BO-BOBO

ラフ・メイカー

窓の外は、雨。大雨というほどではないけれど、しとしとしと…と長く続く雨。太陽の見えない、重く暗い曇り空。
この雨で喜ぶのはせいぜい新しい雨具を手に入れた子どもたちか、日照り続きで水を待ち望んでいた人々。しかし生憎そのどちらでもないアタシにとって、この雨は憂鬱な気分をさらに助長する存在でしかない。

だから、雨の日は嫌い。
気持ちがかき乱されるから。

…どうして落ち込んでいるの、なんて訊かれてもアタシにだってわからない。
原因はおろか、この感情が怒りなのか悲しみなのかさえも、わからないのだ。
強いて言うなら、この暗い世界を見て昔のことを思い出したせいかもしれない。最近は柊が毎日楽しませてくれていたからすっかり忘れてしまっていた、でも暗い暗い夜になると思い出す――色のない世界のこと。その苦しさが、日中なのにやってきた。雨のせいだ、だから嫌い。
部屋の中に雨は降っていないはずなのに、それでも静かにアタシの頬を伝う。視界まで滲んでぼやけてくる。嫌い、嫌いだ、こんなアタシなんて。

こんなみっともない姿なんて誰にも見せたくないから、アタシの部屋の入り口のドアに鍵をかけて、その上から氷を張ってやった。氷は扉と壁の間のわずかな隙間へ広がっていったから、おそらく廊下側から見ても開かないことはすぐにわかるだろう。まぁ、カゲの世界から来た偽物だとか何とか言って忌み嫌われるアタシに関わろうとする人なんて元々限られているけれど。




それなのに、部屋に突然響いたノックの音。
アタシが拒否のサインを出していても気にしない奴に、心当たりは一人しかいない。それでも人違いだといけないから一応尋ねてみる。

「…誰」
「Laugh makerさ☆」
「何それ。無駄に発音良くしなくていいから」

扉の向こうから聞こえた声は予想通り、お節介な柊のものだった。空気の読めない明るい声で冗談を飛ばし、自分の言ったことに自分で笑っている。そういう時は大抵ウケないって、以前忠告したはずなんだけど。

「で、何しに来たのよ」

姿こそ見えないが、声だけで今まで泣いていたことを悟られるのも嫌。こんな時は、さっさと要件を聞いて会話を終わらせるに限るのだ。

「何って、決まっているだろう。邪ティに笑顔を持ってきたのさ」
「余計なお世話よ」
「それにしても頑丈に凍らせたね。ドアに触れなくても、邪ティの部屋の前にいるだけで寒いよ…!」
「ちょっと、話聞いてるの!?帰ってよ!」

あぁもう、昼食を持ってきたとか、アタシ宛てに郵便が来てたとか、そんなくだらない用事だったらよかったのに。そうすれば、目的の物を部屋の前に置かせて立ち去らせることもできたのに。
柊はどうやらまだアタシの部屋の前にいるらしい。寒さで震えているのか、カタカタと歯の鳴る音がかすかに聞こえてくる。余計な詮索をしてこないだけまだマシかもしれないけれど、まさかずっとそこにいるつもりなのか。
せっかく人が暗く沈んでいるのに、そこにいたら…柊に泣く声を聞かれてしまったらと思うと泣けない、真っ暗闇の底に着くこともできない。でもこんな気持ちからいきなり浮き上がることもできなくて…結局、中途半端に漂うしかないじゃない。

すると、もう一度響くノックの音。
アタシも我慢しきれずに叫ぶ。

「何よもう!これ以上しつこくするなら氷の量増やすわよ!凍死したくなかったら帰って!」
「ハハ、辛辣だなぁ…」
「わかったならさっさと、」
「ねぇ、邪ティ…今日くらいは僕も泣いていいかな…?」
「は、」

何を言ってるの、と思った。いつもならどんなに脅しても罵っても構わずにちょっかいを出してきて、氷漬けにされてもどこか幸せそうな笑顔を浮かべて、次の瞬間には回復しているような奴なのに。
今日の柊はどこかおかしい。いや、おかしいのは普段のほうで、今日の反応は普通の人間ならむしろ正常な部類に含まれるけど。

「…何か、あったの」
「や、ちょっと仕事でしくじっただけなんだけどね…」

柊はそう言うと、途端に無言になる。
おかしい。絶対おかしい。
なんだかんだ言っても仕事に関しては頭の切れるあの柊がミスをしたというのも滅多に無いことだけど、それ以上に、ミスをして落ち込む柊なんて初めてだ。たとえミスをしてもそれを自虐ネタとして笑いに変える、それが普段の柊なのに。

「柊…泣いてるの?」

ドア越しに聞こえる、鼻をすする音。声は意識して押し殺しているようだが、時々しゃくり上げるような不自然な呼吸音が耳に入る。

「ちょっと…アンタが泣いてどうすんのよ!アタシを笑顔にするんじゃなかったの!?」

そう叱責してみても、相変わらず何も言わない柊。どうしたのよ、調子狂うじゃない…。

「アタシだって、泣きたいのに…!」

独り言のように呟くと、また理由のわからない涙が溢れてきた。




…それから、どれくらいの時間が流れたのか。アタシたちはお互いに無言のまま、涙を流し続けた。
そこに柊がいるから泣けないとか、柊が泣くときくらいアタシがしっかりしなきゃとか、そんな意地はもうどうでもよくなっていた。

