まねっこ(仮)

  
                            
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 炎天下、という言葉は誰が考えたのだろう。
 それが後世まで定着しているというのだから、言葉というのは恐ろしい。
 刀だった頃には何とも思わなかった気温が、人の身を得た今では鬱陶しくてたまらない。人というのは、こんなとんでもないものと付き合いながら今日まで歴史を築いてきたというのか。
「はあ――……」
 そんなことを考えながら、僕は大きくため息を吐いた。
 土の下なら冷たいだろうか。そう考えながら、すっかり熱のこもった土を混ぜてみる。冷たさは期待できそうになかった。
「松井―? なにさぼってんの? さっさとこの収穫分運んで」
 ちょうどその時、すぐ近くで野菜の収穫作業をしていた桑名江が声を掛けてきた。
 もうこんな気温で畑仕事などうんざりだったので、僕は拒否を込めて彼を振り返る。しかし、桑名は気づかない。やるだけ無駄だったかとため息をついたとき、新たに僕らを呼ぶ声がかかった。
「松井―、桑名―」
 よく聞き慣れた声だ。振り返れば、そこには想像通りの人物がいた。桑名が嬉しそうに声を上げる。
「ああ、主!」
「どうしたんだい? たしか、執務室で仕事中だったんじゃ」
 人好きする笑みを浮かべて、僕らの主である青年がこちらに向かって歩いてくる。僕が問いかけると、主は気まずそうに肩を竦めた。
「いやあ、皆で執務室で頑張って仕事してたんだけどさ。山鳥毛さんに“お前はもういい、呼ぶまで出ていろ”って言われちゃってねえ。休憩ついでに散歩してたらふたりがいたから」
 はは、と主は気まずそうに笑う。
 大方、今のうちに主を休ませておこうという山鳥毛の気遣いだろう。彼は主はもちろん、誰かを無碍にする刀ではないと誰もが知っている。
 それだったら、こんなところにいないで休んだ方がいいんじゃないかな。そう思っていると、主は持っていたばっぐを僕たちに掲げてみせた。
「あ、これ差し入れ。休憩ってこれから?」
 中身はしゅーあいすだよ。そんな主の言葉に、僕は嬉しさを抑えきれなかった。顔が輝いているのが自分でもわかる。上擦りそうな声を抑えて、僕は努めて平静に答えた。
「ありがとう。もう少しで切り上げるところだよ」
「じゃ、手伝うから一緒に食べよっか。何すればいい?」
 そうと決まれば、僕に動かない理由はなかった。主が手伝ってくれるなら百人力である。
 3人で野菜を母屋まで運び、道具を片付けて日陰に腰を落ち着ける。受け取ったしゅーあいすをかじりながら、僕たちは互いの近況や次の催し物の提案など、いろいろな話に花を咲かせ始めた。
「――あ、そうそう。昨日、万屋に急用があっていったんだよね。そしたら珍しいものを見つけて」
「珍しいもの?」
 主は、話が途切れたたいみんぐで思い出したようにそんな話をした。万屋の近くに、そんな感想を抱くようなものがあっただろうか……と思っていると、同じことを思ったらしい桑名が主の言葉を反芻する。
「うん。似顔絵屋って知ってる? 店員さんに似顔絵を描いてもらう店の事なんだけど。大体露店みたいな形式になってて、それが万屋の近くに出てたんだよね」
「へえ。それで、描いてもらったのかい?」
 僕の問いに、主の顔が輝いた。子供みたいにはしゃぎながら説明してくれる。
「すげえ上手かったよ! まるで、俺が目の前にいるみたいな感じだった。リアルすぎて、逆に怖いからもらってこなかったんだけどね」
「そうなのかい? なんだか、そういう店に収まっているのがもったいないくらいだね」 
 それにしても、そんなにうまい似顔絵屋があっただろうか。そういう店があるということは、どこかで聞いたことはある気がする。
 でも、僕はそれを見たことはないし、あのあたりにあるという話を他の刀たちから聞いたこともない。多分、桑名や他の江たちもそうだ。きっと、その日たまたま店を出していたのだろう。
「――さって、そろそろ戻ろっかな。付き合ってくれてありがとね」
 不意に主が立ちあがった。伸びをしながら、僕たちにお礼を言ってくれる。
「こちらこそ、ありがとう。主のおかげで予定より早く終わったよ。僕らも、軽く湯浴みしてくるね」
 僕は保冷ばっぐを拾い、主に渡す。それに主が頷いた時、誰かが近づいてくる気配がした。
「……ここにいたのか」
「あ、稲葉」
 少し不機嫌そうな声は、よく知る身内のもの。まっすぐ見つめられた主が、不思議そうな顔をする。
「あれ、稲葉。呼びに来てくれたの?」
 その瞬間、稲葉江の顔が険しくなった。というよりも、なんだかかなり怒っている。いきなりのことに、主はもちろん、僕たちも怯んだ。
「――貴様、本気で言っているのか?」
「は……?」
 低く凄んだ声。稲葉は本気で怒っている。対して、主は本気で困惑しているようだった。下手に口を挟めずに見守る僕たちの前で、稲葉の主への尋問は続く。
「貴様が、我の作業を代わると言ったのだろう。だから現場を抜けて仮眠をとっていたのに、執務室にいないというのはどういうことだ」
「え? え?」
 本当に身に覚えがないのだろう。主はわかりやすいから、その表情で本当に困っているのが見て取れた。
 その態度に、稲葉は余計に苛立ったようだ。さらに怒った顔で続ける。
「ようやく寝付けたところだったのに、貴様が執務室にいないせいでこちらがサボっていると思われて叩き起こされた。さっさと執務室に戻れ」
「え?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ稲葉」
 慌てて、僕は主と稲葉の間に入った。僕のその行動に、稲葉が余計に怒った顔をした。隣で桑名が援護をしてくれる。
「主、ここで僕たちと一時間近く一緒だったんだよ? そのやりとりしたの、いつ?」
「……なんだと?」
 その瞬間、稲葉の怒りが少しだけ薄らいだ。正確には困惑に変わっただけなのだけれど、とにかく冷静な話ができそうな様子にはなった。
「ね、主が稲葉と交代したのって何分前?」
 続いて桑名が訊けば、稲葉は困惑しつつも静かに答える。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「……今から、30分ほど前だ」
「ええ?」
 稲葉の答えに、僕たちは顔を見合わせた。
 どう考えても辻褄が合わない。一瞬稲葉が夢を見ていたと思ったけれど、彼はそこまで間抜けじゃない。
 なら、主によく似た別人か。しかし、本丸に来客がある時は必ず全員に周知される。主もそういうことは全く言っていなかった。
 それに、仮にも神でありモノである僕たちが、主を何かと間違えたりなどするわけがない。
「……確かに、主だったのだが。お前たちと一緒にいたのだな……?」
 稲葉の困惑ももっともだ。僕たちだって、狐につままれたような気分なのだから。
「……どういうことだい?」 
 僕の問いに、答えられるものはいなかった。
 不可解な物事の噛み合わなさに、誰もが得体のしれない不気味さを感じていたからだ。

――この時の真相は、のちにとんでもない事件とともに明かされることとなる。
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