Calling



    1

 その神社は、秋ということもあってか閑散としていた。
 膝丸は兄の髭切と並び、賽銭箱に銭を投げ入れた。ほぼ同じタイミングで柏手を打ち、願掛けをする。
 神の末端である自分たちが、このような行為をするのは我ながら不思議だ。しかし、そうしなければならない理由が二振りにはあった。
(主の病が、一日も早く快癒するよう――)
 もう、ひと月近くになる。ある日突然体調を崩した審神者は、現在も床に臥せっている。
 はじめは、ただの風邪だと思っていた。しかし薬を飲んでもよくならず、微熱が続いた。
 毎晩のように彼女の枕元に座っていた大典太は、これで自信を失くして蔵に引きこもろうとしてしまった。祈祷が効かないと頭を抱えていた石切丸は、これを見て呪詛か何かの類を視野に入れた。
 しかし、霊力がいっとう高い白山や巴形らが調べても、その類のものは確認できなかったらしい。ならば病気だろうと病院で検査をしてもらったが、結局原因はわからなかった。
 こうなったら、できることは何でもやろう――初期刀の歌仙は、心労と疲労でやつれた顔でそう指示を出した。そういうわけで、膝丸と髭切も神頼みに踏み切ったのだ。
「こういう場所にいる神様は、僕たちよりも神格は上のはずだからねえ」
 そう言いつつも、髭切の顔には何とも言えない感情が見えた。膝丸も同じ思いを抱えているだけに、胸が痛くなった。
 基本的に、自分たち刀剣男士は主に仕えるモノだ。審神者のために在るというのに、病一つどうにかしてやることもできない。それが、ひどく屈辱的だった。
「……そうだ、兄者。御守も買っていこう」
 社務所が目に入ったので、膝丸は兄を振り返った。そうだねと頷く彼の手を引き、膝丸は足早に歩きだす。窓口前に張り出されたカウンターの前までくると、並べられた御守から目的に近いものを探した。
(――あった)
 この神社は、病気治癒の神を祀っているという。そのため、それに特化した御守が少し割高で売られていた。
 膝丸は躊躇もなくそれを取り上げ、巫女に声をかけようと顔をあげる。ほぼ同時に、髭切が声を上げた。
「――この絵馬は、ずいぶん変わっているねえ」
 膝丸は、その言葉に背後を振り返る。カウンター横に設置されている回転台の前に立った兄は、手に取った額のようなものをしげしげと眺めていた。
 彼の言葉通り、その額は絵馬の形をしていた。見たところ、写真立てと同じ構造のようだ。膝丸が怪訝そうな顔をすると、そんな二振りの様子に気づいた巫女が声をかけた。
「ああ、それはムカエマです。ご覧になるのは初めてですか?」
「むか……?」
 首を傾げる膝丸らに、巫女はにこやかに説明を始める。
「迎えの馬、と書いて迎馬です。この地域には親しみ深いものでして、いわゆる死後婚と呼ばれる儀式に使うものですね」
 巫女は一度奥に引っ込むと、同じ絵馬を持ち出してきた。二振りに示しながら、丁寧に説明を続ける。
「ここに、故人様とお相手様の絵を年齢や名前も書いて入れます。そうしましたら、あちらの本殿で祝詞を上げて奉納させていただくのです」
 一通り手順を説明した巫女は、ただし、と真剣な顔で続きを話す。
「一つ注意していただきたいのは、故人様と添い遂げるお相手は架空の人物にすることなのです。実在する人物、とくにご健在の方と婚姻させることは禁忌となっております」
 その説明で道理はわかったが、この神社でそれを行うのは不思議に思えた。膝丸は、少し迷ってその疑問を女に伝える。
「死者のための婚姻というのはわかった。しかし、この神社は病気治癒の神を祀っているのだろう? なぜそんなものまで」
 その問いはもっともだと思ったのか、巫女は困ったように笑う。
「この神社の本殿の裏に、分社があるんです。その社に祭られている神様が、死者同士の恋愛成就に纏わる神様でして。その神様にこの絵馬を奉納することで、故人様を一人前の大人としてあの世に送り出せると信じられているんですよ」
「へえ……」
 髭切が声を上げた。膝丸も納得し、女に礼を述べる。髭切は、回転台に絵馬を戻した。どうやら興味をなくしたらしい。
「この地域は、特に結婚して一人前という考えが強いですから。だからこそ、こういう風習が残っているんでしょうね」
 にこやかに笑った女は、それでこの話題を締めくくった。ふと、膝丸が持っている御守に目を留めた。
「あ。ところで、そちらはお買い求めでよろしいでしょうか」
「あ、ああ」
 膝丸は女に御守を渡した。精算をしながら、先程の説明を頭の中で反芻する。
(……死者のための婚礼、か)
 巫女の言うとおり、人というのは家庭を持つことで一人前と見做される。独り身のまま亡くなった家族を、半人前のまま送り出したくないという遺族の思いが、死後婚と迎馬という風習を今日まで受け継いできたのだろう。
(……まあ、今の俺たちには関係ないことではあるのだが)
 御守を受け取り、膝丸は兄の許に小走りで向かう。連れ立って鳥居に歩きながら、膝丸は憂鬱な気分で息を吐いた。
「……少しは、ご利益があればいいのだが」

