未来

「約束だ、国広」
 目の前の相棒の涙を拭いながら、和泉守兼定はいつものように笑ってみせた。
「いつも、どんな時も……俺とお前は相棒だ」

◇未来

 鳥羽・伏見の戦いから4カ月が経った。隊結成からの仲間を何人も失った旧新選組は、旧幕府軍の一員として函館の地で激戦を繰り広げていた。
 先日、二股口にて撤退した新政府が矢不来を突破したことで土方率いる軍勢は五稜郭に撤退を余儀なくされた。初めは優勢だった戦況も、どんどん不安定になってきている気がする。
 そうしている間に月は変わり、とうとう5月になってしまった。冬に京都から始まった戦いは、こんなに長く時が経っても終わる気配を見せなかった。
 まだ夜は気を抜くことはできないが、今の時間帯は比較的落ち着いている。五稜郭にある館から月を見ていた堀川は、陰鬱な顔で隣の相棒に問いかけた。
「――ねえ、兼さん。僕らの思い描く未来って何だったんだろうね?」
 問われて、和泉守兼定は思わず堀川の顔を覗き込む。少し考えて、和泉守は息を吐いた。「……そうだな」
 答えられなかった。それは堀川の顔を見たからではない。自分自身の中にさえ、最初の頃思い描いていたはずの未来を見つけれらなくなったからだ。 
 土方に使われるようになって、国広と出会って、そして仲間たちと日々新選組の刀として共に戦うことになった時、和泉守には「未来」があった。
 この隊の中で、この人の側で、彼の忠義を最後まで貫く目標や、この時代に生まれたからこそ、自分の価値を最大限に知らしめてやるという野望もあった。
――そしていずれは、歴史に残るような名刀になるのだと。隣には必ず、国広や仲間いるのだと、そう信じて疑わなかったのに。
「……俺の望んだ未来は、あいつらと一緒にいることだったんだがな」
 近藤、沖田。長曽祢に清光、そして安定。土方が最も信頼していた二人の人間と、その人間に使われていた付喪神たちは皆居なくなった。
 その他にも、見知った隊士や付喪神たちの顔もいつの間にか欠けている。彼らがいてこそ思い描けていた未来だったからこそ、喪った今は暗い闇しか見えなかった。
「――僕もだよ。僕にとっては、新選組が京都で過ごした日々の方が眩しかった。このまま、この人たちの下で彼らの忠義を全うする手助けをすることが僕の生きがいで、未来だった。でも……もうそれも終わりに向かってるんだって思うたびに、その先の未来が見えないんだよ」
 泣きそうに顔を歪ませて、堀川は抱きしめた膝に顔を埋めるようにする。まるで迷子の子供のような相棒の姿に胸に針でも刺さったような感覚を覚え、和泉守は顔を背ける。なんて声をかけてやればいいのか、今の時点では思いつかなかった。
(――声ぐらい、かけてやるべきだろ)
 自分をそう叱咤してみても、彼を慰める言葉の一つも浮かんで来やしない。
 それはきっと、自分自身にも答えが出ていなくて、自分すら慰めることができないからだ。むしろ、自分が誰かに慰めの言葉をかけてほしいくらいだった。
――それが情けなくて、和泉守は堀川の隣に座り込んだ。隣の頭におもむろに手を乗せ、乱暴に掻き交ぜる。今の国広に自分がしてやれることは、これくらいしか思いつかなかった。
「……ありがとうね、兼さん」
 それに驚いて上げた国広の顔は、すぐに嬉しさと涙で歪む。涙声で告げられた感謝に、和泉守は黙って頷く。それからもう一度頭を撫でた。相変わらず言葉なんて思いつかず、ただそうしてやることしか、和泉守は彼を慰めることができないと思った。
(――あの人は、どんな未来を見ているんだろうか)
 主の背中を思い出しながら、ふとそんなことを考えた。考えてみたけれどやはり答えは見つからず、和泉守はそっと目を閉じた。

