僕らの名前は、

元ネタの方々ごめんなさい。
今更ですが、捏造の嵐です。


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「エマニュエル」

 いくつになっても聞き慣れない、だが確実に自分に向けられたであろうことだけは判る呼び声に、ウンガロは渋々顔を上げた。広々としたソファにたっぷりのクッションを用意して、それらに体をあずけきりコミック誌を読み込んでいたのを邪魔され、不機嫌も顕に声の主──リキエルを睨めば、彼は少しドギマギしながらウンガロのとなりにちょこんと腰を下ろした。そわそわと天井の隅に視線を遣ったり、両手をもじもじさせたと思えば落ち着ける位置を探すように腰を浮かしてはソファに沈みを繰り返したりと落ち着きの無いことこの上ない。そんなリキエルのあやしい様子をあきれた目で見ていると、彼は突然意を決したように頷いて胸前で手を組み、瞳をキラッキラさせながら何かを期待するようにウンガロを見つめてきた。
「……んだよ」
 根負けしたウンガロが雑誌をローテーブルに放り投げつつ返事をすれば、リキエルの表情は更にパッと華やいだ。ついでに言うと、小さな花やハートマークがぽむぽむっと生まれて彼の周囲の空間を彩っていく、ようにウンガロには感じられた。そんな怪現象に違和感が生まれないのだから、なんというか、顔の良いやつは得なんだよなぁと思う。目を閉じてこめかみを押さえ、色々とリセットしてからもう一度リキエルを見遣ると、彼はそれはもう嬉しそうに再び「エマニュエル!」と声のボリュームを上げて名を呼んだ。心底うんざりしているのを隠さず顔に出しながらもウンガロが律義に返事をしてやれば、リキエルは先程から祈るように組んでいた手を解いて、今度はウンガロの脱力しきった手を取り、きゅっと握りしめた。
「返事してくれるってことはやっぱり、ウンガロ、おまえの名前はエマニュエルなんだな?」
 答えてやる義理は、まあ、無いこともない。なにせ彼とは半分血が繋がっているのだから。つい数ヶ月前まで天涯孤独だと思って生きていたウンガロの胸中に、このリキエルや今ここには居ないもうふたりの兄達が思いの外温かみを伴う存在として居座るようになっていた。そんな事態はウンガロに困惑を与えたが、"血の繋がりのあるひとたち"がそばに居てくれるということは、こそばゆいような嬉しくて頭の天辺から爪先までふわふわとしたもので包まれたような感覚を齎してくれていることも確かだった。兄達と暮らすようになってから何度も『甘ったれるな。弱みを見せるな』と自分に言い聞かせてきたウンガロではあるが、兄達のひとりであるリキエルの無邪気な満面の笑みを前にすると、無視することは流石の彼にも憚られた。
「……だったら何なんだよ」
「俺、ずっとおまえのことラストネームで呼んでたこと知らされてものすごくびっくりしてさ! ま、まぁ何でヴェルサスが先におまえのファーストネーム知ってたのかは置いといて……とにかく改めなきゃって思ったんだよ!」
 サァ……と。擬似的な幸福感に魅せられてのぼせ上がっていた頭から、血の気が引くのが分かった。今ウンガロの中にあるのは、物心つく頃から精神にまとわりついてきていた諦観と、自分を守るための全方向への敵意とも呼べる冷え切った感情だけだ。この石造りの館にも、"兄弟"で過ごすという前代未聞の日常にも慣れてきたところだったのだが。やはり自分の居場所など何処にも無いのだろう。そう考えた途端、この数ヶ月間の記憶が走馬灯のようによみがえる。厳しくもやさしく、己を律すると言うことを教えてくれた長兄。自身の心の傷を抉るような痛々しさとともに、それでもただ黙って寄り添ってくれた次兄。そして、その真っ直ぐすぎるほどの強く熱い心根で以て、ウンガロの心の奥底までをも温めてくれた同い年の兄。
