静穏(仮)

 顕現してから、ふと考えることがある。
 自分たちは物だ。生まれてすぐに役目を与えられ、それが終わるか器が破壊されれば捨てられる。
 自分の役目は、歴史改変を目論む勢力を討伐し、彼らの目的を阻止することだ。
 だが、もし。――その役目を終えてしまえば、自分はどこに行くのだろう?

  ※

 心地よい空気を感じて、骨喰藤四郎は目を開けた。優しい光と穏やかな風が自分のいる空間を包んでいて、木漏れ日のような春光が降り注いでいた。
 どこかの建物の中のようだった。石壁には亀裂が入り、欠けて開いた穴から光が入って照明のように内部を照らしている。昔は居間として機能していたらしいこの空間には瓦礫やガラクタが散乱し、もうずいぶん長い間、人が暮らしていないことを容易に推測させた。
 骨喰は瞬きし、時間をかけて目の前の状況をかみ砕いた。そして、小さく首を傾げる。どうしてこんなところにいるのだろう、と他人事のように考えた。
 緩やかにやってきた困惑が、骨喰をしばしの思考の海に誘う。目が覚める前の状況を思い出そうとして俯くと、視界の端に何かが映った。
 少しだけ体を起こしてみると、脱がされた上着が体にかかっているのが目に入った。少し視線を動かせば、外された鎧や装備品が傍に揃えて置いてあるのが見える。
 誰かが介抱してくれたのか、と思った時、気が付いたか、と声がかかる。顔を上げると、見知った刀がそこに佇んで微笑んでいた。
「――三日月」
 名を呼べば、三日月宗近はうむと頷く。大丈夫なようだなという声に、骨喰は怪訝そうな顔をした。
「……ここは、どこだ?」
 どうして、自分と彼しかいないのだろうか。いや、そもそもこんな場所に来た記憶はない。骨喰の問いに、三日月はそうだなあとのんびりとした口調で返答した。
「実のところ、俺にもよくわからん。どうやら、この時代にある忘れられた廃墟のようだ」
 それを聞いて思いだした。そう。自分と彼は他の刀剣たちと一緒に、とある時代に出陣したのだ。それからどうしたのだろう。
「敵部隊との交戦中に、お前が崖から足を踏み外してな。それで俺が引っ張り上げようとしたのだが、逆に体勢を崩して落ちてしまった」
 それを聞いて思いだした。自分は崖を背にして戦っていたのだ。大太刀と距離を置くために飛びのいたところで、退がりすぎて崖から足を踏み外したのは覚えている。近くにいた三日月が、とっさに手を伸ばしてくれたことも。
 どうやら、三日月もろとも崖下に落ちてしまったらしい。よく見れば彼の着物はところどころ破れているし、髪も乱れてあちこち傷だらけだ。よくほんたいが無事だったなと思う。
「――それにしても、俺たちは運がいい。茂みに落ちたおかげで大した怪我もしなかったし、近くにこんな廃墟があった。休息にはもってこいの場所だろう?」
 そう言って、三日月は鷹揚に笑った。ああ、と骨喰は返答し、上体を起こす。
「すまなかった、三日月。俺のためにお前まで――、っ!」
 その瞬間走った足の痛みに、骨喰は思わず息を呑んだ。歪んだ顔を向けてみれば、布の巻きつけられた右足が目に入る。ああ、と三日月が骨喰に近寄った。
「まだ、動かない方がいいだろう。足を挫いているからな。もう少し横になるといい」
「……すまない」
 支えられながら横になり、骨喰は唇を噛む。己の不甲斐なさが、ただ悔しかった。
 これでは万が一敵部隊に遭遇した場合、三日月の足枷になってしまう。この時代に出現した時間遡行軍が、あの時討ち取ったものだけとは限らないのに。
 そう思って顔を歪めた骨喰を見て、三日月は大丈夫かと声をかける。怪我が痛むと思ったらしい。大丈夫だと骨喰が返答すると、そうかと莞爾して傍に座る。苦い顔を崩さない骨喰を宥めるように声をかけた。
「そんな顔をするな。少し休んでいっても罰は当たらないし、今頃みんなが俺たちのことを捜してくれているだろう。なら、むやみに動かない方がいい。そうは思わないか?」
 骨喰の心のうちを知って知らずか、三日月は常の柔らかい笑みでそう言った。まるでいつもの、縁側に座って茶を勧めるような言い方だった。
 骨喰はそれを聞いて瞠目した。三日月があまりにいつも通り過ぎて、思わず彼を凝視する。不思議そうに首を傾げた彼と目が合って見つめあうこと数秒、その間に咀嚼した彼の言葉の意図に納得して頷く。
「……そうだな」
 現状、骨喰と三日月は迷子である。加えて骨喰は負傷していて動けない。ならば、ここでしばらく体力を回復し、部隊が自分たちを捜しに来てくれるのを待った方が得策だろう。
 骨喰は天井を見上げる。廃墟の天井からは変わらず陽光が降り注ぎ、2振りの滞在を歓迎するかのように穏やかな風が吹いてきていた。

