Phi-Brain

ちぐはぐでぴったり

かつては貧しく、最近レアメタルによって急速に発展したアムギーネ共和国。それだけを聞くと工場が立ち並ぶ光景か、あるいは貧困時代の名残で田舎らしい雰囲気を想像するけれど、あらためて見るといたって普通の街並みだ。綺麗に整備された大通りには店があって人がいて、僕たちがいたイギリスや日本と変わらない生活。これから命懸けのパズルが行われるとは思えないほど穏やかな空気。嵐の前の静けさ…と言いたいところだけど、僕たちの気持ちはもう既に一回目の嵐を経験して疲弊していた。

「もう最悪。忘れてたこと、思い出しちゃうし」

少し休憩しようと入った喫茶店。僕の隣に座ったノノハがオレンジジュースの入ったグラスを片手に嘆く。ノノハの正面、僕の斜め向かいでカイトがほんの少しだけ、むっと表情を険しくした。



こうなったきっかけはオルペウスによる幻影だ。メランコリィのプライベートジェット機・プリティメランコリィ号から降り立った瞬間始まったそれは、カイトとノノハの過去や僕の過去、それも僕たちが心の奥底で後悔していた過去を次々に写していった。既に受け入れたはずの過去だけど、あえて悪く言えば「過去を変えることはできないから」と諦めた面もある。
だが、そこをつつかれた。オルペウスの力があれば過去を望み通りに変えられる、それに伴い皆で平和にパズルをする現在を作れる。そんな甘言にいちばん対抗してくれたのが、目の前にいる彼女なのだけれど。

「あーあ…」

ノノハはさっきから不満が止まらない。もっとも、彼女も口に出すことで発散しているのだろう。僕はコーヒーを一口飲み、苦笑しながらノノハに労りの言葉をかける。

「僕のママの話は君たちも知っている通りだけど…災難だったね、ノノハは」
「本当よ!ファイ・ブレイン候補のカイトやフリーセル君はともかく、なんで私まで…」
「しょうがねえだろ、俺の過去でもあるんだから。つーか、ついて来たら巻き込まれるって今までの経験で分かるだろ」

カイトはカイトで思うところがあるようでノノハにかける言葉も少々辛辣だ。もしピノクルが聞いたら「レディーにはもっと紳士的に」なんて注意しそうなくらい。

「カイトの過去は、僕やルークといた頃のこともあるけれど、ノノハと長くいた思い出もあるからね…。ケーキでも頼むかい?」
「…いらない」

ノノハのスイーツ好きはカイトから聞いていたつもりだったけれど、ノノハはふてくされたように断った。そういえばノノハがパズルを解けなくなったのは、カイトにもう解き方を教えてもらえない寂しさからやけ食いして体調を崩したため…と言ってたっけ。彼女はすっかり忘れていたみたいだけど、思い出してしまった今、やけ食いに繋がりそうな行動を遠慮してしまう気持ちも分からなくはない。
…それにしても。

「だけど、さ。ノノハでも忘れることがあるんだね」

率直な感想を述べると、ノノハは不機嫌そうな表情から自嘲混じりの笑みへと変わる。

「あはは…。そりゃ私だって忘れることくらいあるわよ、と言いたいところだけど、本当に忘れてたなんてね」
「ノノハの過去を知らない僕には、ノノハがパズルを解けるように過去を変えることもできる…ってオルペウスが示してるのかと思ったよ」
「うん。でも見ていてすぐ思い出したよ。書き換えられた過去じゃない、本当の思い出だって」

ノノハの目が優しく細められる。手元のグラスを両手で包み込むように持ち、そのまま目線を落とすノノハの向かいで、カイトは何も言わずコーヒーを口に運んでから、一瞬ちらりと彼女を気にしたけれど、ノノハはそれには気付いていない。

