第一章 奇跡使いと言霊使い

「ここがテンパランス様の事務所か……。世界で唯一の、女性奇跡使い様……」
 大きな洋館の玄関扉の前で、一人の少年が、その屋敷の大きさと、扉の奥から漂ってくる威圧感に、すくみ上っていた。
 まっすぐな黒髪を坊ちゃん刈りに切りそろえた、東洋風の平面的な顔立ちの少年であった。
 しかし、先方には既に連絡をしているし、ここまで来てしまったのだ、いまさら引き返すわけにはいかない。
 意を決して少年がノッカーに手をかけようとすると……。
「テンパランス様!助けてください!!」
 少年を押しのけて三人の男女が押しかけ、激しくノッカーを打ち鳴らし、ドアをしたたか叩いた。
 すると、扉が軋む音を立てながら、僅かに開いた。
 奥から顔をのぞかせたのは、栗色の前髪を上げ額を露出した、人形のように整った顔の冷たい印象の女性だった。
「何事です」
 すると駆け込んできた男女は口々に緊急事態を訴えた。
「この近くの道路で玉突き衝突事故が起きたんです!救急車なんか待ってたら助からない!!怪我人が大勢いて、車も炎上してる!!助けてください!」
 冷たい印象の女性は大きく目を見開くと、「少し待っていなさい」といって奥に引っ込み、一人の男性を連れて飛び出してきた。
「あなたたちは車で?」
 女性が男女に問うと、男女は、
「すぐ近くだから走ってきました!」
 と答えたため、女性は玄関前に停めていた車に飛び乗った。
「車を出します。乗って!」
 女性の弟子と思しき金髪の男性が助手席に乗り、駆け込んできた男女は後部座席に乗り込んだ。そして猛スピードで車は走り出した。
 一連の騒ぎを黙って見送ることしかできなかった少年は、あっけにとられて車を見送り、しばし呆然と佇んでいた。
 すると、玄関扉がゆっくりと開き、「大丈夫かしら……」と呟く、若い女性が出てきた。先ほどの女性の車が消えた方向を見つめ、ふう、と溜息をつく。と、
「あら?貴方は行かなくてよかったの?」
 若い女性が少年に問いかけた。
「え、あ、貴女は……?」
 少年が誰何すいかすると、若い女性……というよりは幼さの残る少女という方が正しいような、彼女は腰に手を当てて問い返した。
「あら、レディに名前を訊くなら、まず自分から名乗るのが礼儀でしょ?」
 それもそうだ。少年は慌てて名乗った。
「そ、そうですね!すみません!僕はケフィ・スクート。16歳です!」
 すると、少女も名乗った。
「あら、じゃあ同い年なんだ?あたしはイオナ。ただのイオナよ。このお屋敷のメイド」
 栗色の癖っ毛を肩のあたりで切り揃えた、大きな目の少女だったが、メイドという割には露出の高い、キャミソールにミニスカート姿だった。ずいぶんラフなものである。
「あの、僕、テンパランス様の弟子になりたくて、先日ご連絡したんですけど……」
 ケフィがもごもと歯切れの悪い言い方で用件を伝えると、イオナは、はたと手を打った。
「ああ、テンパランス様から聞いてるわ。あなただったのね。でも残念ね、さっきテンパランス様は緊急の用事で外出してしまわれたわ。今このお屋敷にいるのはあたしと貴方だけ」
 その顛末は見ていたが、そうか。先ほどの冷たい印象の女性がテンパランスなのか。と、ケフィは納得した。
「じゃあ……困りましたね。すみません、出直してきます」
 ケフィは大きな荷物のカバンを背負い直して、きびすを返そうとした。イオナはその大きな荷物の存在に気づくと、慌てて彼を引き留めた。
「あ!そうか!貴方泊り込みで修行するのよね!じゃあその荷物で出直すの大変でしょう?テンパランス様はすぐ戻るわ。私とお茶でもして待ってない?」
「え、いやあ、そういうわけには……」
 ケフィが遠慮すると、イオナは、
「出直すって言ってもあなたその荷物抱えてどこに行くの?ホテルに泊まるの?宿代はある?」
 と、現実的なことを聞いてきた。それもそうである。ケフィは実際遠方から遥々ここまでやってきた。ホテルが見つかる保証も無ければ、宿代が手持ちで足りる保証もない。
「そうですね、では、お言葉に甘えます……」
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