも、悪意が向けられていることくらいは理解できた。それでもどうしたらいいのかわからなくて、奏汰はいつものように過ごすしかなかった。
――千秋なら、どうしたらいいか教えてくれるのだろうか。「人間」だと言ってくれた彼なら、答えを持っているだろうか。……そう思いながら。

   ※

 「海神戦」から一夜が明けた。
 奏汰と千秋が「海神戦」の舞台に来た時、既に勝負は終わってしまっていた。ただの負け戦だったけれど……それでも、奏汰は幸せだった。
(多分、それは……『ちあき』が傍にいてくれたからですね)
 「かみさま」としての生き方しか、奏汰は知らない。疑問すら抱かなかった生き方の中で千秋と出会い、言葉を交わし――一度離れてしまったけれど、もう一度引き合った。
 千秋は、二度と自分とは「仲良く」してくれないと思っていた。彼は五奇人以外で初めて、自分と向き合おうとしてくれた存在だ。彼がいなければ、今頃自分は夢ノ咲学院を去り、戻ってこなかったかもしれない――三毛縞に導かれるままに。
「いやー、負けた負けた! わかってはいたけど、随分清々しかったなあ!」
 朝日が昇ったばかりの海辺に、2人はいた。千秋は大の字になって寝ころび、奏汰はそんな彼の傍に膝を抱えて座っている。
 波打ち際のために千秋の体の下を波がすり抜けていくも、彼は気にする風もない。むしろ、夜のうちに冷え切った波に気持ちよさそうに目を細めていた。
「……ちあき、『かぜ』、ひきますよ?」
「ああ……そうだな。そうなったら看病してくれるか、深海くん?」
 少しの心配と、少しの微笑ましさを乗せた問いは、あっけらかんと笑った彼に軽い調子で返された。
 そのやり取りに安心する。こんなにも穏やかな気持ちになるのは、久しぶりのように思えた。
「……しゅうの『かたき』、とれませんでした」
 ふと、そんな言葉が口を突いて出た。少し驚いたようにこちらを見た千秋は、何かを堪えるような顔をした。
「……そうだな」
 ドリフェス制度では、実力の低いユニットから演目を行う。紅月よりも実績の低かった『流星隊』は最初から参加できなかった。
 それでも、奏汰と千秋は最後まで歌い切った。負けていても関係ない。それぞれが自分の信念のために舞台に立ち、そしてそろって討伐された。
 しかし、奏汰たちが乱入するまで殺気立っていたはずの舞台は、終わった頃には静謐に包まれていた。
 嘘のように静まり返ったステージから、2人は首を傾げつつ降りた。紅月の一年……神崎がこちらに向けて一礼していたので、何か思うところがあったのだろう。
「……なあ、深海くん」
「あ、はい? なんですか、ちあき?」
 不意に声を掛けられ、奏汰は千秋を振り返った。こちらをどこか虚ろな目で見ていた千秋は、奏汰の視線を受けて寂しげな顔をする。
「……『valkyrie』が負けた日の夜、俺は斎宮に会っていたんだ」
「えっ?」
 思ってもみなかった告白に、奏汰は瞠目した。ようやく体を起こした千秋は、まっすぐにこちらを見て続ける。
「奏汰に――お前たち『五奇人』に、『あいつ』と戦っちゃだめだって言ってた。多分あいつ、天祥院が――生徒会が、『五奇人』討伐を成功させてしまうと思ったんだろうな」
 まあ、と千秋は苦笑した。たとえ斎宮に言われなくても、自分はAV室で言った通り彼方を舞台に立たせるつもりはなかったと。
 奏汰は、その言葉に目を見開いた。今までで一番驚いたかもしれない。それくらい、千秋の告白は衝撃が大きかったのだ。
「……しゅうが、そんなことを?」
「金星杯」以降、学院から姿を消してしまった彼の姿を思い出した。全然連絡も取れないし、さすがに家までは知らずに様子も見に行けなかったから心配していたのだけれど。
「……あのこは、さいごまでぼくたちをしんぱいしてくれたんですね」
 あの孤高の芸術家は、それでも「友」と呼んだ自分たちを愛してくれていた。自分の心が崩れても、こちらを気遣ってくれたのだ。
「……なおさら……かたきをとってあげたかったですね……」
 胸が痛むのを感じた。思わず蹲れば、それに気が付いた千秋が少し慌てたように声を掛けてくれる。
「……深海くん、大丈夫か?」
 宗に、『valkyrie』に起こった悲劇を聞いた時のような痛みが、奏汰の胸に広がっていた。千秋の問いに、応えることもできないほどに。
 この痛みは、一体何なのだろう。奏汰はこんなものは知らない。そういえば、あの時も同じことを思った。――千秋なら、この答えを知っているだろうかと。
「……ねえ、ちあき」
「ん、なんだ? どこかが痛いのか? それとも気分が悪くなったか?」
 この優しい声に、気持ちに、今更ながら自分は救われてきたのだと知った。元々、一人で参加するつもりだった「海神戦」。信者に乞われ、無理矢理遠ざけられた舞台。
 もしも一人で立っていたら、自分はどうなっていたのだろう。石を投げられ、言葉の刃で傷つけられ――暗くて深い海の底に、沈められていたのだろうか。
「ちあき、むねがいたいんです」
「え」
