Phi-Brain

君色に染まる

カイトの家の前に来て、不意に躊躇った。
何か特別なことをするわけでもないしいつも通り入ればいいのに立ちすくむ。左腕に抱えたスイーツも、右手をかけたドアノブも、いつもと変わらないはずなのに重く感じる。
原因には心当たりがあった。目を閉じて深呼吸をしても、それは脳裏に焼き付いて離れないどころか鮮明に浮かび上がってくる。



今日、まだこんなに暗くなる前の出来事。せっかく晴れているのだからと、ティータイムは天才テラスのバルコニーで始めることにした。先に丸テーブルを用意したカイトたちに遅れて紅茶とケーキを運んでいくと、話題はフリーセル君たちのことになっていて。
終わり良ければ全て良し、な雰囲気のカイトだけど私には内心思うところがあった。結果的にカイトもフリーセル君も無事だったから良いものの、カイトがあの時無茶をしたのがずっと心に引っ掛かっていたのだ。フリーセル君のところへ勝手に飛び出していってファイナル・リングをつけられた時は本当にぞっとしたし、パズルの中で皆の声が聞こえないかのように同じところをぐるぐると回っていた時は心配で仕方なかった。
だからお灸を据えるつもりでもう一度、今回は皆の前で約束した。「一人で危険な真似はしない」と。
それなのにカイトは約束したそばから忘れたみたいに、愚者のパズルの解放依頼に嬉しそうに飛び付く。危険な目に遭ってほしくないから言ってるのに、と咎めようとした瞬間カイトは言ったんだ。

『じゃあお前も来いよ。二人なら、文句ねぇだろ?』

照れも恥じらいもなく投げられた言葉だけど、私は反応してしまった。期待してしまった。
だって、「二人で」なんて。パズルが解ける仲間が周りにたくさんいるのに「二人」とわざわざ限定されるなんて。
まるで告白みたいじゃない。



右手はドアノブを掴んだまま、それ以上動けずにいた。ぶんぶんと首を振ってカイトの残像を追い払い、ゆっくりと瞼を上げる。
大丈夫よ、いつも通り入ればいいのよ井藤ノノハ。結局あれは皆が次々に参加表明したことでうやむやに流されたはず。「二人で」っていうのもカイトにとっては「皆で」と同じ意味で、何気なく言っただけ。だからいつも通りよ井藤ノノハ。
そう言い聞かせてようやく気持ちも落ち着いて、いざ部屋に入ろうとした瞬間、力を入れていないのにドアノブがするりと回った。驚いて何もできずにいる私を置いて無情にも扉は開く。
その隙間からひょこりと顔を出した幼馴染みは、意外そうに目を見開いた。

「あれ?ノノハ、いたのか」
「か、カイト!?どうして、」
「いや、なんか遅いと思ったから様子見に行こうとしたんだよ」

「なんだ、今来るところだったんだな」なんて言って中に戻るカイトは、躊躇っていた私がバカみたいに思えるほどに、いたって平常心だ。まるで日中のことなんかすっかり忘れてしまったみたい。いや、実際カイトにとってあの会話は本当に些細なことだったのかもしれない。日常の何気ない、他愛もない話題の一部。

「…入らねぇの?」
「あ…うん、今行く」

考えに耽って沈んでいた視線を上げれば、先に戻ったはずのカイトが振り返って不思議そうにこちらを見ていた。私もいつも通りを装って駆け寄る。
そうだ、何も無かったんだ。私は何を期待していたんだろう。そもそもパズルの得意なカイトが、パズルの解けない私のことを連れていってくれるだけでも大きな進歩なのに。胸の奥がちくりと痛んだ気がしたけれど、それは知らないふりをした。
カイトはそのまま部屋の奥にあるベランダへ向かう。脇に寄せていたテーブルに埃がかかっていないか確認して、それをベランダの中央に置いてくれる。私は備え付けのキッチンで準備をしてからベランダに行くのが定番の流れになっていた。お湯を沸かし、持ってきたクッキーを皿に並べながら、ふと思い浮かんだ疑問を口にする。

「ねぇ。カイトって、いつからそんなにパズル得意になったの?」

それは純粋な疑問だった。どんなに難しいパズルだって解けるカイトと、まったく解けない自分。今更追いつきたいなんて思わないし追いつけないのも分かっているけれど、幼い時を共にしたのにどこで差がついたのか、純粋に知りたかった。もちろん、才能なんて言われたらどうしようもないけれど。
それほど広くないワンルームだから声を張り上げなくても届いていたらしい。ベランダと部屋を仕切る掃き出し窓の窓枠に背中を預けたカイトが、小さく唸りながら記憶を辿る。

「いつからって…物心ついた頃には周りにパズルがあったからなぁ。今思えばPOGの計画ってのもあったんだろうけど、そうでなくても父さんも母さんもパズルが好きで、たくさんのパズルを集めてたし」
「そっか、そうよね」
「…なんだよ?」

カイトが怪訝な表情でこちらを見る。あやふやな答えだったのにそれ以上突っ込まないのか、あるいはそもそもなぜ突然そんなことを訊いたのか。そう顔に書いてある。
私はそれに対して曖昧に笑って返す。
正直なところ私にだって分からないんだ、カイトがいつからパズルバカになったのか、私がいつから――

