Phi-Brain

このままで…

√学園が、そのずっと向こうに見える海が、眩しく綺麗な夕焼けに包まれる。高等部校舎の二階から続くテラスの欄干に肘をついて、その景色をぼんやりと眺めていた。
風が吹く。ポニーテールを、ワイシャツの袖を、スカートの裾を揺らしていく。衣替えしてだいぶ着慣れてきた夏服だけど、夜が近くなる時間にはまだ少し肌寒い。髪型も胸に秘めた思いも、あの時から変わらないのに、あっという間に私は高校生になってしまった。

「今頃どこにいるんだろう…あのパズルバカ」

今でも思い出せる。幼馴染みが私のそばからいなくなった時も、こんなオレンジ色の世界の中だった。パズルの能力を認められてイギリスへ留学した彼は、やはりそこでも優秀だったらしい。本来は一定期間学んだら日本に戻り復学するはずだった予定が、突如変更になった。留学先で出会った青年と、同じくパズルのできる年の近い女の子と共に、旅へ出る…と聞かされた。
パズルが大得意だった彼を応援したい気持ちと、せっかく会えたのにまた行ってしまう寂しさ、今度はいつ戻ってくるか分からない心もとなさに押し潰されそうになりながら、見送った。大きな船の停まる波止場で、せめてもの約束をして別れたあの日。

「誰よりも近いと思ってたんだけどな…」

でも、違った。パズルのできないただの幼馴染みには止める権限なんて無かったし、彼は高度なパズルを解く旅と難しいパズルでも理解できる仲間を選んだ。もしも私があの子のようにパズルが得意だったら、もっと近付けたのかな。
思考はいつもそこで立ち止まって、それ以上進めない。代わりに、遠い日の思い出が後ろから追いかけてくる。
パズルが大好きな彼の家にお邪魔して一緒に遊んだこと。一緒と言っても私はほとんど解けなかったけれど、同じ空間で同じ遊びをして、いつだって受け入れてもらえたことが嬉しかった。時には私が解けないことをバカにされて、私も言い返して。時には彼が解けたことを自慢されて、私は尊敬の眼差しを向けて。
追憶にするにはまだ早い。あの頃と今は繋がっていると思いたい。それでも楽しかったあの日には、もう戻れない。パズルを解くあの頼もしい手にも触れられない。



「…まーだいたのか、ノノハ」
「ギャモン君」

振り向くと、壁に寄りかかるようにしてギャモン君が立っていた。声をかけられるまで気付かなかったから、どうやら手前の階段ではなく校舎の中を通ってここに来たようだ。こんな時間だからもう帰ったと思っていたのに。

「いつまでもこんな所にいて、体冷やすんじゃねぇぞ」

言い方はぶっきらぼうだけど、ギャモン君が意外とフェミニストでいい人なのは最近分かったこと。財のために賢者のパズルを解くと宣言しているけれど、何かと気にかけてくれたり危険な時は助けてくれたりする。今だって何も訊かないけれど、夕日に照らされた表情は何か言いたげな複雑な色をしていた。
その眼差しは、果たされるかどうかも分からない約束に縛られて動けずにいることまで見透かしているようで、私は慌てて笑顔で取り繕う。

「ごめんね、遅くまで」
「気にすんな。いざとなったら俺様のバイクで送っていってやるからよぉ。そうだ、夕飯でも食ってくか?」
「本当?じゃあ、お邪魔しようかな」
「あぁ。そのほうがミハルも喜ぶからな」
「ミハルちゃんいい子よねー。礼儀正しいし、食べ物の好き嫌いもないし!高等部からでも√学園に進学しないかしら」
「いいんだよ、ミハルは。こんなパズルに特化した学校じゃなくても、人並みに暮らして幸せなら十分だ」

ギャモン君と他愛ない会話をしながら階段を降りて、校門のほうへと歩く。海はもう見えないけれど、その代わり地面に二つ並んだ影が長く伸びる。幼馴染みと別れた時には気に留めなかった身長差がギャモン君とでは際立って、私は再び感じた時間の流れを胸にしまい込む。



本当は、近付きたい。
高校生になってギャモン君たちと出会ってパズルに関わってから、私の頭の片隅にちらつくようになったその姿に。
瞳の奥で煌めく星雲の中心に。
鮮やかにパズルを解いていく、カイトに。

だけどそれができるのは「記憶の中の私」だけなのだと、分かっているから。
せめて、カイトが忘れるまで…もう少し、このままで。



fin.

(題名は1期OPのCDに入っているカップリング曲から。)

2017/05/01 公開
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