   ※

「膝丸様……ありがとうございます」
 参拝から数日が経ったが、審神者――月花の容態は良くならなかった。
一度検査入院をしたのだが、一向に原因が分からないままで医者にもさじを投げられてしまった。それで、現在は本丸で点滴を中心とした処置を受けている。
 布団に横たわった彼女は、熱に浮かされた目を膝丸に向ける。傍に座った膝丸は、そんな彼女の言葉に首を振った。
「君が気にすることじゃない。――食欲はあるか? 日向が梅粥を拵えてくれた」
 膝丸の問いに、月花はゆるゆると首を振る。よほど辛いようで、その動作ですら顔を顰めていた。
「……ごめんなさい。食べられそうに、ないんです」
 吐き気が強いのかと身を乗り出せば、月花は目を伏せる。少し逡巡しているようで、しばらく後に覚悟を決めたように話し出す。
「先月……。私が体調を崩す前、先輩の葬儀についてきていただきましたよね?」
 とぎれとぎれに紡がれた言葉に、膝丸は怪訝な顔をした。
「ああ。……それが、どうかしたのか?」
 先輩と言っても、月花とは全く面識のない少年だったらしい。せいぜい、中学が同じだったというくらいの接点しかないと聞いている。
「夢を、見るんです。あの日から」
「夢?」
 膝丸が問うと、月花はぽつりと話し始めた。
「私は、荒れた神社の社の中にいるんです。本殿らしい、広い畳の空間にいて……」
 月花は、消耗による苦痛から逃れるように息を吐いた。
「……そこには、その……神前式と言えばいいでしょうか。上座があって、下座の方には向かい合わせでお膳が並んでいるんです」
 中央の空間を人が通れる程度に空け、その左右の端に人が向かい合うにお膳を設置する。そういうことを月花は言いたいらしかった。
「でも、賓客は一人もいなくて、お膳のお料理も腐っているんです。その臭いが忘れられなくて……」
 それで、食べ物も見るのも辛いらしい。口元を抑えた月花は、でも、と続きを話す。
「もっと恐ろしいのは……亡くなった先輩が、一人だけ上座に立って手招きをしているんです。紋付袴を着て、笑いながら」
 話は続く。最初はそれだけだったけれど、日を追うごとに先輩がこちらに近づいてきているのだという。月花は夢の中で動けないので、逃げることも距離をとることもできない。
 今日見た夢では、とうとう手を伸ばせば届く距離まで来たらしい。それでよく眠れていないのだとも話した。
「そうだったのか……」
 膝丸は顔を顰めた。夢にしては、非常に不気味な内容である。あと一度でも眠れば少年は月花に接触してくるだろうが、それにどんな意味があるというのだろう。
心なしか、嫌な予感が胸をよぎった。
「たぶん……あのことが原因だとは思うんですけど……」
「あのこと?」
 膝丸の問いに、月花は憔悴しきった顔を伏せた。
「膝丸様は、先輩のお母様のことを覚えていますか?」
「あ、ああ……」
 膝丸は記憶を呼び起こした。喪主である彼女の母親は、月花を見るなりひどくなれなれしい態度で話しかけてきた。
「あのご夫人か。なんだか妙だったな」
 亡くなった息子がどれだけ月花を想っていたか。話に聞いてはいたけれど、実際に会うとやはり素敵な人だ――まるで口説き文句のように、彼女は月花を褒め称えた。
 加えて、まるで品定めでもするかのように彼女を見るので、膝丸もかなり不快な思いをしたことを今でも覚えている。
「あのご夫人が何か?」 
 そう訊けば、ただでさえ色の悪い月花の顔が更に曇る。
「……頻繁に、荷物が送られてくるんです」
「荷物?」 
 月花は、部屋の隅を指差した。確かに、大きめの平たい箱が置かれている。
 開けてほしいと言われたので、膝丸は箱を取りに行った。月花の傍まで持って行くと、中を改める。現れたものを見て吃驚した。
「――なんだ、これは?」
 白無垢――神前式で、花嫁が身に纏う婚礼衣装。知らないわけではなかったが、何故こんなものがここにあるのかが理解できなかった。
「葬儀が終わった数日後から、頻繁に送られてくるんです。何度も送り返したり、受け取り拒否もしたんです。でも、その度に名前や品物名まで変えて」
「は……」
 膝丸は、彼女の告白に愕然とした。いくらなんでも、その行動は異常である。
「担当さんも、何度も苦情を入れてくれたんです。お母様も、言われればもうしない、と返事をしているそうなんですけど……」
「意味はなかった、と」
 それでも続けているということは、まったく反省もしていないということになる。一体、何が目的だというのだろうか。
「膝丸様。申し訳ありませんが、お母様にこれを返してきていただけませんか? 本当は、私が直接行くべきなんですけど……」
「いや、主はいかなくていい」 
 恐縮した月花の申し出に、膝丸は即答した。たとえ健康であったとしても、こんなことをする相手の所においそれと主を向かわせられなかった。
「承知した。あのご夫人に、二度とこのようなことをしないように伝えて来よう。俺も彼女と会っているし、他の者が行くよりは話がしやすいだろう。 ……そういうことだな?」
「はい……」
 本丸は前線基地だから、基本的にその所在が外部に知られることはない。
郵便物ですら、政府で検閲したのち郵送される。だから荷物の郵送さえ止めてもらえれば、それで解決するはずだ。
「なら、今回も遠征という目的で構わないのだろうか。端末を貸してもらえれば、どうにか向かえるが……」
 先日の参拝も、表向きは遠征だった。それで確認すると、月花も頷いた。
「それで、大丈夫です。それと、今回は協力者の方がいるので、合流していただけますか?」
「協力者?」
 問えば、月花は小さく頷く。
「本当は、担当さんが同行してくださるはずだったんですけど……。私がこんなだから、難しいみたいで。ですから、代わりにお願いしたんです」
「……一体誰なんだ?」
 今回行くのは、前回と同じ場所だ。その地点に知人などいただろうか。
 そう思っていると、月花は小さく頷いた。
「それは――」
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