…なんだか、違和感。

「そんなに思い出したくなかった?」
「え?」
「ノノハが忘れてるなんて、忘れたいほどショックな思い出だったのかなって」

もちろんパズルが解けなくなった当時の辛さは大きいはずで、忘れてしまいたくなる気持ちも分かる。僕だってオルペウス・リングが外れてしばらくは、パズルから自ら離れていた。
だけど、あの幻影がオルペウスに反論する原動力になったのも確かだ。それに彼女自身、あの頃の自分に感謝もしていた。あの頃があるから、現在の自分たちがいるのだと。
今だって最悪と嘆く割には、その思い出に向けるノノハの眼差しはあまりにも優しくて、辛さや悲しさは既に昇華しきっていて、ただただ純粋な懐かしさに満ちている。
それほどまでに愛おしそうなのに「思い出して最悪」だなんて。

「うーん…どちらかというと、忘れてたってことに気付いちゃったことが最悪」

僕の疑問が通じたのだろうか。ノノハはひとつひとつ、内面を紐解くように吐露していく。

「いつのまにか、私がパズルを解けないのは元々そうなんだって思い込んでたから…。せっかくカイトがしてくれた約束だったのに、大切にしまって思い出すこともなくなって、いつしか忘れてたことも忘れてた」
「本当にすっかり忘れてたのかよ…」

ノノハの話を聞いて、カイトは脱力したように呟いた。口調はあくまでも呆れた様子で、あからさまに項垂れることはないけれど、ほんの少しだけ、どこか残念がる声色。

…あぁ、そうか。
あの幻影の出所は、カイトの過去…それも『変えたかった過去』だ。

自身の過去を変えて両親を救いたい、僕やルークの過去を変えて平和に暮らしたい。そんな分かりやすい願いと同じくらい、カイトはノノハとのパズルタイムをやり直したいと思っているんだ。
意図せずノノハを傷つけてしまった「一人で解いてみて」という発言を取り消すとか、ひとつのパズルが解けても「また一緒に解こう」と言うとか、きっとそんなやり方で変えたいと思っていた、後悔している過去。
カイトが自覚しているのか、それとも無意識の領域なのかまでは僕には分からないけれど…間違いなくカイトの心の奥にある、ささやかな願い。

それなのに肝心のノノハはその思い出を大切にしていて。
ノノハが大切にしているから、カイトも「ノノハのぶんもパズルを解く」という約束を大切に守っていて。
だけど、ノノハは大切にするあまり忘れてしまって。
なんてちぐはぐな二人なんだろう。

「ノノハにとって俺との約束はその程度だったのかよ」

僕が一人納得したところで、納得していない声がテーブルを挟んで届いた。幻影の後、ノノハが不満と溜め息を並べている頃からずっと仏頂面だった、彼女の幼なじみ。

「い、いや…その程度ってわけじゃないんだけど…カイト?」
「じゃあなんで忘れてんだよ、記憶力だけはいいのに」
「だ、だからごめんって」

カイトは不機嫌そうに迫る。さっきまでは強気に不満を漏らしていた彼女だけど、幼い頃の約束を忘れていたのは事実。その罪悪感でしどろもどろになりながらも、なんとかカイトを宥めようとする。当然カイトがそんなことで引き下がるわけもなく、威圧するようにますます前のめりになって距離を詰めた。



…とはいえ、さすがに近すぎる。本人たちは絶対に無意識だろうけど、これ以上近付いたらうっかりキスでもしてしまいそうな距離で、一緒にいる僕の身にもなってほしい。
思わず目線を斜め下にそらしながら咳払いをひとつすると、二人はようやくその近さに気付いたらしく、同時にこちらを向いて捲し立てた。

「待てフリーセル、誤解すんな!」
「フリーセル君、そういうのじゃないから!」

同じように顔を赤らめて、同じことを同じタイミングで主張して。そんな状態で言われたって、ますます相性ぴったりにしか見えないよ。
やっぱりこの二人にはかなわない。



fin.

2017/03/05 公開
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