Cells at Work

そんな事知らなかった

4989番と共に行動していたところ、偶然いつもの赤血球に出会った。今日は細菌も来ない平和な日で、赤血球もちょうど酸素を届け終わった後で、つまりはお互いに少しゆっくりできるタイミングだから、三人でお茶でも飲みながら話すことになった。
繰り返す。三人で話すことになった…のだが。

「えぇっ、ホントにそうなんですか?」
「本当だって、試してみなよ?」
「でも試してみるってどうすれば…。私だと絶対失敗する…」
「いやいや、意外と効果抜群かもよ?やり方はね…」

内緒話のように身を寄せ合って話す4989番と赤血球。ぴょんと立った一房の赤い髪が、彼女の頷く動作に合わせてふわりと揺れた。
俺と4989番、二人の好中球に赤血球が挟まれるような並びでさっきからベンチに座っているが、彼女はお茶の入ったコップを両手で握り締めたまま4989番とだけ話している。俺たちも同じお茶を手に持っているが俺はなるべくゆっくりと飲んでいて、4989番のお茶は減っていない。赤血球とずっと話しているせいだ。

「…で、俺がフォローするからそのまま、…」
「わ、分かりました…!じゃあ困ったら…」
「あー待て、それよりは…」

二人の声は部分的に聞こえるが、肝心なところは一切拾えない。何の話題なのかも分からなかった。
俺が聞いてはまずい話なのか。気を利かせて立ち上がると4989番がすぐに気付き、慌てたように「待て」だの「もう少し休んどけ」だのと言うから立ち去ることもできなかった。仕方がないので赤血球の帽子の赤色を視界の隅に入れながらまたお茶をすする。
あらためて見ると赤血球は実に楽しそうに話しているようだった。話の内容は分からないが、彼女の身ぶり手振りだけでも機嫌が良いことは容易に感じ取れる。だから別に俺のことを無視しているとかではなく、4989番の話が面白くてつい夢中になっているだけなのだろう。
…だからこそ、釈然としない。
いつもなら赤血球が喋って俺が聞き役になる。それに初めて会った時から赤血球は俺を見ていた。視線に気付いてぶっきらぼうに「何を見ている」と言ったあの頃が、今はすごく懐かしい。近くにいるのにこちらを見ない赤血球なんて新鮮で…でもあまり良い気分ではない。右手に持ったままのお茶も心なしかいつもより濁って見えた、その時。
赤血球は4989番との間にお茶のコップを置いて、勢いよく振り向いた。

「白血球さん!」
「何だ?」

きらきらとした瞳で呼ばれて、嬉しくないはずがない。それでも平静を装って応じる。
しかし、彼女の口から出た言葉は俺の予想していなかったものだった。

「私、今度から道案内はいつでも4989番さんにお願いすることにしました!」
「…え?」

時が止まる。聞いてしまったことをすぐに後悔したがどうすることもできない。
そりゃあ、彼女が道に迷ってしまった時に頼る相手が増えたのは良いことだ。4989番なら俺もよく知っている奴だから安心できるし、さっきまでの仲良しぶりを見る限り道案内中に雰囲気が悪くなることもないだろう。
…だが。たくさんの細胞がいるこの広い世界で、毎回必ず俺が駆けつけられるわけではないのは分かっているが。
動かない首を無理やり動かして4989番の方を見ると、どこか嬉しそうにへらりと笑われた。

「いやー、いつもお前にばかり道案内してもらうのも悪いだろうって話になってさ」
「ちょっと待て、俺はそんな話聞いてないぞ!?」

三人で話すというのは「二人で話して決めたことが勝手にもう一人にも適用されること」ではないはずだ。確かに俺はこの二人のすぐ近くにいたが、ほとんど内緒話で肝心なところは聞き取れなかった。まさかそんな話になっていたなんて。

「そもそも俺は迷惑だなんて一度も、」
「白血球さん!」

反論しようとした声は赤血球の呼びかけに遮られた。一瞬その言葉すら4989番に向けられたものではないかと思って嫌な汗が流れたが、彼女は俺の方を向いている。
潤んだ瞳と一文字に結んだ口。必死そうな顔。

「赤血球…」

思わず彼女を呼んだものの、その後の言葉が続かなかった。
4989番の話を信じるならば、赤血球は俺に迷惑をかけたくなくて。でもそれはたぶん嘘で、本音は4989番と過ごしたいのだろう。さっきあんなに意気投合していたのだから。
左手で帽子のつばを押さえ、顔を背ける。右手に持ったお茶の液面がゆらゆらと揺れた。
たまたま先に知り合ったのが俺だっただけで…それだけで、俺は赤血球の中で特別な存在になっているのだと思い込みそうになっていた。

「…そうか。良かったな」

どうせ俺のそばを離れるなら、一人で循環すると言われた方がどんなに良かったか。しかし誰よりも赤血球本人が望んでいるのだから、俺は祝福して彼女の幸せを願うしかできない。
今思えば彼女と歩く時はいつも気持ちが安らいで楽しかったのだが、そしてできればまた彼女を助けてやりたい、今までのように並んで歩いたり一緒にお茶を飲んだりしたいと思うのだが…それを今伝えるのは野暮というものだ。
赤血球だってこんなに真剣で…と、顔を上げた瞬間。

