彼岸花の咲く場所

 その後、無事に『PUB とおる』に採用され、薫は同店で働き始めた。
 常連客と知り合い、可愛い彼女もできた。大学卒業後、昼は土木建築会社で現場作業員をこなし、夜は『とおる』で働く。薫ががむしゃらに働くのには理由があった。
 性別適合手術。薫はこの中性的な名前のままで、男になることを決めた。
 女性のままでは彼女と一緒に暮らすことも結婚することもできない。何より、女性のままでいることはたびたび薫を苦しめた。
 大学卒業後は女性らしい恰好を強いられる場面が多く、嫌でも自分の体の性を自覚させられたし、職場で女性だからと気を遣われ、男扱いしてほしい薫との間に壁を作られた。それは耐え難い苦痛だった。
 10年働いた。寝る間も惜しんで働き続け、精神の不調と闘いながらホルモン治療を受け続けた。そしてついに、手術に必要な資金が集まった。
 薫はパスポートを取得し、飛行機でタイに渡った。タイはセクシャルマイノリティーの聖地。世界中から性別の違和に苦しむ人が集まり、性別適合手術を受けに来る。いよいよ、薫は子宮と乳房を捨てるのだ。
 「いよいよだ。やっと、俺は本物の男になれる……!」
 手術前夜、薫は夢を見た。また、もう二度と会わないと決めた奈緒が、高校生の姿のまま微笑んでいた。
 「薫ちゃん。今日は何食べたい?」
 「フライドポテト!」
 「また~?ホント薫ちゃんポテト好きだね」
 夢の中の二人は、同棲しているようだった。
 「ねえ奈緒ちゃん、俺、男になってよかった?」
 薫は夢の中で既に男性になったようだった。
 「うーん、私は女の子のままの方がよかったな」
 次に見た風景は、夜明け前の病室の天井だった。これは現実である。奈緒の言葉から、急に現実に引き戻された。夢は終わったのだ。
 「奈緒ちゃんは、未だに俺の夢に出てきて、そんなこと言うんだね……」
 薫は個室の病室で一人泣いた。最愛の奈緒に、子宮と乳房を残せと言われた。だが、薫は今日、それを失うのだ。
 「戦うって、決めたんだよ、奈緒ちゃん。もう、俺はやっと念願の男になるんだ。その夢を、応援してくれよ、奈緒ちゃん」
 その日、薫は男に生まれ変わった。一度も汚されたことのない、清らかな子宮を捨てて。

 そして、薫は帰国後自分の店を構えることになる。華灯町の片隅のビルの3階。ビルの入り口には真っ赤な彼岸花が咲く。あの日、幼馴染みに失恋して夜の街で働こうと決めた日も、燃えるような彼岸花が咲いていた。彼岸花の花言葉はーー。薫は店名を『彼岸花の咲く場所』と名付けた。

END.
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