   ※

 廃墟の中には心地よい風が吹き込んできていた。気を抜けば意識を持っていかれそうなそれを堪えて、骨喰は三日月に目を向ける。彼は彼で、ただそこで遊ぶように動き回っている。
 首を巡らせて周りを見て、かと思うと座り込んで床に転がったがらくたに触れる。どこか寂しそうなその表情に、骨喰は半身を起こして問いかける。
「……何をしているんだ?」
 それに三日月は顔を上げ、立ち上がる。笑いながらいやなに、と返答した。
「ここに残っている道具たちのことを考えていた。……そうだ、時間つぶしに、昔耳にした話をしようか」
「は?」
 唐突な提案に、骨喰は瞠目する。三日月はまだ形を残していた鉄製の椅子に腰かけて、穏やかな声で話し出した。
「――付喪神という存在は、2つあることを知っているか?」
「2つ……?」
 三日月のその問いに、骨喰は首を傾げた。知らないと答えれば、三日月はでは説明しよう、と話を続ける。
「一つは、長い時を経たものに魂が宿った神の端くれ。つまりは俺たちのことだな。しかし、もう一つは……あやかしに近い存在となった魂のことだ」
「あやかし……?」
 骨喰は眉根を寄せた。あまりいいイメージのない、邪な物の怪。もしかしてそれのことだろうか。
「ああ。俺たちは器と魂が同一のものだが、彼らは違う。ある器を依り代にして、まったく違う存在が宿っているのだ」
 足元の茶碗を拾い上げ、三日月は言う。憐れむような眼差しだった。
「加えて、俺たちのように祀られたり、人々の信仰を集めることもない。それゆえ、彼らは神格が低い。器と魂が一致している俺たちのように神にはなれない。だからあやかしの者として、人の世に交わることを忌避されて世界を彷徨っているのだ」
 ここにあるガラクタたちもまた、そのあやかしになる条件がそろっている。忘れ去られた廃墟の中に打ち捨てられ、祀られることも伝えらえることもなくひっそりと眠っている。
 もしも彼らに未練があって、それに従って妖怪つくもがみになったとしよう。そうすると、この者たちはあてもなく世界に彷徨い出ていくのだろうか。
 それとも、どこにも行けないまま、ここで永遠に自分たちを使ってくれる人間を待ち続けるのだろうか。
 三日月はそこまで語ると、ふ、と寂しげな笑みを浮かべる。静かな口調で呟いた。
「――寂しいものだな」
 物だからこその感想だった。もしかしたら、自分もそうなっていたかもしれないからだ。
「――でも、俺にはここが墓場に思える」
 静かに聞いていた骨喰は、そんなことを呟いた。無意識だったようで次の瞬間にはあ、と手を口元にやっている。顔を上げた三日月は、その様子を見てふ、と微笑んだ。
「よかったら聞かせてくれないか。なぜそう思うのか」
 そう話しかければ、骨喰は戸惑うような様子を見せる。再度促され、恐る恐ると言った様子で口を開いた。
「……この場所には、なんの気配もない。使われなくなった道具が、誰にも必要とされずに忘れ去られたまま、ここで静かに眠っている。ここにいるのは生命じゃない。お前のいう妖にも、俺たちのように神にもなれない、本当の抜け殻だ。こんな場所でも、ものに魂は宿るのか?」
 自分たちは物だ。生まれてすぐに役目を与えられ、それが終わるか器が破壊されれば捨てられる。
 その命だって、そもそも人に与えられた器に宿ったのだ。だからこそ、骨喰はこの場所に取り残されたものたちが、誰かから魂を与えられるとは思えなかった。
 と、そこで三日月はくつくつ笑い出した。予想外の反応に面食らい、骨喰は弾かれたように顔を上げる。
 驚いた顔で自分を凝視する骨喰に気づき、三日月はすまんと軽く謝って居住まいを正した。
「骨喰の言う通り、ここは墓場だ。信仰も祈りもない、荒れるに任せただけの場所。こんなところでは、確かに妖にも神にもなれぬ」
 その言葉に、骨喰はじゃあなぜ、と問い掛けた。なぜ、無意味と知っていながらこんな話をしたのかと。
 答えがわかりきっているのに、分からないとばかりに話をした三日月の意図が、骨喰にはわからなかった。
「……彷徨うものを見たからさ」
 三日月は、そんな骨喰の問いを見透かしたように答える。月夜に吹きすぎる風のような、そんな静かな口調だった。
 三日月は見たのだ。気絶した骨喰を介抱している時、ここにただ1人残るモノを。
 自分たちを新参者と勘違いしたのだろうか。ただ穏やかに微笑んで、廃墟の守り人は問掛ける。
「忘れ物はありませんか?」
 やり残したことは、生前やりたかった夢は。そういうことを番人は問うてきた。
「それ以上のことは語らないから、俺もここがどういう場所なのかわからなかった。だから色々考えていたわけなんだが……ひとつの仮説がお前と一致したということは、きっとそうなんだろうなあ」
 ここは分岐点なのだ、と思った。廃墟の1部となるか否かの。きっとここにいる道具たちも、番人に同じことを訊かれたのだろう。
永遠の眠りか、永続する生のどちらを選ぶのか、と。
「だが、彼らは眠りを選んだ。妖として彷徨うことも、再び日の目を見ることも拒んだ。
……きっと、ここはそういうものしか在ることを許されないのだろう。ここは役目を終えたものたちの終の場所だ」
 だとすれば、自分たちはここにとどまっていてはいけない。ここが三日月の言う通りの場所だとしたら、自分たちは住人たちの眠りを妨げる外敵でしかないのだ。
「……しかし、番人も暇を持て余していたようでな。しばらく休む時間をやるから、ここに来た感想を聞かせてくれと言われてしまった。まあ、俺たちの会話は利用料金くらいにはなっただろうか」
 あっけらかんと笑う三日月の横で、骨喰は険しい顔で気配を探る。三日月の言う「番人」を捜すも、何も見つからずに首をかしげた。
 三日月はくつくつと笑った。嘲笑ではなくどこか暖かい笑みに骨喰が顔を向ければ、子供を見守るような眼差しを向けられた。
「見つからないさ、お前には。俺くらいの年にならなければ捉えられないほど、あれは神格が高いのだから」
 その言葉に、骨喰はえ、と目を見開く。どういうことかと問おうとしたその時、耳が慣れた音を捉えた。
 その方向を振り返れば、一緒に出陣した兄弟が自分たちの名を呼ぶのが聞こえる。部隊が捜しに来てくれたのだ。
 時間切れだ、と言って三日月が骨喰に外に出るよう促す。骨喰は身支度を整えると、三日月の手を借りて立ち上がった。
「休憩は終わりだ。そろそろ本丸に帰るとしようか」
 そう言った三日月に頷いて、骨喰は足を庇うような格好で出口に向かう。外に出た瞬間、空気が変わったような気がした。