   ※

「――鉄之助。今日はお前に、大切な用事を命じる」
「土方隊長……!」

—―声が聞こえた。あの人の声が、託された願いが。

   ※

「嫌だよ!」
 悲痛な声が、館の中に響く。けれど、それを聴いている者は誰もいない。付喪神の声は、並の人間には聞こえないのだから。
「兼さんまでいなくなったら、僕は誰と戦えばいいの!?」
 ぼろぼろと涙をこぼしながら、堀川は和泉守に縋りつく。仲の良かった付喪神も、隊士達も次々に欠けて行った今、堀川にとって和泉守は精神的な支柱だった。
 彼がいるから、共に戦い、土方の刃となろうと思えた。それが欠けてしまうことは、堀川の体に大きな空洞を開けることと同じだった。
「――国広」
 予想外の反応に困惑しながらも、和泉守は泣きじゃくる国広の肩を叩く。顔を上げた彼の涙を拭ってやりながら、言い聞かせるように諭した。
「別に、永遠の別れになるわけじゃねえ。戦争が終わって、土方さんが日野に戻ってくればまた会える。そうだろ?」
 まるで駄々っ子を宥めるような言い方に、場違いながら小さく笑う。さすがに我が儘を言って泣くことはなかったけれど、いつも和泉守の世話を焼いてくれるのは堀川だった。
 それなのに今は、自分が彼の世話を焼いているように見えて。「でも」、「だって」としゃくりあげる堀川に苦笑して、和泉守は懐を探る。目当てのものを手に取ると、すすり泣く堀川のあごに手を添えて上に向けた。
「ほら、顔上げろ。それこそお前がいなくなったら、誰が土方さんを守ってやるってんだ。しっかりしやがれ」
 悔しいと思った。
 ここからが本番だというのに、主はまだ戦うというのに、自分は彼の生家に送り届けれらる。主を置いて、自分は安全な場所に避難する。それがもどかしくて、できることなら最後までついていきたくて。
(――でも、ダメなんだな。土方さん)
 あの時聞いた彼の言葉。義兄の家に行き、戦況を伝える役目。鉄之助に与えた役目はそれだけでない。自分が武士として生き抜いた事実を伝えてほしい。
――和泉守がともに行く理由は、その証なのだと知ってしまった。なら、自分はそれを尊重したいと思ったのだ。
(……土方さん、あんたは未来を思い描いてるんじゃない。未来のために現実いまを見てるんだな)
 彼は理想主義者ではない。どこまでも厳しく、甘い夢など見ない。そんな現実主義者だということなんて、とっくにわかっていたはずなのに。
 和泉守は、懐から出したものを堀川の耳朶に添える。それを取り付ければ、走った痛みに堀川が小さく悲鳴を上げる。もう片方の耳に同じようにすると、和泉守は堀川の涙を拭い、いつものように笑ってみせた。
「約束だ国広。いつも、どんな時も、俺とお前は唯一無二の相棒――その耳飾りがその証明あかしだ、失くすんじゃねえぞ?」
 そう言えば、堀川はしゃくりあげながらも驚いた顔をする。しかし、その意図を汲み取ったのか、顔は晴れ――目元を赤く腫らしながらも頷いた。
「――はい!」
 ようやく笑った堀川を見て、和泉守もようやく自然体で笑うことができた。土方さんを頼む、そう言った時、険しい顔をした鉄之助が入ってきた。
 当然ながらふたりには気づかず、手早く荷物をまとめ上げる。一瞬ためらったように動きを止めたのち、しっかりと和泉守の鞘を掴んだ。
「――土方隊長。お役目—―必ず!」
 呟くようにその言葉を口にし、鉄之助は慌ただしく部屋を後にする。それを見て、和泉守も覚悟を決めたように息を吐いた。
「――じゃあな、国広。……また会おうぜ」


(……ああ……そっか)
 一人残された室内で、堀川は膝から崩れ落ちながら気付いた。あの時和泉守に投げた問いの、その答え。気付くことのなかった想いに、彼が去ってからやっと気づいた。
(僕は……兼さんとずっと一緒にいられれば、それでよかったんだ)
 自分たちの思い描いた未来の形は、きっとこの先もふたりで並び立つ光景だった。
 ふたりでいれば、どんな困難にも敵にも負けない。きっと笑顔で帰れるのだと、彼の存在がそう証明してくれたのだ。
 だからこそ、彼とともにいて暖かく、これ以上にないくらいの力を感じることができていた。堀川はそれに、互いの存在が隣からいなくなってから気付いた。
「――兼さん」
 大切なものはなくなってから気付くという。側にいつもあって、それが当たり前だと思っているからこそ味わえるその苦さは、きっとこれからも胸の中に寂しさと、同じくらいの熱を残すのだろう。でも。
「――頑張るから」
 自分の未来は、彼と並び立つ光景。土方の思い描いた未来は自分のそれとは違う。けれど、この国の、幕府のために忠義を尽くす彼が見るものは。
「一緒に『未来』に行こう……土方さん」
 立ち上がり、国広はそう呟く。その目にはもう嘆きはなく、輝かんばかりの闘志が宿っていた。

   ※

「――おう、主。新しい刀ができたって?」
 男の問いに、審神者である青年はおう、と片手を上げる。楽しそうに笑いながら、打ちあがったばかりの刀身を指差してみせた。
「二振り目の脇差! 今から付喪神を降ろすところなんだけど、和泉守も見る? 誰が来るのか楽しみだな~!」
 まるで新しいおもちゃをもらった子供のようにはしゃぎながら、審神者は付喪神降霊の準備をし始める。じゃあ見ていくわ、と近くに座り込んだ和泉守は、ぼうっと台の上に設置された刀身を眺めた。
(……脇差か)
 彼の面影が、ちらりと脳裏を過った。あの時別れて、そして二度と会うことのなかった相棒。もしかしたら彼が、そんな期待を少しだけ抱いて、和泉守は逸り始めた心臓を無意識に抑えた。
「じゃあ……顕現するよ」
 審神者が言って、刀身に手を翳す。霊力を注ぎ込みながら、静かに祝詞を唱え始めた。
(……なあ、国広。俺はお前との未来を、もう一度見たいよ)
 刀身が淡い光を纏って、徐々に明るさを増していく。淡い願いを思い浮かべながら、和泉守はそれを見ていた。
「っ!」
 ふと、一際強い光が膨らんで、展開するとともに桜を部屋中に散らせた。眩しさに顔を背けたふたりは、何者かが軽い足音を立てて降り立つ気配に目を開けた。
「――あ」
 初めて顕現した脇差の姿を認め、審神者が声を漏らす。思わず立ち上がった兼定も、信じられないといった様子で「彼」を見つめている。
 浅葱の瞳を開いた少年の姿をした付喪神は、審神者と和泉守の姿を認めて微笑んだ。
「――堀川国広です。よろしくお願いします」
 その両耳には、確かにあの時渡した耳飾りが煌めいていた。それに気づいた和泉守は、目頭が熱くなるのを堪えて顔を一瞬だけ背ける。
 湧き上がってくる歓喜に任せ、目元を赤くしたままの彼は、次の瞬間堀川目掛けて駆け出した。

<了>
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