「…ねぇ、柊」
「なんだい」

ようやく落ち着いて声をかけると、ドア越しに返ってきた彼の声。

「今でもアタシを、笑わせようと思ってる…?」
「あぁ、もちろん」
「どうして…?」
「邪ティを笑わせることが僕の生き甲斐だから、かな」

アタシの質問に対して、返ってきたのは本当にバカみたいな答えだ。いつもなら鼻で笑うか、気持ち悪がって凍らせる。
…だけど。

アタシは手刀を構えると、それに冷気を纏わせて、最高強度の氷の剣を作る。そして、それをドアの鍵の部分の氷目がけて勢いよく振り下ろした。
キン、と冷たい音が鳴り響く。
氷を氷で割ろうなんて考えが甘いかもしれないけれど、アタシの部屋に鍵の上の氷を削れるようなものは無かったから。余計なことは考えず、何度も何度も氷の手刀を振り下ろす。

ようやく鍵が回せるようになったところで、アタシはドアのロックを解除した。ドアと壁の隙間の氷は狭いところに入り込んでいて砕くことができないため、こちら側から開けることはできないけれど…きっと向こう側から力を入れて押せば開くはずだ。柊の力なら容易に開けられる。

「…柊、入っていいわよ。そっちからドアを押して」

ドアの向こうにいるであろう彼に、合図を送る。

「柊?鍵ならもうかかってないから…」

だが、いくら待っても反応は返ってこない。

「ちょっと、うんとかすんとか言いなさいよ!?」

普通ならこう言えば「すん」なんてふざけた返事を寄越すくせに、今回はやはり無言のまま…というか、物音一つしない。聞こえるのは外からの、雨が降る音だけ。

「柊!?どうしたのよ、柊ってば!」

まさか凍死したんじゃ…とも思ったが、それは無いとすぐに思い直す。
確かに今回は氷の近くの寒いところに長時間いて、さっきは震えていたくらいだけど、柊は毎日のようにくだらないことで自身を丸ごと凍らされていて、しかもその氷漬けの状態さえお笑いのネタか試練のように考えているのだ。氷や寒さに対する耐性は人一倍強い。万が一凍死していたとしても、アイツなら死ぬ前に絶対、アホらしいセリフを最後の言葉として残すはずだ。でも、思い返してみてもそんな遺言らしい言葉は無かった。
だとしたら、この静寂が示すことは一つ。

「何よ、バカ柊…」

きっと、帰ったのだ。
アタシが元気になったと思い込んで、自室か仕事場へ帰っていった。
アタシを、一人残して。

「別に、今裏切らなくたっていいじゃない…!!」

そう悪態をついた、瞬間。
入り口とは逆側から突然、窓ガラスの割れる音が響いた。

「えっ…?」

驚いて振り向くとそこには、雨に濡れてびしょびしょになったバカ柊の姿。目元はさっきまで泣いていたのがわかるくらいに赤くなって、うっすらと涙の痕も見える。
しかし当の本人はそれも気にせずに、アタシに向かって恭しく言う。

「お待たせ。笑顔をお持ちしました」

…何よそれ、心配して損したじゃない。
そう思ったけれど、もちろん本人には言わない。言うと「心配してくれたんだ、嬉しい♪」とかほざいて調子に乗るだろうから、絶対に伝えない。
だけど。

「さぁ、早速君を笑顔に…って、ちょ、邪ティ!?どうしたの!?」
「…うるさい。たまにはいいでしょ」

来てくれたのは、素直に嬉しかったから。
死んでいなくて、安心したから。
柊の優しい気持ちが心に届いて、また泣きたくなったから。
たまにはいいかなと思って、アタシは喋り続ける柊の胸に自分から飛び込む。

「ほら、早くアタシを笑顔にしてよ」

いつもより近くにある顔を見上げて、挑発するように言うと、

「調子狂うなぁ…でも、喜んで」

耳元でそう囁かれて、そのままぎゅっと抱き締められた。

「…本当はね、邪ティ」
「うん」
「もっと普通に、笑わせようと思ったんだよ?」
「普通に?」
「僕の得意な漫才とか、一発芸とか、ハジケとか。そのために鏡だって用意したんだから」
「え?漫才は分かるけど、いや分かりたくないけど柊だからまぁ予想つくけど…なんで鏡?」

アタシより背の高い柊の顔を見上げると、彼は楽しそうに笑う。

「知りたい?じゃあ、まずは鏡を覗いてごらん?」
「…嫌な予感がするから遠慮するわ」
「えぇっなんで!?ほら、騙されたと思って見てごらんよ!思わず笑うような泣き顔が映るからさ!」
「あぁ、そう。やっぱりそれが狙いだったのね」

目を据わらせて言う。ついでに柊から離れる。
そもそもこんなことで笑わせようだなんて、怒られるとは思わなかったのか。…絶対思わなかったわね、柊だもの。
柊はまだ両手をアタシに向けて伸ばしていて、多分あわよくばもう一度抱きつこうとしている。それを綺麗に凍らせて、アタシは笑った。
雨の日でも笑えるんだと、初めて知った。



fin.

(BUMP OF CHICKENの同タイトル曲から。後半は前サイトから結構変えてます。まぁそれでも柊は凍らされるんだけどね。)

2011/09/10 公開
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