 彼らと摂る騒々しい食事が美味かった。リビングでそれぞれの趣味や仕事に没頭して、時折互いの存在を確かめるように誰からともなく視線を絡め合うと心から安心できた。眠れないからと、身を寄せ合って朝まで映画を観るのも大切な時間だった。
 だがそう思っていたのは自分だけだったようだ、とウンガロは涙で歪みそうになる景色を振り切るようにかぶりを振った。
 そして、自分の心を守るため、敵意を込めた目でリキエルを見つめて言う。自らの口元がいびつな自嘲の形に歪むのを自覚しながら。
「ハッ。今更何を改めるってんだァ? 『その面でエマニュエルかよ』とか言って嘲笑うつもりだろ」
 所詮はおまえもそっち側の人間だったってことか。
 そう言うと、ウンガロは震える小さな溜息をついた。油断すると泣いてしまいそうで、そんな情けない姿はこれ以上見せてはならないとぱちぱち瞬きを繰り返した後上目遣いにリキエルを睨む。しかしリキエルの困ったような焦ったような表情を見続けることができずに、結局は視線をリキエルから逸らし、握られていた手をゆるく振りほどく。リキエルはウンガロのこの諦めきって自暴自棄になっている様子に、痛みを感じたように悲しげに眉根を寄せ何か言おうとしたが、ウンガロは気づかず続ける。その瞳は現在を映し取っておらず、意識は過去に没入していることがリキエルの目にも明らかだった。
「……『神は我らと共に』だったか? ったくあのクソアマ、自分はDIOに殺されるつもりだからって無責任な名前付けてくれやがって。おかげで施設じゃあいい笑い者だったぜ、何もかも神に見放されたガキのくせにってな。……おまえも名前負けだって思ってんだろうが、なあ、リキエル」
 言葉の最後に兄の名を呼んだことが八つ当たりも甚だしいのは自覚している。本来なら今すぐこの館を出て、ここに招かれる以前のようないつ死んでもおかしくないその日暮らしの生活に戻るべきだ。それでも言葉を連ね、その名を呼んでしまうのは、未練があるからに違いなかった。そんな己が情けなくて恥ずかしくて、ウンガロは立ち上がり踵を返した。
 その刹那、彼の手首をリキエルが強い力で握りしめる。相変わらずの子ども体温だな、とウンガロはリキエルのスキンシップの多さに苦笑した日々を思い出し、ほろりと雫をひと粒こぼした。
 それとほぼ同時にリキエルはウンガロをソファへと引き戻し、また逃げを打たれてしまわないようにその身の上にのしかかった。「ぐぇッ」とウンガロがつぶれた声を上げたが、リキエルはこの自己肯定感激低で自分にとって弟と呼べる唯一の存在に、どうしても何処にも行って欲しくなかったので、更に体重をかけて密着した。
「やめろ気持ちわりぃッ!」
 いつものようにウンガロが悲鳴を上げてリキエルの背中を何度もタップしてきたところで、やっと少し身を起こす。
「……俺の話、聴いてくれるか?」
 こくこくと必死に頷くウンガロの顔を見て、今度はリキエルが悲鳴じみた声を上げた。
「泣いたのかウンガロ?!」
「な、泣いてねぇし……」
 先の一滴を思い返してウンガロは目元をしきりに手の甲でこする。幼子じみたその仕草に微笑ましいような切ないような気持ちで、リキエルは「あんまりこするとヒリヒリになっちゃうぞ」と敢えてウンガロの嫌がる子ども扱いしているような口調で言った。それでも止めないウンガロの手をとって、ソファに縫い付ける。「痛ってぇッ!」と眉間に皺を寄せる彼の表情に何故かどきりと胸を高鳴らせながら、リキエルはその"名"を紡いだ。
「…………ソニア」
「は?」
