Phi-Brain

二人のひととき

玄関の扉を開けると、爽やかな朝の空気が頬を撫でる。降り注ぐ光は寝起きの目にはまだ少し眩しくて、だけど気持ちよく晴れてくれてよかったと思う。
今日は学院の授業がちょうどお休みで、本当はそんなに早く起きる必要はなかったのだけど。もしかして…なんて思って来てみれば、予想通り学生寮の中庭をのんびりと散歩する人影。ふわっとしたワンピース、歩みに合わせて揺れるポニーテール。昨日来た時は外も既に暗かったし、改めてカイトの過ごした地をゆっくり見て回りたかったのだろう。

「おはよう、ノノハ。よく眠れた?」
「フリーセル君!おはよう。空き部屋貸してくれてありがとね、おかげで熟睡しちゃった」
「ふふっ、それはよかった」

そばに歩み寄りながら声をかけると、ノノハは僕に気付いて言葉を返してくれた。僕がオルペウス・オーダーだった頃には厳しい表情ばかりでなかなか見られなかった笑顔が、今ではあっさり向けられる。気を許してくれているのかな、なんて思ったのも一瞬で、今度は僕の後ろを覗き込むようにしながらきょろきょろと落ち着かない。誰を探しているかは、直後の彼女の一言ですぐに明らかになった。

「あれ、カイトは?」
「あぁ。昨日の疲れもあるんだろうね、まだ寝てるよ」

確か昨日カイトは、ジンさんと二人で賢者のパズルに入ったと言っていた。夕食時に聞いた話では「ジンが解いた時とは少し違うパズルが新たに作り直されていた」とも。カイトは簡単に解いたらしいけれど、間違いなく頭を使っただろうから…と気遣って言ったつもりだったのに、逆にノノハの導火線に火をつけてしまったらしい。

「あいつめ、部屋を貸してもらってるっていうのに…!叩き起こさなきゃ」
「あっ!大丈夫だよ、朝食の時間にはまだ早いし…もう少しゆっくりしても僕たちは全然構わないから」

拳を握りしめて寮に戻ろうとするノノハをあわてて引き留めると、ノノハも思い直したのか腕を降ろして立ち止まった。その様子に内心ほっとする自分がいる。カイトを休ませてあげたい気持ちも本当だけど、もう少し彼女と話していたい気持ちもあったから。庭の中でも木陰になっている芝生に案内して腰を降ろすと、ノノハも真似をして僕の右隣に座る。日差しが程よく遮られて、草花の香りがほのかに感じられて、近くからは噴水の水音が涼やかに聞こえる場所。

「気持ちいいだろう?ここ、僕のお気に入りの場所なんだ」
「本当ねー。学生寮の建物も素敵だけど、外で過ごすのもいいかも…」

ノノハは座ったまま伸びをして、うっとりした様子で述べた。昨日カイトとジンさんがパズルを解く間、ノノハはルーク君と待っていたらしいけれど、その時も今みたいにお互いリラックスしていたのだろうか。そうであってほしい半面、もしそうだとしたらルーク君が少しだけ羨ましくもある。
今日は…どうなのだろう。カイトもルーク君もパズルの中に入るということは、ノノハも中まで行くのだろうか。それとなく話題を振ってみる。

「皆は今日もパズルの予定かい?」
「あはは、パズルバカだからねー。カイトも、もしかしたらルーク君も」
「ははっ、カイトらしいけどね。それにしても、学院の近くにそんなにたくさんのパズルがあるとは思わなかったよ」
「そうなの?」
「うん。もちろん、学院にはパズルが得意な子ばかりだし、ここで暮らしているだけでいろんなパズルに触れられるけどね。賢者のパズルのような巨大迷路や建造物はそうそうお目にかかれるものじゃないから」

ここにはパズルを作るのが得意な子も解くのが得意な子もいるから、お互いにパズルを出して解いて、切磋琢磨する光景があちらこちらで見られる。しかし所詮は生徒だ、作れるパズルの大きさは限られている。立体の物なら両手に収まる程度。リトゥンパズルなら校庭を使えば大きく地面に書けるけれど、それを賢者のパズルのような壮大な物に作り替える力はない。僕たちが腕輪の力を借りて作った裁きのパズルや神のパズルも、オルペウス・オーダーに所属してレーベンヘルツ財団の後ろ楯があったから実現したものだ。
ノノハはふと昨日のカイトの誘いを思い出したように、控えめに切り出した。

「フリーセル君は、やっぱり行かない…?」
「うん…。皆は腕輪のせいだって言ってくれるけど、パズルを解くことで、また僕の中の何かが暴走してしまうのが怖いんだ」

オルペウス・オーダーの事があった後も、他の皆と変わらない態度で接してくれるのはありがたい。それに、腕輪の外れた今なら、ノノハが僕に嫌なことを思い出させるために言ったわけではないことは分かっている。
それでもまだパズルに触れるのは怖かった。レプリカを本物にしてしまったくらいだ、腕輪が無くてもまた何かのきっかけで思考や感情がコントロールできなくなったらどうする?自分が暴走していることに自分で気付けなかったら?また誰かを傷つけてしまったら?そんな不安が渦巻いて、僕は学院での生活に戻ってもパズルは敬遠するようにしていた。幼い頃に気後れしていたのとは違う形で、僕はまた落ちこぼれの状態だった。