         ※ ※

 部隊を追おうとした骨喰は、ふとさっきまでいた廃墟を振り返る。夕日に照らされたそれは、言葉にできないような寂寥感を湛えていた。
 骨喰は、それを見て少しの寂しさを覚えた。三日月の話と、それに対する自分の考えを反芻する。
「……忘れ物……」
 三日月が聞いたというその単語を、骨喰は呟く。そういうものなら沢山ある。記憶や使命、それに付随する役目や思い出。それがあるうちは、まだ骨喰はここにとっては招かれざる客だ。
 もし、と骨喰は考えた。もしも自分が役目を終え、人間の世界から完全にいなくなる日が来たら。その時は、ここのような場所で自分も眠るのだろうか。
 そうだとしたら、顕現してからも時々考えていた疑問には答えが出た。その途端にもうひとつの疑問が出て、骨喰は思わず顔をしかめる。
――その時が来たら、自分はここに眠る道具たちのように、人間への未練を捨てられるだろうか?
 骨喰は道具だ。それと同時に人の体と心も得た。故に大切というべきものが増えすぎて、簡単には捨てられそうにない。
 さんざん悩んだが答えが出ず、骨喰はため息をついて踵を返す。と、不意に後ろから心地よい風が吹きぬけた。骨喰の背を押すように吹いてきたそれに乗って、声が聞こえたような気がした。
「今は、自分のすべきことを。――忘れ物がないように」
 その言葉に驚いて、骨喰は廃墟を振り返る。けれど背後には誰もおらず、相変わらずの寂れた建物がそこにあった。
 しかし、確かに聞こえた声に骨喰は目の前が開ける思いがした。無意識のうちに笑みが浮かぶ。
(――確かに、そうだな)
 終わったあとのことなんて、今は考える必要が無い。骨喰がやるべき事、やらなければならないことはまだ残っているのだから。
「――骨喰。行こうか」
 三日月が遠くから呼んだ。振り返って今行くと返すと、骨喰はもう一度廃墟を振り返る。役目を置いて眠るそれに、心からの敬意を表して頭を下げた。
「ありがとう――」
 この光景を見せてくれて。迷っていた自分に、前を向かせてくれて。そんな思いを込めて感謝を述べ、今度こそ骨喰は廃墟に背を向けた。
 まだ残る役目を果たそうと歩き出した付喪神を、その廃屋はただ静かに見守っていた。
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