Phi-Brain

守られなかった約束

僕が呼び出した彼女は、驚くほどいつも通りの彼女だった。一通り重要な話が終わり、飛行機の準備のために部屋から出ていくビショップを見送ってから、僕の目の前に立つソルヴァーはふと思い出したようにくるりとこちらへと向きを変えた。

「それにしても、いつ来てもシンプルな部屋よねー。広いし、物も必要最小限しか無いし」
「そうかな?」
「そうですよ!ルーク管理官はいつもいるから気付かないだけです。お気に入りのパズルとか飾らないんですか?学園長みたいに」

学園長というのは、彼女が通う√学園での話だ。POGではセクション・ファイの一員として動いているから、今は解道バロンと名前で呼ぶほうが適切なのだが、彼女にとっては学園長と呼ぶほうがしっくり来るらしい。僕もそれを逐一咎めることはしないで素直に答える。

「そうだね。でも今はこのほうが落ち着くかな。パズルならすぐ近くにいくらでもあるしね」
「そっか、それもそうよね。私も最初来た時は驚いたもん、いろんなパズルの部屋があって」
「あはは、あの時は手荒な歓迎をして悪かったね。新生POGになった今は、愚者のパズルのレプリカも幾分か安全なものに作り替えてあるから」
「本当よ!あみだシューターなんか、ギャモン君がいなかったらどうなっていたことか…」
「ごめんごめん。僕が言えたことじゃないけど、そう怒らないで」
「ふふっ。そうね、あの時のルーク君は腕輪の影響もあったから。今ではもう終わったこと。ね?」
「うん。…ありがとう、ノノハ」
「どういたしまして」

小首をかしげて微笑む彼女は、何事も無かったかのように落ち着いて僕への気遣いまでしてくれる。いつの間にか敬語も抜けて、ついでに僕の呼び方も『ルーク管理官』や『ルーク様』じゃなくて、すっかり友人同士のリラックスモードだ。ついさっき深刻な任務を命じられたとは思えないほどに。
その任務を命じたのは、僕。POGの中でもピタゴラス伯爵に次ぐ立場として、そして密かに伯爵への反逆を試みる側の一員として、僕が告げなければならなかった。
彼女は夜が明けたら、ジンとピタゴラス伯爵が近々戦うであろう神のパズルの現地調査に赴く。

「ノノハ。神のパズルは…」
「分かってる。人の命を奪うかもしれない危険なパズル、でしょ?」

持ち前の記憶力で一言一句違わずに返すノノハ。さすがだね、なんて普段なら躊躇いもなく言えるのに、今の僕にはそんな余裕すら無かった。せめて身勝手な感情が溢れ出さないように、一言ずつゆっくりと言葉を選んでいく。

「…その通りだよ。愚者のパズルなんかとは比べ物にならない程の危険な代物だ。下手なことをすれば、どうなるか分からない」

さっきビショップと共に説明した時も同じことを言った。それでも、何度でも忠告せずにはいられなかった。
僕の尊敬するジンでさえ、ピタゴラス伯爵との決戦ではどちらかが犠牲になると言っている。二人のファイ・ブレインが持てる力のすべてをぶつけ合うことで開かれると言われている、それが神のパズル。僕たちは「二人のファイ・ブレインが必要」という点を逆手にとって、誰か一人が事前に調査することでジンをサポートする、そういう算段だった。
しかし作戦がピタゴラス伯爵の秘密裏に進められる以上、僕が動くわけにはいかない。ビショップでは万が一の場合に力不足だ。ガリレオ・逆之上ギャモンならばその心配は無いが、彼の場合は調査に留まらず自ら解こうとしてしまう可能性がある。それらの要素を考慮した結果、彼女が適任とされたのだが…本当にこれでよかったのか、この期に及んでまだ迷っている僕がいる。

「君はよく分かっていないかもしれないけれど、今の君のパズル能力はPOGの中でも群を抜いている。僕やガリレオに匹敵するくらいだ」
「またまたー。…ホントに?」

軽い口調で否定したかと思えば、それで終わらず一応本気にしてしまうのが彼女らしくて、くすりと笑いたいのに泣いてしまいそうだ。

「本当だよ。だからこそ、不安なんだ」

もしも、この作戦が失敗したら。
伯爵に彼女の存在が気付かれて、伯爵の代わりのファイ・ブレインとして利用されたら。
そうでなくても、彼女が無事に帰って来ることができなかったら。
幾つもの嫌な可能性が頭の中をぐるぐると回る。

「…大丈夫だよ」

ふいに彼女が声を上げた。思考の海に沈みそうな僕を引き上げるように、強く優しい声。

「ルーク君が心配してくれる気持ちも分かるけど…。覚えてる?私がパズル苦手だった時のこと」
「え?あぁ…」

確かに、POGとして初めて認識した頃の彼女はパズルを不得意だと言っていた。それは身近に称号持ちの天才がいることから生じた謙遜などではなく、客観的に見てもファイ・ブレインの子どもにはなり得なかった、はずだった。

「あれから色々あったけど、こうしてPOGに入って、もう一度最初からパズルを教えてもらって、そのおかげでここまで来れたんだもの。今更それを無駄にするようなことはしないよ」

だから、大丈夫。
一人で解くことは絶対ない。
彼女はこれまでの経緯を懐かしみながらそう断言する。事実、腕輪に飲まれた僕や信念を見失いかけたガリレオとは対照的に、彼女は何があっても大切なものをずっと持ち続けてきた。神のパズルという未知の世界へ足を踏み入れたとしても、彼女がそれを手放すとは思えない。
それなのに悪い予感がするのは…彼女を信じきることができないのは、僕の心が弱いからなのか。
目の前には、すべての運命を受け入れたように静かに佇むノノハ。初めて見た時はパズルを分かっているのかいないのかよく分からなかったのに、いつしかPOGの制服もだいぶ馴染んでいた。

「…ごめん」
「わっ、ルーク君!?」

思わず、手を伸ばした。
高い位置で結わえた髪の先が、僕の腕に触れて揺れる。
僕よりも覚悟が決まっている彼女の顔なんか見たくなくて、そのまま腕の中に閉じ込めた。

「おかしいな…。ファイ・ブレインに近い僕なら、感情くらいコントロールできるはずなのにな…」
「ルーク君…」

彼女には幼い頃からずっと追いかけている存在がいる。それは分かっていたけれど、こうせずにはいられなかった。
声が震えそうになるのを抑えながら、僕は言葉を紡ぐ。

「約束してほしいんだ、僕と」
「約束?」
「明日からの旅は、これまでのパズルの解放とは違って、あくまでも調査だ。神のパズルに興味が向いても絶対に、解こうとしないでほしい」

僕の言葉を黙って聞くだけの彼女は、良くも悪くもされるがままだ。抵抗しない代わりに、僕の背中に手を回すこともしない。

「…僕は君に消えてほしくないんだ」

最後に告げた言葉は腕輪の外れた僕の本当の気持ちなのか、かつて腕輪を着けていた僕だから分かる願いなのか。
その答えを知っているのは、きっとこの世界を作った存在だけだ。



fin.

(突然発生した時の迷路ルクノノ。話の流れ的にはジンレイや時の迷路ギャノノでもいいじゃん!と思われるかもしれませんが、私はルクノノで書きたかった。)

2017/09/17 公開
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