「そうだよね…。あんな事があったばかりだもん…」

僕の返答にノノハは納得しつつも、どこか浮かない表情を見せる。共感してくれる彼女の優しさは嬉しい、けれど、僕が今見たいのはそんなつらそうな横顔じゃない。僕がおもてなしする側で、しかもせっかく二人でいられるのだから、彼女には笑っていてほしい。
少しの沈黙の後、僕はふと思いついてペンダントを首から外した。

「…でもね、ノノハ。これだけは今でも解けるんだ」

そう言って、ノノハにも僕の手元が見えるように丁寧にピースを動かしてみせる。オルペウス・オーダーだった頃は腕輪を着けても解けなかった、ママの形見。初めて解いた時はノノハに見守られ、カイトに教えてもらいながらだったそれも、今では一人で解ける。
…ううん、それだけじゃない。一通り解いてみせた後、今度はパズルの中の球体の向きを調整してから再びペンダントの形に戻す。そして、左手に持ったペンダントを太陽にかざした。

「見て、ノノハ」
「えっ、と…?見るって、ペンダントを?」
「うん。…もう少しこっちに来たほうが見やすい?光の入り具合もあるし、立ったほうがいいかな?」

ペンダントに光が綺麗に入る位置を確認して、左腕を動かさないように気を付けながら体を左に少しずらす。そうして空いた場所にノノハをそっと誘導すると、ノノハは素直に僕の側に体を寄せて…数秒後。

「わぁ…っ!」

その感嘆の声で、彼女にも見えていることがすぐに分かった。普段は金属光沢で光を反射するだけのペンダントだけど、中央にある球体の向きをうまく合わせて光にかざせば、その中の絵柄がペンダントの外からでも見える時があるのだ。カイトと初めて解いた頃には気付けなかったが、一人で何度も解いて戻してを繰り返しているうちに偶然発見した現象だった。

「綺麗…!」
「あぁ。ママがどこまで計算して作ったかは分からないけれど、こんな仕掛けがあったなんて、まだまだ敵わないや。でも、そんなママが…僕はやっぱり好きだったよ。今もずっと」
「フリーセル君…」

きっと僕がこれをカイトと一緒に解いている時、ノノハは側で見守りながらも案じてくれていたことだろう。このパズルを解いてしまったら、僕はママがいない現実と向き合わなきゃいけなくなる。僕がずっと憧れていたカイトも日本に戻って今を生きている以上、側にはいられない。
だけど、もう大丈夫。

「ね?僕は平気だから、皆の帰りをここで待ってるよ。とっておきの紅茶とスイーツでも用意しながらね」

腕を降ろしながら微笑みかけると、ノノハもさっきよりずっと近い距離で安心したように笑った。深刻な話はこれでおしまい。それが伝わったのか、彼女は明るく言葉を返してくれる。

「本場イギリスの紅茶とスイーツかぁ…!だったらティータイムまでには戻らないと!」
「と言っても、これから買いに行くつもりだけどね。ノノハも一緒に来るかい?」
「えっ!?」
「ほら、プラウダー・ホースで対戦した時はどの店も閉まってただろう?よければどうかな」
「本当!?…あ、でも私、カイトたちのことも放っておけないし…。パズルは解けないけど…」

今度は申し訳なさそうに、言葉が尻窄みになっていくノノハ。対する僕はどこかすっきりした気持ちになっていた。駄目元で聞いてみたものの、彼女がカイトについていくことは分かりきっていたから。
と、次の瞬間ノノハは何かに気付いたように慌て始めた。

「あっ、もしかして私邪魔かな!?カイトとルーク君とジンさん、三人の思い出の場所だって言ってたし…!」
「あはは、そうじゃないよ。もし三人で行きたかったら、カイトは昨日僕とピノクルのことまで誘わなかったはずだよ。今のはただ僕がそうしたかったから言ってみただけさ」
「そう…?…うぅ、でも…スイーツ、紅茶、ティーセット…!」
「ふふっ、迷ってるね。僕はまだここにいるから、好きなだけどうぞ」

こんな時、カイトなら呆れるだろうか。だけど僕はこんな時間でさえも心地よくて愛おしくて。僕はペンダントをつけ直しながら、隣でうんうん唸って真剣に悩むノノハを優しく見つめる。そよ風に揺れる花、水の音、温かい光。二人の周りには、僕の好きな世界が広がっていた。



fin.

(2期6話で買い物できなかったのを3期1~2話のイギリスにいる時に実現しちゃえばよかったのでは!?と思いついて、3期EDイラストのフリノノに混ぜてみました。ペンダントの構造は私の勝手な想像です。)

2017/08/23 公開
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