Phi-Brain

ラブチーノ

どうして。
固いチョコレートを包丁で刻みながら、心の中で悪態をつく。

どうして私が、こんなことを…!

そもそものきっかけはレイツェルだった。クロスフィールド学院に編入したことはフリーセルから聞いていたけれど、彼女のほうから直接コンタクトをとってきたのは今回が初めてのこと。珍しい事態に驚きつつも、性格上私と似ているところがある彼女だから嫌な気はしなくて、素直に応じたのが二月に入ったばかりの頃。
しかしそこでレイツェルから提案されてしまったのだ。今年のバレンタインデーの過ごし方を。

『日本では、女性から男性にチョコレートを渡すそうよ』

ようやく刻み終わったチョコレートを次は湯煎する。まな板の上からボウルの内へ移された大量のそれを見つめて、溜め息をついた。

…レイツェルに誘われたとはいえ、どうして私がこのようなことを!

レイツェルの慕っていた真方ジンは日本人。だから彼女は日本流のバレンタインを行うことにした。それは話の筋が通っている。彼女の愛する彼はもうこの世にはいないけれど、それでも彼のためにチョコレートを作りたい…相変わらずまっすぐなその気持ちは、ただただ素敵だと思う。
問題は、イギリスのバレンタインデーは日本とは違うという点にあった。イギリスでは恋の告白よりも、夫婦や恋人が互いにカードや贈り物を交換して愛を確かめ合う日。

…私とフリーセルは、そんな関係じゃない。

一時期オルペウス・オーダーとして活動して、その後ギクシャクしたけれど何とか仲直りして、今は時々メールを送り合うパズル友達。フリーセルにとって私はその程度の認識でしかない。そのような彼に贈り物を渡す筋合いなんて本来無いはずだし、どう見てもおかしい。笑われるかもしれないし、変に意識するかもしれないし、最悪嫌われるかもしれない。ま、フリーセルごときに嫌われたところで私には何の支障もないけれど。
それでもわざわざこんな慣れない作業をしているのは…レイツェルが作るというから場所は違えど一緒に作ることにしたとか、フリーセルなら大門カイトから話を聞いて日本式のバレンタインを知っていそうだからとか、言い訳はいくらでも思いつくけれど。

なんとなく、本当になんとなく、彼にあげてみたくなった。
ただそれだけ。

…なんだけど。

「何これ、全然溶けないじゃない…もっと早く溶けなさいよ」

まさかこんなに大変だとは思わなかった。
いびつなチョコの欠片の山は、ボウルに触れている部分は徐々に溶け始めたものの、半分以上が刻んだ後のままだった。だいたい、チョコレートを刻むのさえ固くてうまくいかず、かと思えば左手で押さえた部分はベタベタになりだして、あんなに苦労したというのに。まだまだ残る工程に頭が痛くなりそう。

「お嬢様、少し休憩なされてはいかがですか。カプチーノをご用意いたしました」
「そうするわ…ありがとう」

溜め息ばかりの私を心配したのか、婆やが声をかけてきた。そういえばチョコ作りに夢中でティータイムを忘れていた。ここは笑顔を作ってカプチーノをいただくことにする。さすがにホイストが以前作っていたようなラテアートは無いけれど、その美味しさには脱帽する思い。一口飲むだけで気持ちが落ち着く…はずなのに、今の私はつい自分の下手なチョコレートと比較してしまう。
…やっぱり、高級なチョコレートを買ったほうがよかったかしら。有名ショコラティエのものなら味も見た目も優れているし、それを買う財力もある。もしくは台所を使い慣れている婆やに準備してもらうか、ノノハスイーツで噂の井藤ノノハを頼るか…いや、それはプライドが許さない。
婆やから出されたカプチーノの泡にスプーンでハートマークの落書きをしながら、一瞬楽なほうへ傾きかけた考えを軌道修正。プライド云々以前に、婆やも井藤ノノハもレイツェルも協力してはくれないわね。『メランコリィが手作りするからこそ、気持ちが伝わって嬉しくなるわよ、きっと』なんて綺麗事を返されるのがオチ。
ふわふわのミルク。フリーセルの髪にそっくり。彼は皆が言うように喜んでくれるのかしら…恋人や夫婦といった特別な関係でなくても。不器用で素直じゃない私が作ったいびつなチョコレートでも。

「…やってやろうじゃないの!フリーセル、見てなさいよ!」

カプチーノを飲み干してもう一度ボウルを覗くと、チョコレートはとろりと姿を変えていた。なーんだ、時間がかかっていただけね。チョコレートを作る工程は大変だけど、よほどドジをしなければ大丈夫そう。気を引き締めて次の手順に入る。

2月14日まで、あと少し。



fin.

(題名は鏡音リン(Junkyさん)の同タイトル曲から。)

2015/02/10 公開
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