はたらくハロウィン

01 甘味に満ちた楽しい日

いつも通りの仕事中、偶然行き合った先輩から小腸に寄るよう指示を受けて。
てっきり栄養分の運搬かと思っていたら、差し出されたのはいつもと違う、奇妙な顔の描かれたオレンジ色のバスケットだった。

「はい、アンタの分」
「えっ?何ですかこれ?」

先輩から渡されて反射的に受け取ったけれど、持った感じもいつものバスケットと違う。
黒い三角の目と鼻、にやりと開いたギザギザの口。だけど怖いというよりはおどけたような笑顔で、見れば見るほど可愛く思えてくる。そしてバスケットの上には紫色の布が目隠しのように被せられていた。何が入っているんだろう、それともデザインを変えただけで中身は細胞さんのご飯なのかな?
まじまじと観察する私を見かねたのか、それとも元々そうするつもりだったのか、先輩は優しく促してくれる。

「中を見てもいいわよ」
「いいんですか?」
「むしろ見ておいた方がいいんじゃない?どちらかというと私たちが使うものなんだし」

そっと捲って中を覗いてみれば、入っていたのはいつも届けているご飯ではなかった。代わりに小粒のチョコレート、棒付きのペロペロキャンディ、一口大のクッキーなどのお菓子が小袋に分けられてぎっしり詰まっている。袋に入っていてもこれだけ集まっていたら分かってしまう、くらくらしそうなほどの甘い香り。
甘いものは赤血球にとってのエネルギー源で大好物。休憩中にアイスを口にすれば「また頑張ろう」と思えるし、もし甘いものを禁じられたら私たちは動けなくなってしまうんじゃないかと思うほど。それが今、持たされたバスケットの中にいっぱい入っている。見ているだけでも涎が出そう、あぁ幸せ。

「美味しそう…!あの、私が使うものって、私なんかがこんなにもらっていいんですか!?」
「いや、アンタの食べる分じゃないから。私たちはこれを配る方」
「え、配る方…?」

しまった、完全にもらうものだと思ってた。間抜けな声を出した私に先輩は呆れたような視線を向けたけれど、それ以上はつっこまず説明してくれる。

「そうよ。今日はハロウィンだもの」
「ハロウィン、ですか?」
「えぇ。今日だけの仕事なんだけどね、配達先やその道中で『トリック・オア・トリート』って言われたら、私たちはお菓子をあげることになってるの」
「へぇー…」
「もし言われたら、『ハッピーハロウィン』って返すのよ。で、この中のお菓子を一つ渡す」
「ほー…!」

先輩は自分のバスケットからキャンディを一つ取り出して私に向けてみせる。ピンクと紫の二色がぐるぐると渦を巻くそれに思わず目を奪われて、それから少し遅れて先輩が実演してくれたんだと理解した。一気に気持ちが高まっていく。
細胞さんはこんな風にもらうんだ…!『トリック・オア・トリート』って言って、『ハッピーハロウィン』って言われて…うん、すごく楽しそう!このお菓子を私たちは食べられないと聞いてさっきはつい落胆しちゃったけれど、今はそんな気持ちもどこかに行ってしまった。だって細胞さんたちにお菓子を届けるなんて!もちろん酸素や栄養分を届けるのも楽しいよ?だけどそこに遊び心というか、ハンコやサインの代わりに合言葉を言ってもらって渡すなんて…とってもワクワクする!

「まぁ、そういう行事に興味のない一般細胞もいるから、全員に渡せっていうわけじゃないけど…アンタ、臨機応変って言葉知ってる?つまり嫌がる細胞には無理に押し付けなくていいのよ?分かった?」

説明を聞くだけですっかり浮かれていた私に、先輩はこれでもかというぐらい念を押して確認する。その言葉に私もはっと気付いた。そうだよ、浮かれてミスするのが一番良くない!ちゃんと気を引き締めないと!

「はいっ!気を付けます!」

気持ちと一緒に顔もキリッとさせると、先輩はくすりと笑った。

「でもまぁ、そんな堅苦しく考えなくていいから。これは仕事というより皆で楽しむイベントよ。例の言葉だって、実はこっちから言ってもいいの」
「『トリック・オア・トリート!』…ですか?」
「そうね。もちろん相手がハロウィンに乗り気な細胞の場合に限るけど、そういう細胞は大抵向こうもお菓子を用意してるものだから」
「えっ!」

思わず声が弾んでしまう。だけど抑えることなんてできなかった。細胞さんたちもお菓子を用意しているの!?それって、それって…!?

「じゃあ、その合言葉を言ったら私たちもお菓子をもらえるってことですか!?」
「相手が先に言ってきた場合はね。その可能性は高いわよ」
「うわぁ…すごく素敵なイベントですね、先輩!」
「ふふっ、そうね」

先輩はやっぱり私よりも落ち着いているけれど、表情や声はなんだか嬉しそうだ。そりゃそうだよね、甘いものがいっぱいのイベントなんて赤血球にとってはまさに天国!うんうん、私も楽しみでうずうずしちゃう!

「それじゃあ、早速配達行ってきます!」

オレンジ色のバスケットを腕に提げて、私は出入り口へ駆け出した。その後ろから先輩の声が追いかけてくる。

「あっアンタ、ちゃんと肺に寄るのよー?酸素を運ぶ仕事はいつも通りなんだからねー!?」
「分かってますー!」

先輩に手を振って答える一方、足は止まらない。たとえ私たちは食べられなくても、甘いものが近くにあるとないとでは大違い。自然と気分が上がって足取りも軽くなる。しかもこの後いろんな細胞さんたちとお菓子の交換ができるなんて!幸せすぎて今なら何周でも循環できそう!
他の人にぶつからないことだけ気を付けながら、私はまず最初に肺を目指して走った。



…その直後、先輩がPO1076番の男性赤血球さんと偶然会って『あること』を思い出し心配そうに話していたことを、この時の私は知らなかった。

「…あっ」
「どうした?」
「そういえばあの子に大事なことを伝え忘れてたわ…。私たちの仕事と直接は関係ないことだけど…」
「…あぁ、『あのこと』か。まぁ、行ってみれば分かるだろうし」
「あの子、ビックリしてないといいけど」
「……」



2018/10/15 公開
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