ダリオ編

「……今日のお話はここまで。ありがとうございました」
私が深々と頭を下げると、聴衆がわあっと歓声をあげて手を叩きました。
何人か、熱心な方が人垣を掻き分けて駆け寄ってきて、私にお捻りを握らせてきます。
「また明日も仕事ほっぽって聴きに来るから!」
……仕事はしてください。困ったものです。
ばらまかれたお捻りを拾いながら、私はふと、我が人生を思い返しました。思えば遠くに来たものです。
私の歌が終わると、いつも嫉妬と羨望の眼差しを受けます。同業に嫌がらせをされるのも、もう慣れました。
しかし、ほんの少し前までは、私がそうしていた立場だったことを思えば、誇らしくもあります。
うんと伸びをして、黄金色の空を見上げたら、不意に声をかけられました。
「あんた、ただの詩人じゃないだろ。ソプラニスタ……いや、もしかしてカストラートか?」
私は曖昧に笑いました。歌劇を鑑賞される方には、時々見抜かれてしまいます。私の、声変わりしていない声を。
「ええ、カストラート、辞めたんです」
「勿体無い。あんたなら、相当稼いだだろ。物語歌うなら、オペラでいいじゃないか」
「あはは……私はそんなに歌はうまくないですよ。オーケストラの作曲も出来ませんし。歌は詩吟で十分です」
それに、私は、本物のカストラートをしたことがありませんから……。

露店で軽食を買い、広場の隅のベンチに腰掛け、紫色に染まる空を見上げ、私は夕食をとりました。
食べたいものを食べられる。それは、なんと素敵なひとときでしょう。お金を戴き、食べ物が手に入り、何も気にせず、気に入ったものを食べられる。私はこの瞬間に、自分の人生は間違いではなかったと噛み締めるのです。
指先のパン屑をはたき落として一息をついたら、なぜだか先ほどの「カストラート」という言葉を思い出しました。果たして、今の私が、やろうと思って出来るでしょうか?
試してみたくなって、懐かしい、グレゴリオ聖歌を歌ってみることにしました。リュートで音を拾い、ちょっぴり本気で声を出したのですが……
「げほっ、……?……マー……?ナナナ……ナ……ナー……」
ショックでした。久しぶりに声を出したら昔よりも声が低くなっていました。それもそうですね。もう十数年こんな発声をしていなかったのですから。
リュートをピンピン弾きながら、自分の声の調律。昔の感覚を思い出してきたので、姿勢を正し、深く息を吸い込みました。
私の声が、一番星の輝く薄暗い広場に響き渡りました。キイを合わせれば、昔取った杵柄です。なかなかいい線いってるんじゃないでしょうか?
グレゴリオ聖歌自体はそんなに高い声を出す必要はありませんが、声変わり前の少年時代を再現しようと思ったら、意外に高いものですね。歌い終わる頃には、少々頭痛がしていました。どうやら、もう私にはオペラ歌手になる資格はなさそうです。
不意に、誰かがパチパチと拍手をしていました。音のする方を探すと、薄闇から一人の痩せた男性が近寄ってきました。
「お見事。あんたはオペラ歌手になれるんじゃないか?」
男性の声は何と発音しているのか聞き取れないほど掠れていました。ハスキーボイスにしては声が掠れすぎています。私は注意深く耳を澄ませました。
「ありがとうございます。ですが、私はオペラは歌えないようです。この一曲でへとへとですよ。慣れないことはするものではありませんね」
苦笑まじりに答えると、男性は「嘘を言うなよ。その声はカストラートのものだ。俺にはわかる」と、鋭い目を向けてきました。今日は随分カストラートを指摘される日ですね。
「あんたは昼間の吟遊詩人だろう。なぜその美声を持ちながら、詩吟で喉を潰すようなことをしてるんだ。甲高い声で詩を吟じてるから、俺は不思議でならなかったんだ」
やはり私の詩吟は異質なのですね。それもそうです。本気を出せば詩吟よりも声楽的発声の方が私の声質には合っているのでしょうから。
「私は、カストラートの道から、逃げ出したのです。だから、オペラは歌えないのですよ」
なんとかやり過ごそうと思ったのですが、男性は私の人生に甚く興味を引かれたようでした。
「いったい何があったんだ?よかったら、話してくれないか?」
仕方がありません。それに、今日はなぜだか無性に人生を思い出す日です。私はほんの気まぐれで、男性に自分の人生を語ることにしました。
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