BO-BOBO

心音

レムに抱き付かれている。それも真正面から、べったりと。
きっかけは全く分からない。俺はソファーに座り、ゲームをしていただけだ。ただコントローラーを両手で握っていたところに、なぜか彼女が膝立ちになって下から潜り込んできたのだ。
一瞬だけ画面から視線を外し、様子を窺う。俺の顎の下辺りに、彼女の頭がある。表情はよく見えない。俺の胴体に顔の右側を押し当てて、そのままじっと動きを止めている。
正直、ゲームの操作には慣れているから続けることもできるが、気が散って仕方がない。

「…何だ」
「心臓の音を聞いてます」

間髪入れずに返された答え。聞いた瞬間、どきりと嫌な緊張感が全身を駆け巡った。
ただでさえ心臓の拍動なんて自分の意思では制御できないのに、それを聞かれているとあっては取り繕うこともできない。その上、背中までゆるく回された両腕、否応なく触れている胸の柔らかな膨らみ。意識するなという方が難しい。
しかしレムはこちらの動揺などお構いなしに、注意深く耳を澄ませている。やけに鼓動が速くなったことにも彼女は気付いているだろうに、それに対しては特に何の反応も示さず俯き、くぐもった声のままぽつりと零す。

「ランバダ様が生きてて、よかったです」

たった一言。だけど、俺たちにとっては重い一言。少なくともレムが何を言いたいのかは見当がついた。先日の新皇帝決定戦、およびそこに乱入した闇の奴らとの戦いで、俺は間違いなく彼女に心配をかけたから。
あの選択を後悔はしない。けれど力が及ばなかった事実はそう易々と飲み込めるものでもなくて、俺は言葉を濁して尋ねる。

「…あの時の件か」

レムはようやく頭を離して、けれど両腕による拘束は解かずに、ゆるゆると首を横に振った。

「それもありますけど、それだけじゃなくて…ほとんどの生き物は冬眠中、心拍数が下がるんですよ。代謝を下げて、余計なエネルギーを使わないように」

その話は俺も知っていた。それこそ百年前、コールドスリープ計画が実施される際に、そんな説明を受けた覚えがある。睡眠と冬眠は似て非なるもので、特に冬眠は心拍数と呼吸数を大きく減らし、代謝率を下げるのだと。
もちろん計画の最中は、本人にその自覚はない。通常の眠りと同じように感じられるし、具体的な数値の管理はすべて生命維持装置によって行われる。実際、俺たちはコールドスリープ計画を遂行し、そして何事もなく目覚めた。そこには毛狩り隊の技術力の高さも当然あるが、終わってみれば何てことのない事、もう過ぎた事だ。
だが…否、だからこそ。彼女は俺の心臓の音を聞くことで、生きている実感を得ようとしたのだろうか。

「だから。今こうしてて、よかったなぁって…」

レムは目を伏せ、再び俺の心臓の位置へ顔を寄せる。緩慢な動作と声音はなんだか甘えているようにも見えるが、徐々に言葉の最後が曖昧になっていく。

「…レム?」

呼びかけても返事はない。それどころか、急にがくんと重くなった気がした。
女相手に重いなんて感想もどうかと思うが、要するにコイツは完全に意識を手放して、熟睡に入ったのだろう。微睡みや寝たふりでは再現できない、物質としての重さが全身に容赦なくかかる。今度こそゲームどころではなく、コントローラーを一旦置いて俺はコイツをどうにかしなければならないらしい。
それでも、レムの心臓の鼓動は服越しに微かに伝わってくる。散々振り回された俺とは反対に緊張感なんてまるでない、ゆっくりとした心音。百年の眠りや生け贄とはおそらく違う、生きている者のリズム。
…彼女は、俺が生きていてよかった、と言ったけれど。

「俺にしてみれば…お前が無事で、安心した」

独り言に答える声はなく、すうすうと規則正しい寝息だけが続く。いつもそうだ、コイツはこっちの気など知らない。引っ付かれて熟睡されて、けれど彼女が誰にでもそうしているのではないと俺も分かっているから、余計に手に負えない。
百年前と何ら変わりのない展開に呆れつつ、しかし膝立ちの妙な体勢のまま眠り続けるのはさすがに体にも悪いだろうとすぐに思い至る。レムをなんとか抱き上げて運ぶべく、俺は諦めてその背中に両腕を回した。



fin.

2021/01/31 公開
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