Phi-Brain

卒業単位

肌に触れる空気が次第に暖かさを増し、桜の花びらが風に舞い始める季節。学園のスクールバスに揺られながら、ポニーテールの彼女は唸っていた。

「うーん…」
「ノノハどうした、酔ったか?」
「ううん、そうじゃないんだけど…ちょっとね、考え事」
「どうせノノハのことだから昨日食い過ぎたとか今日のスイーツ作りすぎたとかだろ」
「カイトは黙ってて!」

通路を挟んで左隣に座るギャモンの気遣いにはおしとやかに笑ってみせたが、心配どころか余計なことを言う右隣の幼馴染みには怒気を含んだ声で対応するノノハ。しかしカイトもギャモンもその振り幅には慣れっこで、特に驚くこともなく話を戻す。

「で、何だよ考え事って。悩みならこの天才・逆之上ギャモン様が解決してやんよ」
「なんか久しぶりに聞いたな、それ」
「名乗り向上みてぇなモンだから、なかなか言う機会がねぇんだわ」

ギャモンの放つ独特のイントネーションにカイトはツッコミを入れながらも、ギャモンが相談に乗ることについて特に止める気はないらしい。言い争いに発展しない軽口を二人で言い合っていると、ノノハは重い口を開いた。

「私たち、もう三年生なんだね」
「?…あぁ」

確かにこの春、三人は揃って高等部の最高学年に進級した。昨年度はレイツェルを追う旅と最大の敵オルペウスを倒す試練のパズルで学校は早退や欠席が多かったが、そこは学園長の采配で全員無事に進級・進学することになったのだ。もちろん学園長には感謝しているけれど、どうしてノノハは今さらそんなことを、とカイトが疑問に思っていると。

「私、卒業できるかなぁ…!?」

両手を頬に当て、顔面蒼白になりそうな勢いでノノハは心配事を吐き出した。

「おいおい、三年になったそばから卒業の話かよ」
「だって、三年生って『あれ』があるじゃない!ギャモン君やカイトは簡単かもしれないけど…!」
「あぁ?『あれ』って何だよ」
「ほら、一年生の秋に軸川先輩が見せてくれた…あんなの、私には無理!」
「だから何だそれ」

ノノハの不安をさらりと受け流したギャモンに、ノノハは通路越しに『あれ』の怖さを力説する。ノノハにとっては名前を出すのも恐ろしいのかはっきり明言しないせいで、ギャモンには何なのかイマイチ伝わっていないが、カイトはノノハの言葉の断片から一つの答えに思い至った。

「…もしかして『卒業制作』か?」

ファイ・ブレインの子どもたちをサポートする立場としてソウジが提供してきた情報は数多くあるが、ノノハが自分には無理だとはっきり言う対象はパズルくらいだ。そして、ソウジが出題したパズルで真っ先に思い浮かぶのは対戦型パズル『スライディング・ジャンクション』。カイトにしてみればあれは解き応えのある楽しいパズルで、ソウジにとってもイニシャルをパズルの名前に使うほど思い入れのある作品だが、確かにあの時先輩は自分の卒業制作だと言っていた。√学園はパズルを教育に取り入れた学校だから、普段の生活でもパズルを自主制作する者は多い。卒業制作ともなれば当然それ以上の物を求められる…と予想してノノハは怯えていたわけだ。カイトの発言に首をぶんぶんと縦に振ったノノハを見て、ギャモンも同情を寄せる。

「あー…ノノハにはキツイかもしれねぇなぁ」
「やっぱり!?…あぁー、どうして私、パズルが解けないんだろう…。おかげでカイトはパズルバカのままだけどさ…」
「うるせーよ」
「あ?何の話だ」

ノノハとカイトのやり取りにギャモンはよく分からず怪訝な顔をするが、ノノハには説明する余裕がなく、カイトは説明する気自体ないようでギャモンに向かって舌を出した。
いつもなら持ち前の負けん気で「私だって…!」と解けないパズルに挑んでみたり、勢い余って知恵の輪を壊しても懲りずにまた別の知恵の輪に手を出したりするノノハでも、今回ばかりはそうもいかず深刻な問題らしい。