 奏汰の告白に、千秋の顔が強張る。どういう風に、と訊かれて、奏汰は必死で言葉を紡ぐ。
「しゅうが、たおされてしまったときもそうでした。むねのこのへんがとてもいたくて、なんていうか、からだがわるいとかじゃないとおもうんです。さっきの【かいじんせん】がおわったときはなんともなかったんですけど、いまのはなしをきいて」
「わ、わかったわかった。ちょっと、いったん落ち着いてくれ」
 一気にまくしたてられたので、さすがに千秋も困惑したのだろう。奏汰自身、どうしてこんなことになっているのかが分からない。胸のあたりがざわざわして――潮騒のように騒がしくて、泣きたかった。
「……わからないんです、このいたみのりゆうが。ちあきならわかりますか? どうしたら、このいたみはきえるんですか?」
 きっと、これはよくない兆候だ。信者の言葉が蘇る。
 己の神性が無くなったから、奏汰の体にほころびができたのだ。そうであるなら――待っているのは、きっと破滅だ。
「――深海くん」
 自分はきっと、ひどい顔をしているのだろう。目の前の千秋は、すっかり真顔になっている。おもむろに両肩を掴まれて、奏汰は身がすくむのを感じた。
「……多分、それは“くやしい”ってことなんだと思う」
「……くや、しい?」
「ああ」
 奏汰に向き直った千秋は、諭すように話を続ける。
「斎宮が倒されて、海神戦も負けてしまったのが悔しい、と思っているのだと思う。自覚がなくても。――そのことに、君自身が今気づき始めているんだ」
「……僕が」
 かみさまとして生きてきた。乞われるままに願いを叶え、人々を助けるために生きてきた。
 ああ――けれど、自分はいつの間にか、それだけではなくなっていたのだ。
「たぶんだが、もう生徒会は止まらない。紅月――とくに蓮巳は、今回のことで妙に覚悟が決まったようだし、『fine』も勢いを上げてきている。……俺にも、この流れは止められない。悔しいけどな」
 大義名分を掲げた“聖戦”は終わらない。斎宮宗の撃破を持ってあげられた狼煙は、深海奏汰の討伐まで群衆を導いた。奏汰の歌を聴いて静まり返った連中も、きっと生徒会の行動によって以前の空気を取り戻してしまうのだろう。
 千秋も「敗者」だ。戦争においては、もう勝者に復讐する術はない。
「それでも、この敗北には意味がある。……奏汰、この悔しさをバネにして頑張ろう。ヒーローとして、人間として……俺たちができることをやろう」
 負けてしまった自分たちが、未来で笑っていられるように。ここで立ち止まらずに、「正義の味方」として歩き出した自分たちを労って、先に進む。
 そうすることでしか、今の自分たちを救う方法をふたりは知らない。
「……ちあき」
「うん」
 奏汰は、縋るように名前を呼んだ。再び暗い海の底に戻ろうとした自分を、明るい地上に引き戻してくれたかみさまヒーローの名を。
「くやしい、です」
 その思いが、胸につっかえていたたくさんのものが、涙となって零れ落ちた。締め付けられそうに苦しくなった息で、必死でひきつった言葉を絞り出す。
「うん」
 優しい手が伸びた。そのまま引き寄せられて、次の瞬間には抱きしめられたということに気づいた。
「くやしいな」
 宥めるように、優しく背中を叩いてくれる。優しい声で言われた言葉で、ついに決壊してしまった。
「……はい……とても、くやしいです……!」
 この胸の痛みの正体を、今まで蓄積されてきた「それ」を、奏汰は慟哭とともに吐き出した。受け止めてくれた千秋に力いっぱい縋りつき、それしか言葉を知らないように得たばかりの感情を言葉にして繰り返す。
 千秋は、何も言わなかった。その代わり、強い力で奏汰を抱きしめ返してくれた。
 今の奏汰にはそれが救いだった。どんな言葉も、歌も、願いも――今だけは、傷を深くするだけだったから。
 ――ねえ、ちあき。
 ぼくは、これから「にんげん」としていきられるのでしょうか。
 神様は嘆かない。求められるまま、乞われるままに願いを叶え、救済することしかできない。
 神様がいても、誰も救ってはくれない。興味すら持たない。――そう断言した千秋もまた、悩み苦しみ、怖いと言いながらも悪に立ち向かった人間だ。
 奏汰を守るために、味方としてともに戦ってくれた掛け替えのない友人。
 そんな彼と「人間」として歩めるなら、いつかこの傷も乗り越えることができる気がした。

「神様は、俺たちに興味なんてない。どんなに願っても、救ってなんかくれない」
「そんな人間たちを愛して、救おうとした君は――とっくに“人間”だったんだよ」

   ※  ※

 これからも、『五奇人』討伐は続くのだろう。零、夏目、そして渉。討伐されるべき「悪人」たちは、あと三人も残っている。
 彼らを救うために、自分は何ができるだろう。船は舵を切り、港を発った。
 それでも、と奏汰は「ねがった」。自分の大切なひとたちのそばに、自分にとっての千秋のような、やさしい存在がいてくれることを。
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