「あーっ!」

さっきまで必死そうだった赤血球の表情は驚きつつも興奮しているのか楽しそうで…そして、なぜか大袈裟な動作で指をさされた。びくりとして零れそうになったお茶をとりあえずベンチに置く。

「へ…何だ?俺の顔に何か付いてるか?」
「あっいえ、そういうのではなく!」

しんみりした空気をぶち壊す赤血球のリアクションに、俺は不思議に思いながらも手で自分の顔をぺたぺたと触った。戦闘で付いた返り血でも残っているのではと真っ先に連想したためだが、彼女はそれを見てすぐさま否定した。
…そういうのではないのなら、じゃあどういうのだ?
すると赤血球の後ろにいた4989番が彼女の肩をぽんと叩いて、やけにテンション高く話しかける。

「ほらな、俺の言った通りだろ!」
「本当ですね!今しっかり見ました!」
「おい、どういう事だ…?」

再び和気あいあいと騒ぐ二人。俺だけが分かっていない。
しかし赤血球はすぐに俺の問いかけに気付き、さっきまで渇望していた笑顔をあっさり見せて言った。

「4989番さんが教えてくれたんです。白血球さんが嘘をつく時や都合の悪い時は、帽子のつばに手をかける癖があるって!」
「はっ…!?」

そんなの初耳だ、意識したこともなかった。4989番は知っていたのか、一体いつからなんだ。俺にそんな癖があったなんてもっと早く教えてほしかった、できれば赤血球に教えるよりも先に。

「赤血球。じゃあ、その、道案内は…?」

動揺を必死に抑えながら、一番引っかかっていたことを尋ねる。
だが赤血球はきょとんとした顔で俺を見て、少ししてから思考回路が繋がったのかぽんと手を打った。

「あっ、さっきのですか?」
「俺は遠くで仕事してる時もあるし、そんな頻繁には案内してやれないって。ま、偶然会った時に困ってるようなら助けるけど」

彼女の後ろから4989番が説明する。おそらく4989番が主犯格で、赤血球に「こう言えばいい」と吹き込んだのだろう。まんまと騙されたことに気付いて脱力する。

「なんだ、嘘か…」
「白血球さん、ごめんなさい」

その声に顔を上げると、さっきまではあんなに楽しそうだった赤血球がしゅんと申し訳なさそうな顔をしていた。

「4989番さんから白血球さんの癖の話を聞いた時、見てみたいと思ってしまって。何度か会ってるから前に見てたかもしれないですけど、意識して見たわけじゃないからあんまり思い出せなくて。それで、その…」

赤血球は言葉を選ぶようにゆっくりと釈明する。だがそんなことをしなくても、赤血球に悪気がないことは分かっていた。
分かっているから、だから…俺の前でも、いつもと同じように笑ってほしい。
片手を赤血球の目の前に出して話を止める。彼女は少し戸惑ってその手を見た後、俺の顔に視線を移し…そして。

「…白血球さん、ありがとうございます」

無意識にでも癖を見れたことに対してか、それとも赤血球の謝罪を最後まで聞かずに受け入れたことに対してか、もしくは勘違いだったとしても赤血球の望みを聞き入れ祝福したことに対してか…何のお礼かは分からないが、赤血球は照れ笑いを浮かべた。

赤血球に出会うまでは笑顔もお礼も無いのが普通で、俺もそれで良かった。細菌を殺して周りの細胞たちから怖がられても、それが俺の仕事だからだ。
しかし今では、彼女の笑顔とお礼が心地よい。そして、彼女がそこにいるのに笑顔が無いのは、今では物足りなく感じるのだと初めて気付いた。

「あぁ、えと…どういたしまして」

一言伝えて、それ以上何を言えばいいのか分からなくなって…またお茶を手に取る。赤血球も思い出したように自分のお茶のコップを両手で持って飲んだ。さっきと同じお茶なのに、今は不思議と美味しい気がする。そのまま飲み干すと、赤血球も少し遅れて飲み終わり元気良く立ち上がった。

「さて、私もそろそろ仕事に戻らなきゃ!」
「そうだな。道は分かるか?」
「えーっと…あっちです!」

周りをきょろきょろと確認してから自信満々に通路を指差す。
しかし、大変言いにくいのだが…。

「…それはさっき来た方向だ」
「えっ!?あっ!すみません、間違えました!」
「いいよ、案内してやる。俺たちもパトロールの予定だったからな。…構わないよな?4989番」
「まぁねー」

4989番から間延びした声が返ってくる。半ば強引にこの後の予定を決めてしまったが、さっきは4989番が謀ったのだから今回は俺が決めてもいいはずだ。
そして次に聞こえたのは、いつもと変わらず明るい赤血球の声で。

「あっ、ありがとうございます!」

律儀に一礼して顔を上げた彼女の表情は、この休憩時間にずっと見たいと思っていた眩しい笑顔だった。



fin.

(アニメ1期1話で血の滲んだ赤血球の手袋を見た時と「また、会えますか…?」の直後、そしてなんとアニメ1期6話でも「また、会えるかな…!?」の直後に、1146番は表情が見えないように帽子のつばを持って少し下げる動作をしていたので、これはもはや癖なのでは…!?と思って書きました。特にアニメ1期6話で原作にはないそのシーンが追加されたのにはびっくり。あの骨髄球が1146番だとうっすら分かるように狙って入れたのかな。そしてその後、アニメ1期7話のがん細胞討伐後の白赤でも発動しててテンション上がった。)

2018/08/24 公開
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