「そんな難しく考えなくてもいいんじゃねーか?」
「あ?どういうつもりだバカイト」
「バカバカうるせーよ。…軸川先輩みたいに新しいルールのパズルを生み出すのは大変だから、既にあるものを改良するとかさ」
「なるほど…ナンプレに色をつけたり重ね合わせたりして新しいナンプレを作るようなモンか」
「それが私には難しいんじゃない…!」

ノノハが切実な悲鳴を上げたところで、好き勝手に話していたカイトとギャモンもハッと目を向けた。確かに彼女は驚くほどパズルが解けない。ルールを説明すれば理解してくれるものの、今の戦況の判断やどこに気付けば解けるかといったギミックはからっきしだ。自分で解けないものを作り出すのは後輩のアイリが時々やっているがあれは稀なケースで、普通は自分が解ける以上の物を作り出すことはできない。

「そうだ、確かノノハは俺たちが解いたパズルを覚えてんだよなぁ。だったら、それを使うってのはどうだ!」
「覚えてるパズルを使う…?ギャモン君、どういうこと?」
「ノノハはほとんど俺たちと行動してんだろ?だからその時のことを思い出して、俺たちが解いた愚者のパズルや裁きのパズルの詳細を論文にしたり模型を作ったりすんだよ。こんな良い案を思いつくとはさすが俺様!」
「いや、それはPOGが既にやってるんじゃねぇか?裁きのパズルもオルペウス・オーダーが記録してるだろうし」

南の島での一件を踏まえたギャモンの提案も良さそうに見えたが、呆気なくカイトに否定される。

「あー、もうこの際私はパズルを解けただけで卒業ってことにならないかな!?」
「それは無理だろ」
「ほら、長い間お目付け役ご苦労様ーってことで」
「いや、そんな称号持ちの特権みたいに言われても」

記憶力も封じられて行き詰まったらしく、ノノハの考えが雑になり始める。冷静にツッコミを返すギャモンの話を半分聞き流している中で、ふと。
カイトは『重要な単語』に気付いた。

「…それだ」
「え?お目付け役作戦?」
「ちげーよ。…『称号』だ」

天才たちにはそれぞれ、称号がある。それは各々の関心や癖やパズルに対する姿勢から名付けられ、学園側から公式に与えられている。
だが、公式なものでは無いにしろ、彼女にも称号が検討されたことが一度だけあった。√幼稚園の子どもたちと賢者のパズルを解放したことから付けられた、ノノハの称号は…

「ノノハにとっては不名誉かもしれねぇけどさ、『ナイチンゲール』の称号を贈られた時があっただろ。あの時みたいに子どもでも楽しめるパズルを作る」
「子どもでも、楽しめる…?」
「ほら、二ピースのジグソーパズルとか形をはめるだけのパズルとかあるだろ。すっげー簡単だけどパズルを初めてやる子には楽しい、っていうのをたくさん調べたり作ったり、遊んでもらったりするのも立派な『パズル研究・パズル制作』だからな」

パズルは、難しさを競うだけのものではない。
上級者向けの難しいものから、初めて挑戦する人でも楽しく解けるものまで、様々なパズルがあっていい。

「そっか。私にも、できるんだ…」

心の重荷を降ろしたような声に、カイトの表情もふっと柔らかくなる。ギャモンもパズル仲間として異論は無く、茶化すように称賛の言葉を投げかけた。

「パズルバカも少しは役に立つじゃねーか」

スクールバスが止まる。ドアが開くと共に、爽やかな風とほのかな桜の香りが吹き抜ける。
最後の高校生活は、まだ始まったばかりだ。



fin.

(ソウジは卒業制作でスライディング・ジャンクションを作ったけれど、ノノハはどうするのかと思って。)

2017/04/20 公開
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