眠れる森の人魚姫

ウンガロは皮膚が徐々に鱗に変わってゆく病気です。進行すると無気力になります。愛する者の皮膚が薬になります。
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お題元さまはこちら↑です。
全然沿えませんでしたが、それでもよろしければどうぞよろしくお願いします。

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「──うつくしい」
 とろけるような声音で言いながら、兄貴がオレを見つめている。思わずといった具合に零れ落ちた言葉に耳を疑う。
 ベッドの上においても尚華麗にスーツを着こなす兄貴とは逆に、オレは醜い姿をさらしてベッドに寝そべったままうとうとと舟を漕いでいる。ここ最近、一日中眠るか、ぼーっとしているかのどちらかしかしていない。
 何て説明すればいいのかオレにはよく分からないが、問題を敢えて提起するなら、今現在オレの全身が鱗に覆われていっているという事実がある。
 最初は腕にスパンコールでもくっついているのかと思って手で払った。だがそのスパンコールは小さな痛みと僅かな流血を伴ってオレの腕から剥がれ落ちた。オレは多少驚いたが、思えばこの頃から今の精神症状が現れだしていたのだろう、その気味の悪いスパンコールのことを誰にも言わず放置した。次第に体のあちこちに生えだしたそれが鱗だと気づいた時には遅かった。オレは部屋から出なくなり、自分は一体どうなってしまうのかという恐怖すら持て余し、日がな一日ベッドの上で何をするでも無くただただ無為に過ごすようになっていった。
 カーテンの隙間から七度目の陽光が差し込んだ頃、『誰も入るな』という伝言をしておいた筈だった自室の扉が一切の躊躇も遠慮もなく開かれた。仄暗い部屋に黄金の旋風を纏って飛び込んできたのは、長兄ジョルノ・ジョバァーナその人だった。それを悟った時、オレは改めて己の現在の姿を恥じた。いろんなことがどうでもよくなっていても、兄貴にこの醜い姿──と言ってもオレは元から醜いが──を見せたくなかった。だからオレはシーツを頭から被り、兄貴から身を隠した。
 ツカツカと急ぎ足の革靴の音が近づいて来て、無駄に広いベッドの端が沈み込んだ。
「──ウンガロ?」
 懐かしい兄の声に泣きそうになりながら、情けなく上擦った声で答える。
「……あにきぃ」
 兄貴は小さく溜息をついて憂いを帯びた声で言った。曰く「皆、心配していましたよ」と。
「ぅ、嘘だ」
「リキエルは『絶対入るな』という君の言いつけを守ってこの部屋のドアの前で過ごしていたようで、廊下の一部が彼の部屋の様相を呈していますよ。ドナテロは食事をテレンスさんから受け取って毎食届けに来ていたようですし。先程キッチンを覗いたら、手ずから君の昼食を準備しておられるのです、とテレンスさんが教えてくれました。あのDIOですら、新手のスタンド使いの仕業かと各地に部下を投入していますし、」
 君は愛されていますねぇ。
 あり得ないことをのんびりと言って、兄貴はベッドの上をずりずりと移動し、依然として丸まったままでいるオレのそばにやって来た。
「かく言う僕も、日程を半分にして帰ってきたのですが、それでも遅かったですね。君の兄、そして恋人失格だ」
 完璧な兄の、どこかしょんぼりとした声に、オレは思わず全身を覆うダルさも忘れて跳ね起きた。
「兄貴はオレ達にとって、最高の兄貴だッ!」
「恋人としては?」
「う〜〜……さ、最高だよッ」
 その刹那、オレを覆い隠していたシーツが肩からずり落ちた、するりと淡い衣擦れの音を残して。兄貴が目を丸くするのを見、オレは終わったと思った。
 指の先から冷えていく感覚がして奥歯がかちかちと小さく音を立てる。取り繕うのも忘れてぼう然としてしまう。兄貴がオレの両肩をがっしりと掴んだ。痛いくらいだった。刑を執行されるのを待つ囚人になったような心持ちで、ぎゅっと両目を固く瞑る。
 そして。
「──うつくしい」
 冒頭に至る。
 オレは心身ともに疲れ果て、ベッドに沈んだ。倦怠感と眠気、それから『もう、どうでもいい』という思いに抗いながら、なんとか「見ないでくれ……兄貴」とだけ口にする。
「どうして?」
「……だって、きもちわりぃだろ……」
 特に鱗の侵食がひどい手足をシーツに隠しつつ言えば、兄貴はきょとんと幼ささえ感じさせる表情になった。この兄は時折こういう表情を見せる。オレより三つ年上だったはずだが、今は……そう、十五歳くらいの少年のように見えて、オレはそのきらきらした瞳から逃れるように視線を外した。
「綺麗ですね、ウンガロ」
 分かってはいる、兄貴の言葉に嘘がないのは。だが、オレのひん曲がった心根が、この館に連れてこられるまでの経験が、兄貴や家族を信じさせてくれない。どうせ幸せの絶頂ってやつを味わってから、失意のどん底に陥れられるのだろうという考えが消えてくれない。どうすればいいのか分からなくなって、オレは助けを求めるように兄貴へと手を伸ばしかけ、やはり諦めてベッドの上に腕を投げ出した。そんなオレの鱗に覆われた手を取って、兄貴はあろうことか手の甲にキスを落とした。
「ふふ、冷たい」
