はたらくハロウィン

03 力量が試される日

二酸化炭素の箱を持って少し歩くと、広い通路に出た。赤血球なら誰でも使える台車を借りてそのまま肺を目指す。
歩きながら周りの様子を見ていると、堂々と仮装して出歩く細胞さんが増えてきた気がする。感染細胞のようにも見えるオシャレな帽子をかぶった細胞さん、顔色の悪いメイクをした細胞さん、細菌の被り物をした細胞さん。その出来映えに一瞬ドキッとするけれど、私は心の中でこれは仮装なんだと言い聞かせて、何とか叫ばずに済んでいた。
と、角を曲がって前を見れば、道の先に見慣れた白い制服が視界に入った。仮装だらけの世界でも唯一いつもと変わらない姿のその人は。

「白血球さーん!こんにちはー!」

私が大きな声で呼びかけると白血球さんは振り向いて、それから柔らかく笑って片手を上げる。

「よう、赤血球」

さっき肺炎球菌の仮装をした細胞さんに会った時、パニック状態の私が一番最初に思い浮かべたのは白血球さんだった。まさかこんなすぐに会えるとは思わなくて、自然と足が早くなる。
白血球さんは立ち止まって待っててくれた。その手にはお茶の入った紙コップが握られている。休憩中かパトロール中か、どちらにしろ細菌との戦闘や待ち伏せの最中ではなさそうだ。私が間違ってなければ方向もよし、白血球さんの隣に並んでまた歩き始めたその時。

「その籠…ハロウィンか」

白血球さんが私のバスケットを見つけて、確認するように尋ねる。私は最初このバスケットを渡されてもピンと来なかったのに、白血球さんはハロウィンを知ってるんだ、やっぱり物知りだなぁ。尊敬の気持ちを抱きながら、でも話を振ってくれたことが嬉しくて、私は元気よく答える。

「はい!私たちは今日、合言葉を言われたらお菓子を配るんですよー」
「そうか。…合言葉?」

白血球さんはあまり表情を変えずに相槌を打つ。けれどボソッと零した言葉を、私は聞き逃さなかった。

「そうです!『トリック・オア・トリート』って言うんですけど、そしたら私たちは『ハッピーハロウィン』って返すんですよ!」
「あぁ、それなら聞いたことがある。『お菓子をくれなきゃいたずらするぞ』という意味らしいな」
「…えっ」

思わず動きが止まる。だって私そんなの聞いてない。いやまぁ、このバスケットを受け取った時にはもう渡すのが楽しみで、私は早く配達に行きたくてうずうずしていたから…結局のところ、先輩の話をじっくりと聞かずに出発してしまった私の落ち度なんだけど。
いやそれよりも。

「…いたずら、ですか…」
「ん?あれ、知らなかったのか?」
「初耳です…」

目が潤んで声も小さくなっていく。あぁもう、意気込んで説明しようとした私のアホ!恥ずかしくて溶血してしまいたい。
しかもあの合言葉がそんな意味だったなんて!もし細胞さんにお菓子を渡さなかったら、いたずらされるんだろうか。どんないたずらをされるのか分からないけど、とりあえずこのバスケットのお菓子を切らすわけにはいかない。それで、先輩の話では「私たちから相手の細胞さんに合言葉を言ってもいい」ってことだったけど、もし細胞さんがお菓子を用意してなかったら私はどうすればいいの?いたずら?どんないたずらが定番なんだろう、ほっぺをぷにぷにするとか?でもあれは血小板ちゃんが相手だからできるのであって、他の細胞さんたちにそれをやるのは違う気がする。えっ、本当にどうしよう!?
ぐるぐる、頭が混乱して目まで回ってきた。しかしそんな私を落ち着かせるように、白血球さんの冷静な声が届く。

「あー…でも皆、そうだと知って使ってるわけじゃないと思うぞ?お菓子がもらえなかった時、普通はおとなしく戻るだろう?中には腹いせでいたずらする奴もいるかもしれないが…そういう奴はその、多分少ないと思うし。多分」
「白血球さん…」

白血球さんに励まされると、なんだか本当に白血球さんの言う通りな気がしてくる。そうだ、何も絶対にいたずらしなきゃいけないわけじゃないんだ。もし細胞さんがお菓子を持ってなかったら「失礼しました」と謝って終わろう。
解決策が見つかって安心して…いつの間にか私はまた笑っていた。

「…ふふっ。白血球さん、詳しいんですね」
「昔そういう本を読んだんだ。今では所々うろ覚えだがな」
「へぇー。じゃあ、白血球さんたちはハロウィンで何か変わることってありますか?」
「いや、俺たち自身は特に変わりないな。緊急時を考えると装備を変えるわけにもいかないし」
「あっ、それもそうですね!」
「まぁ、しいて言えば…」

白血球さんはそこで言葉を切って、ゆっくりと周囲を見回した。私もその視線を追う。
星のワッペンを帽子に付けた細胞さん、歩くたびに細菌の被り物から伸びた触手が自分の背中に当たって痒そうな細胞さん、頭ではなく腕に細菌のバルーン人形を付けている細胞さん…。もちろんいつも通りの格好をした赤血球が私以外にもたくさんいて酸素を配達してるんだけど、目に留まるのはやっぱり仮装した細胞さんたちだ。
白血球さんは重い口調で告げる。

「皆が細菌のふりをしているから、外敵かどうか判断しにくい部分はあるけども…」
「あぁ…」

納得。確かにこれじゃあ、この中に本物の細菌やウイルスが紛れ込んでいても見つけにくそうだ。他の赤血球が細胞さんに酸素を渡す場面でさえ、仮装のせいで細菌に渡しているようにも見えてしまう。白血球さんは細菌を倒す時、これを見分けなきゃならないのか…考えただけで気が滅入りそう。
しかしそれが私の表情に出ていたのか、白血球さんはまた安心させるように言ってくれる。

「…まぁ本物が来ればレセプターで分かるさ。それに一般細胞たちも頭だけとか分かるように仮装してくれているから…あまり水は差したくないな」

あぁ、やっぱり白血球さんはすごいなぁ。
今だって皆のことを考えてて、とても優しい。皆は怖がってるみたいだけど、私は白血球さんのこと、とてもかっこいいと思う。

「白血球さ、」

伝えよう――と思ったその時。
ピンポーン、ピンポーン♪…と軽快な音が鳴り響いた。白血球さんの帽子を見上げれば間違いなくレセプターの反応だ。

「何っ!?こんな状況下で!?」

白血球さんはすぐさまナイフを構えて、きょろきょろと細菌のいる方向を探る。細胞さんたちの仮装に紛れているのか…私も台車のハンドルをぎゅっと握った、瞬間。
後ろからドタドタと音がしたかと思えば、猛スピードで私たちを追い抜いていった巨体…私たちの背丈ほどもある大きな細菌。そして遊走路から飛び出してすぐに走り去っていく数人の白血球。
それを認識した途端、白血球さんもそれに加わるように走り出す。

「すまん赤血球、続きはまた今度頼む!」
「あっ、はいー!」

それだけを言い残してもう振り向かない背中を見送って。
私はゆっくりと台車を押した。腕に提げたバスケットが寂しそうに揺れた…気もするけれど、きっと気のせいだ。さっき思ったことを伝えた方が良かったのか、伝えないままで良かったのか、答えは分からなかった。

…ちなみに仮装をしている細胞さんたちも本物の細菌は怖かったのか巻き込まれないように通路の両端に避けていたから、仮装か本物かは緊急時は案外あっさり見分けられるのであった。



2018/10/25 公開
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