ダリオ編

私は熱に浮かされながら、ずっとこんなところから逃げ出そうと思い続けていました。ですから、実はもう股間の傷が塞がり、歩けるようになっていても、歩けることを隠し、熱が下がる瞬間を狙っていました。
私は夜通し走り続けました。何日も何日も、いつも母が追いかけてくる妄想にかられ、身を隠し、逃げ続けました。
お腹が空いても何を食べていいかわからず、木や草の実を口に入れては死にかけ、拾い食いをしては死にかけ、痛みに耐えていた方がよっぽどマシだったと後悔しました。
それでも母に捕まる方が恐ろしかった私は、命からがら大きな街にやってきました。
そこで運命的な出会いをしたのです。
人だかりの真ん中で、陽気な音楽を奏で、心躍るような物語を歌う吟遊詩人でした。
それはとても新鮮な音楽でした。
私はそれまでパイプオルガンの伴奏に合わせた賛美歌か、両親に連れられて鑑賞したオペラしか音楽を知りませんでした。ですから、リュートの不思議な音色と、肩の力を抜いた陽気な歌、いいえ、歌かどうかわからないそれを、とても斬新で面白いと思ったのです。
私は夢中になって耳を傾けました。その歌を理解するのに数日を要しましたし、その形式の歌を理解するのに何人もの吟遊詩人の詩を聴きました。
そして心の底から惚れ込んだ吟遊詩人に、弟子にしてくれないかと志願しました。
結果はまあ……拒絶ですよね。こんな幼い子供に歌を教えてくれといわれて、本気で教えてくれる詩人なんていませんでした。それに、私はぼろぼろの寝間着姿でひどく汚れていましたから、それは嫌悪されました。
私の浮浪生活は何年も続きました。街や村を旅して歩きましたが、それでも吟遊詩人への憧れは消えませんでした。
オペラや賛美歌をやろうとは思いませんでした。その道に入ったら、オペラ鑑賞が趣味の両親のことです、必ず私を見つけて連れ戻し、また拷問をしてくるに決まっている、と思いました。それは今でも心の隅に根付いています。

いつしか私は子供とは呼べない姿に成長していました。そんな姿でいつものように吟遊詩人に弟子入り志願をしていたのです。入門試験に歌を歌わされた私は、そのとき初めて自分が「カストラートにされた」ことを知ったのです。
衝撃でした。カストラートの名前は知っていました。しかし、どんな役なのか詳しくは知りませんでした。ですから、自分がもう男ではないことを知って愕然としました。
そしてやはり、今日のようにね、オペラの道に入り、カストラートになれば、きっと贅沢な暮らしが出来ると薦められました。
カストラートは誰でもなれる物ではない。せっかくの歌声が勿体無いと何度も説得されました。
ですが私は両親に捕まるのが怖かった。私はそう説得しようとしてくる詩人が信じられなくなり、弟子入りを断りました。今度は私が師匠となる詩人を選り好みしていました。
そうしているうちに、ついに私は師匠となる吟遊詩人に出会ったのです。
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