 そう無邪気に微笑み、兄貴はオレの横に寝転んだ。横臥しオレを見つめながら、「ねぇ、ウンガロ、」と問いかけてくる。
「最近『あの童話』、読みました?」
「あの童話、って……?」
「『人魚姫』です」
「……何度も読んでる」
「質問を変えましょう。僕と恋をしてから、読んだのは何度目?」
「……兄貴のことは出会った瞬間から好きだったけど……そう言えば、十日くらい前に久々に読んだな」
 「なるほど」、と兄貴は合点がいったのか悠然と笑んだ。
「やはりこれは、スタンド攻撃のようですね」
「え……? 誰がこんなこと」
「君が、君自身に。ですよ」
 ただでさえ鈍っている脳が、理解を拒否している。それでも、兄貴が導き出してくれた答えだから、必死に考えた。
 オレが、オレ自身に。スタンド攻撃を仕掛けている。
 意味がわからなくて、兄貴に視線を送り助けを求めると、兄貴は微笑みを絶やさず言葉をくれた。
「スタンド能力の一人歩きというか、君はまたボヘミアン・ラプソディーを暴走させているんじゃないかな。今回は射程距離:全世界、ではなく君自身にのみ効果が現れている。君はおそらく人魚姫に感情移入してしまった。理由は……まあ何となく想像はつきますが」
 兄貴はずいとオレに近づいて、続ける。
「君はまだ、『自分の想いは報われない』と思っているのですか」
 圧倒的美の具現体のような存在である兄貴に気圧されたオレは、咄嗟に誤魔化すことも忘れてこくこくと頷いてしまった。すると兄貴は何かを憂いているような溜息をひとつこぼし、あろうことかオレを抱き寄せた。
 兄貴のやさしいぬくもりが、オレという存在する価値もない人間のなり損ないに共有されて、この上ない幸福感を与えてくれる。このひとに愛してもらえる自分は、多少でも生きている価値があるんじゃないかと錯覚してしまう。だが、そんな『錯覚』を根底から覆す、そもそもオレを愛する人間などこの世界には存在しない、という考えがいつものように頭を擡げ始める。自分でも卑屈だと思う。だがオレの心身に染み付いた、この傲慢な卑屈さとでも呼ぶべき性質は、一生拭い去ることは出来ないという確信があった。兄貴や家族のあたたかさを信じ失いたくないと願いながら、半ば諦めてもいる。悲劇のヒロインぶるのもいいかげんにしろよ、と自分をぶっ殺したくなるが、死ぬのもこわくて結局中途半端に兄貴たちに縋ろうとする浅ましいオレがいる。
 ただ黙って兄貴のぬくもりを享受している狡いオレに、兄貴はやわらかく語りかけてくれる。
「このままストーリー通りになるとすれば君は泡となって消えてしまう。それだけは絶対に避けねばならない」
 ああ、ほかの誰でもない兄貴がそう言ってくれるだけでオレはしあわせだ。このまま『ストーリー通り』になったって構いやしない。そう考えた刹那、抗いがたい眠気に襲われた。
 兄貴がオレを呼んでいる。
 だけどいまはちょっとねむいんだ。
 ごめんな、あにき。
 ほんのすこしねむったら、きちんとへんじはするから。
 だから。
 …………、?
 口唇に柔らかくてあたたかい何かがあたって、眠気が霧消した。ぼんやりと目を開くと、ものすごく近くに兄貴が居て。所謂キスをされているのでは、と気づいたときに兄貴は少し申し訳無さそうに離れていった。名残惜しい気がしたが、それよりも現状が理解できず困惑する。そんなオレに、兄貴が囁いた。
「君が『眠り姫』にも感情移入してくれていて良かった」
 兄貴の視線の先を辿ると、確かにベッドに放り出されたスリーピング・ビューティーの表紙が見えた。オレがビューティーって烏滸がましいな、と自嘲しながら、兄貴の美しい顔を間近で見つめる。
「それにしても、」
 兄貴はオレを再度抱きしめてくれながら言う。
「よかった~〜ッ!!」
 あまりの声量にビクッとしながらも、兄貴の背に腕を回したところで気づいた。鱗が、無くなっている……?
「ウンガロ、君が消えるなんて耐えられない」
 次第にはっきりとしてきた意識で疑問を口にする。
「消える?」
「あの瞬間、確かに君は泡と消えかけていたんですよ」
「マジッ?」
「ええ。君の眠たげな様子とそこの『眠り姫』の表紙を見て、もしかして、と思った自分を褒めたいです。と言うか褒めてください。頭なでなでしてくれても良いんですよ」
 ぐりぐりと頬ずりしてくる兄貴の頭をなでなでしながら問うてみる。兄貴の発想はやはりオレの斜め上を行くので、未だ理解までできていなかった。
「『人魚姫』と『眠り姫』って、作者も国も違うんじゃないのか? それがどうして……」
「君の能力はまだ未知数な部分が多い。いつもなら全世界を巻き込むスタンドですが、今回は何故か本体である君自身に物語が集約されてしまったんじゃないかな。所謂バッドエンドの物語とハッピーエンドの物語、両方を実体化させてくれていたので君を失わずに済んだんですよ」
「な、なるほど……?」
「ふふっ。君の中で『愛されたいけど叶わないんだろうな』という想いと、『それでも愛してくれるひとを待ってみたい』という想いが両立してくれていたおかげです」
「なんで兄貴はそこまで分かっちまうんだ……? 恥ずかし過ぎるぜ……」
「僕はね、ウンガロ。いつだって君限定の『王子さま』なんですよ」
 とびきりの笑顔でそう言われてしまうと、何も反論できなかった。