「…ねぇカイト。私、カイトがパズルを解くところ、いつから見てたんだっけ?」
「そんなの俺よりノノハの方がよく覚えてんだろ。記憶力良いんだし」

カイトは当然のように返すけれど、私が思い出せる最も過去の記憶では、カイトは既にパズルが大好きになっている。
もしかしたら私と出会う前からカイトはパズルに触れていたのかもしれない。そう考えてカイトと出会った時を思い出そうとして…ぷつり、と。それ以上昔なんて存在しないみたいに光は途切れて、脳裏に浮かぶのは真っ暗闇ばかり。

「うーん…昔すぎて忘れちゃったのかしら」

記憶の捜索を諦めて呟く。独り言のつもりだったのに、カイトは意外そうにこちらを凝視してくる。

「忘れた…?」
「何よ、私だって全部覚えてるわけじゃないのよ?物心つく前のことはさすがに思い出せないし、何年も前の時間割や献立なんかはよっぽど印象が強いもの以外忘れちゃうし」
「いや…別に」

言って、カイトは外を向いた。会話が一段落したちょうど良いタイミングでお湯が沸いて、私は紅茶を用意する。
ティーポットと二人分のカップとクッキーの乗った皿をすべてベランダに運んで、テーブルの上で紅茶を注いでいると、不意にカイトが口を開く。

「…俺が覚えてるのは、」

その声に顔を上げると、カイトはベランダへ移動して欄干に寄りかかった。暗い夜空を背景に、ぽつりぽつり、まるで言葉を選ぶみたいにゆっくりと静かなトーンで、カイトが話す。

「俺が熱心にパズル解くようになったのは…パズルを解くことが、ある奴のためだって思ったから…だと思う」
「ある奴…?」

問いかけても、カイトは視線を逸らしたまま答えてくれない。もっとも、カイトは昔のことを積極的に語る方ではないから、この反応は今に始まったことでもないけれど。仕方がないから自分で推測を立ててみる。
カイトがパズルを解くきっかけになるとしたら、やっぱり親友のルーク君かな。彼と一緒にパズルをする時のカイトは生き生きしている。
もしくは、ジンさんかもしれない。クロスフィールド学院へ留学したカイトにとって一番身近な大人で、パズルだけでなく人生観のような大切なことも色々教えてもらった、と以前カイトから聞いた。
それともクロスフィールド学院にいた同年代の子かしら。フリーセル君みたいにカイトに憧れていた子がまだ他にいても不思議ではない。
と、考えを巡らせている私をカイトはちらりと一瞥して、寂しげに顔を歪ませた。

「…そいつが、体調崩してパズルができなくなったから」

どくん、と心臓が大きく鳴った。
急に胸が締め付けられて息が苦しくなる。なんだか、その子の気持ちが分かるような気がした。そして同時に、カイトの気持ちも。腕輪に飲まれたルーク君やフリーセル君を助けようとしたみたいに、誰かが苦しんでいたら放っておけず助けたくなるのがカイトだから。
夜風が二人の間をそっと吹き抜ける。体調を崩したというその子の状況がそれ以上悪くなっていないことを内心で祈りつつ、私は相槌を打つ。

「そうなんだ…。その子、どうなったの?」
「……。ノノハには絶対教えねぇ」
「何よそれ。私に知られたくないこと?その子の容態がもっと悪くなったとか?」
「そういうんじゃねぇけど」

面倒くさそうにはぐらかすカイト。私が不満を込めて睨み付けると、困ったような表情で頭を掻いた。
そして何を思ったのか、こちらに向き直って告げる。

「ノノハはノノハの意思で、俺について来るんだよな?」
「そ、そうだけど…」

確かに以前そんなことを宣言したし、今でも私のことは私が決めるつもりでいる。だけどその時から時間が経った今、改めて冷静に確認されると、日中のことも相まって余計にどぎまぎしてしまう。
でも、当時の私はカイトが一人になってしまわないようにと必死で、私の気持ちは言葉通り、それ以上でもそれ以下でもなかった。おそらく今のカイトもそんな気で言ったわけじゃなくて…と自分に言い聞かせていたら、ある考えに思い至る。

「何、まさかあの約束撤回するつもり?」
「ちげーよ」

即座に否定された。どうやら一人で行かない約束は守るつもりでいるらしい。ほっとしたのも束の間、カイトが言葉を続ける。

「…じゃあ、これからも」
「ん?」
「成り行きとか、幼馴染みだからとか、お目付役だからとかじゃなく、一緒に来てくれよ」

照れも恥じらいもなく、当たり前のことを確認するみたいに。
そして、うやむやになったあの誘いをやり直すみたいに。
それを理解した瞬間、魔法にかけられたみたいに内側から感情が溢れる。嬉しさも期待も恥ずかしさも戸惑いさえも混ざっているのに、不思議と嫌な感じはしない。その事実にまた混乱しながら口を動かすけれど、声になったのは訊きたいことのほんの一部だけで。

「え…それって…!?」
「…言っとくけど、これが俺の意思だからな」

私が訊きたかったはずのことにカイトは明確に答えないまま、顔を背けた。だけどその頬は夜目にも分かるほど赤くなっていて。
きっと私の顔も同じ色をしている。そのことに薄々気付きながら、それでも私はカイトを真っ直ぐ見つめて頷く。

「…うん、もちろんよ!」

決して分かりやすい告白の言葉ではないけれど、それは二人にとって気持ちを確認し合える大切な約束。
まるで二人だけの暗号のように。



fin.

(題名はGUMI(西沢さんP)の同タイトル曲から。)

2018/04/13 公開
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