 ウンガロが怪訝そうな顔をする。なにせ急に女の名前が目の前の兄の口からまろび出たのだ。何故このタイミングで? とリキエルを見つめる。すると彼は「たはは……」と困り顔で笑って見せた。
「ごめんウンガロ、俺も名乗らないと不公平だったよな。俺のファーストネーム、ソニアっていうんだ」
「そ、それ……本名、か……?」
「うん。テレンスさんが言うには、どうも……俺の母親っていうのがまた、所謂お嬢様ってやつで。その中でも輪をかけてなんというか、ははは……頭ん中お花畑だったみたいでさ。……ここからは養父母が愚痴ってたのをたまたま聞いたんだけど、何を思ってか俺に女の名前付けちゃったんだって。『馬鹿な女だったから、なんにも考えずに付けたんだろう』って養父母は笑ってた……」
 話しながらくしゃりと泣き笑いの表情になっていくリキエルをぽかんと見上げていたかと思うと、ウンガロは自由な方の手をローテーブルに置かれたスマホに伸ばした。グスッと洟を鳴らしながら不思議そうに一連の動作を見守るリキエルの下で、画面を何度かタップし何事かを入力して、その画面を凝視する。
「リキエルおまえ、ソニアのスペルはS、o、n、i、aで合ってるか?」
「え、うん」
「おまえって頭良いよな。いろんなこと知ってるし」
「そ、そうかな……そうかなぁ?」
 いつも素直になりきれない弟から急に褒められて、リキエルの涙は引っ込んだ。代わりにニコニコと心底嬉しそうな笑みになる。
 ウンガロはそんなリキエルの様子をちらりと覗き見て、視線をスマホの画面に戻した。
「おまえの母親、馬鹿なんかじゃねえと思うぞ」
「え……?」
「まあお花畑なのは確かなんだろうがな。男に女性名つけちゃってるし。……おまえ、自分の名前の由来とか調べた事あるか?」
 ぶんぶんと首を横に振るリキエル。
「なんか真実を知るのが怖くて……」
「『古代ギリシア語の『ソピアー』より派生。意味は智慧、叡智』……だってよ」
 そう端的に読み上げて、ウンガロはきょとんとしているリキエルにスマホの画面を向けた。「検索結果の一番上に出てきたぞ」と言いながら。端末を受け取って、リキエルは画面を食い入るように見る。
「……ちゃんと考えて付けてくれていたのか……?」
「だとしたらやっぱり、『馬鹿』なんかじゃあ、ねぇよなぁ」
 むしろその逆だ。
 そう言い切ってウンガロはにやりと笑った。
 なんだか、先程まで思い悩んでいた自分が悲劇のヒロイン気取り過ぎてバカらしくなる。その人物にはその人物の悩みがあって、秘密がある。そんなことも理解せず、自分は兄達を疑ってかかった挙げ句勝手に距離を取ろうとした。バカすぎて笑えてくる。
「あ、そう言えばリキエルよぉ。『改める』って何をだ?」
 先程出てきた話の本題を思い出して、ウンガロは問う。
 するとリキエルは自分たちの父親を名乗る吸血鬼のスタンド攻撃を受けたのかと思う程ぴたりと動きを止め、たっぷり十秒くらい間を取ってからウンガロを見た。その頬は、何故か真っ赤だった。
「? なんだよその顔」
「い、いや! 何でもない! 忘れてくれッ!」
「はぁ?」
「……改めなくても、秘密を共有できてるだけでじゅうぶん幸せだから」
 物凄い小声でぽそぽそと零された言葉たちは、ウンガロの耳にかろうじて届かなかったようで、リキエルは残念がると同時に安堵した。



「ちなみに僕の秘密の日本名に使われている文字も、女性名に多いものなんですよ。なるほど秘密の共有、甘やかですね」
「お、俺は何もしてねぇぞッ。ウンガロのファーストネームをリキエルに伝えちまったのはうっかりだし!」
 長兄と次兄が揃って入室して来て、自分たちののっぴきならない体勢を自覚しリキエルとウンガロは焦って取り繕ったが、時既に遅しだった。妙に温かい目で見守られながらふたりはソファに並んで座り直したのだった。