無題(こちかめ/両本)


 あいつの朝のルーティンを眺めるのが好きだ。
 明け方までさんざん抱き潰しているというのに、あの細っこい身体のどこにそんな体力が残っているのか。あいつはイきすぎて気絶した数分後にはハッと目を覚まし、わしの腕の中からそっと抜け出して、寮の共同風呂へ這々の体でふらりと向かってしまう。
 先程まで抱きしめていたぬくもりを失った両腕は、力なく煎餅布団へと落ちる。この時の虚しさといったら。かわいい後輩は今ごろきょろきょろと周囲を警戒しながら体を洗っているだろうと想像して気を紛らわす。今の時刻なら、わしがあいつの身体じゅうに残した噛み跡やらキスマークやらをほかの連中に見られることは無いだろう。わしは別に見られてもいいと言うか、むしろ悪い虫が付かないようにあえて跡を残している節があるのだが、あいつはそれを良しとしない。曰く「僕をそういう目で見てるのは先輩くらいですよぉ」らしい。あいつには自覚が足りない。あの極端な二面性のギャップにやられている連中(特に男ども)が結構いることを全く信じないのだ。以前指摘してやったら、いつものように困り顔で笑いながら軽くいなされた。いくら言っても信じないあいつに業を煮やしたわしは、あいつを布団に組み敷いて手酷く抱いて思い知らせてやった。警戒しないともっとひどい目に遭うぞ、と。あの時のあいつは、それでも逃げたりわしを罵ったりせず「もっとロマンチックなほうがよかったのにぃ〜」とわしの腕のなかでさめざめと泣いていた。その涙の原因が結構な期間ナゾだったのだが、後で改めて訊ねたところ、あいつ的にはわしとそういう関係になる事自体は満更でもなかったらしく、あいつの中の乙女がただ駄々を捏ねているだけだったらしい。めんどくさいと同時に可愛いという感想までいだいてしまったわしの負けだった。それ以来、両手両足の指では足りないくらいにあいつを抱いてきた。最近ではあいつのかわいいわがままやささやかなお強請りを叶えてやるのが楽しくなってきたくらいだ。
 そろそろだな、と算段をつけごろりと寝返りを打つ。薄いドアの向こうから、ぺたぺたとスリッパで歩く足音が聴こえてきた。この部屋の前で止まった足音の後、控えめにドアが開く。わしは目を閉じて狸寝入りだ。そっと衣擦れの音がして、瞼の裏が暗くなる。あいつが風呂から戻った後、寝ている(振りをする)わしの顔をのぞき込むのはいつものことで、「ふふっ。先輩の寝顔、かぁわいい」と囁くのもこれまたいつものことだ。わしはこの囁き声が大好きだ。普段わしの無茶振りに泣き叫んだり、違反車追跡中に怒鳴ったりと忙しいあいつの、一番柔いところに触れている気がするからかも知れない。
「さて、と」
 あいつの気配が少し遠ざかる。少し遅れてわしゃわしゃと濡れ髪を拭く音が静かに部屋に響きだした。気づかれないようにうっすらと瞼を開いてあいつを眺める。勝手に持ち込んだ卓上用の鏡を立てて、鼻歌混じりにご機嫌で髪をなでつけていくあいつ。風呂上がりで前髪を下ろしている少し幼く見えるあいつも気に入っているが、着々といつものリーゼントを慣れた仕草で形作っていくあいつの楽しそうな表情も良い。
 するりと畳の上を移動する音がしたので、わしはいつも通りまた目を閉じる。あいつの気配がぐっと近づいて、頬に柔らかな感触。ちゅっ、と今日日中学生だってもっと進んでるぞと言いたくなるような軽い音を立てて小さなキスを落とされる。これがわしの目覚ましだ。耳許で囁かれる。甘ったるくて優しい、柔らかい声だ。
「せんぱぁい。混む前に食堂に行きましょう?」
 うーんと伸びをして、まさに今起きました、という素知らぬ顔で目をこする。
「朝飯もいいが、速人。そんなエロい格好で朝飯を食う気か?」
「え? ……っあ!」
 あいつは自分の体を見下ろして驚きの声を発した。先程風呂に向かうときにわしのワイシャツを持っていったのは分かっていたが、自覚が無かったのか。ひょろりと細身なあいつにはサイズが合っておらずぶかぶかで、少し屈めばわしが残しまくった赤いしるしが見えるし、何なら夜中にさんざん可愛がってやったせいでぷっくりとしている桃色の乳首までチラチラと素敵なチラリズムだ。
「す、すぐ着替えますぅ!」
 後ろを向いて布団の横にたたんで用意していた本来の自分の衣服を前にして、わたわたとワイシャツを脱ぐあいつの背に赤いしるしがいくつもあった。これは全てあいつの性感帯なのだが、それを思うと腰の辺りがズン……と重くなる。
 思わず背後からあいつを抱きしめる。共同風呂の安い石鹸の香りが逆に生活感を醸していてめちゃくちゃエロい。思わずうなじに残した赤い小さなアザをべろりと舐め上げれば、
「ひゃぁんッ!」
と、甘すぎる声が上がる。わしの腕のなかでびくりと身を震わせたあいつは、舐められたうなじを片手で押さえながら、肩越しにわしを睨んだ。夜じゅう泣きはらしたせいで未だ紅い目許、柔和なタレ目で睨まれても迫力は残念ながら全くない。まあ、バイクに跨がっている超硬派な時ですらかわいく見える訳だから、今更過ぎるのだが。
「なぁ……はやと」
 背後から態と吐息混じりに名を呼ぶ。
 あいつは内股気味に寄せた太ももの上できゅっとこぶしを握ると、
「き、今日は……だめ、です……っ」
と、必死に言葉を紡いだ。そしてさらに言い募る。
「約束したじゃないですかぁ~……! 今日はいっしょにパンケーキ食べに行くってぇ」
「……あ、忘れてた」
「ひどいです〜! 僕、せんぱいとふたりきりでお出かけするの、久々だからすっごく楽しみにしてたのに〜……っ!」
 ついにはぐすっと洟を鳴らして本格的に泣き始めてしまう。なんだかんだ言いつつ、こいつの予期せぬ涙に弱い自分がいる。頻りに涙を拭うあいつをぎゅうと抱きしめなおして、わしはこどもをあやす時のような心持ちで言葉を選ぶ。
「わるかったよ。今日はおまえだけの両さんになるぞ。だから泣くな、速人」
「うぅ~、ぐすっ……ほんとうですかぁ?」
「ああ、本当だ」
「ほんとのほんとにぃ〜?」
「ほんとのほんと!」
 言質をとったあいつは、先ほどまでの涙は何処へやら。へにゃりと締まりのない、柔和ないつもの笑みを浮かべた。
 手早く着替えると、あいつはそれはそれは嬉しそうに、未だ布団の上で胡座をかいているわしへと手を差し伸べた。
「さっ、せんぱいも早く着替えて着替えてっ」
「わかったから! わし以上にちゃっかりしてるんじゃないか」
 ったく、わし相手にこんなわがまま言えるのはおまえくらいだぞ。